第124話 翼の第三の能力
俺は、頭の中が真っ白になった。細胞注射。異人の能力を意図した相手に移植できる術。それは分かっているのだが、問題はそこではない。それを人間同士が行うってことは……。
「テイルは三つの能力を持っているわけでしょ。そして、あんたは翼と瞳の二つの能力を持っている。そこに私の能力が加われば、戦力としては互角になるはず。
本当なら、あんたから私に能力を受け継がせさせてもよかったんだけど、同時に二つの能力を移せるかどうか自信がなかったし」
「いや、問題はそこじゃない。細胞注射するってことはつまり、あれをやるわけだろ。本当にいいのか」
狼狽する俺に対し、聖奈は平常を保っていた。もしや、覚悟の上ってことか。
「相手が孝かもしれない以上、私じゃ本気で戦える自信がない。我がままかもしれないけれど、三つの異人の能力を使い、本気であいつを倒せるとしたら、翼、あんたしかいないんだ」
「でも、いいのか。俺と、その……」
「後悔がないわけじゃないわね。実はこれ、私にとっても初めてなのよ」
さりげなく、とんでもないことを暴露してきた。ますます気まずいのだが。
「でもね、今ここで細胞注射をためらって、あいつに全滅させられるよりははるかにマシだわ。孝が戻ってくるかもしれないのなら、これくらいの犠牲、どうってことない」
喉の奥底から絞り出すような声で聖奈は白露した。彼女にとって苦渋の決断だったのは想像に難くない。本来なら、戦うことなく孝が戻ってくれば問題はないのだが、そんなのは無理な相談だ。それならば、戦って取り戻すしかない。
そして、そのための力があるのがこの俺というわけか。俺は俯き、聖奈の肩に手を置く。
「聖奈の気持ちは無駄にはしない。必ず、孝さんを正気に戻してみせる」
「翼」
聖奈の瞳からはひとかけらの雫がこぼれ落ちた。
「てめえら、相談事は終わったか。せめてもの情けで見逃してやったが、いい加減にしないと、二人ともまとめてぶっ殺すぞ」
しびれを切らしたテイルが挑発してくる。もはや躊躇する余地さえなさそうだ。覚悟を決めた俺たちは同時に立ち上がる。
「テイル、今からお前の眼を覚まさせてやる」
「戯言を」
そう吐き捨てたテイルだったが、次の瞬間絶句することとなった。
目をつむった聖奈が、俺の頬に唇を重ねたのだ。
一方的ではあったが、接吻には変わりはない。もちろん、こんな局面で愛の誓いなんかするわけないと、誰しも承知の上だ。それでも、この行為に多分に含まれている意味は、テイルを驚愕させるに十分だった。
俺の方はというと、全身の血液を巡る刺激にひたすら耐えていた。苦痛を伴ってはいるが、腕や脚の筋肉がざわめきだしているのが分かる。これを味わうのは三度目だが、生涯慣れることはないな。
呆然としているテイルをよそに、唇を離された俺は、激しく呼吸しながら四つん這いになる。全身がうずくが、特に臀部の辺りの刺激が強い。聖奈が有している能力からすれば、当然の変化だ。とりあえず、俺たちの目論見は成功したようだな。
我に返ったテイルは、歯噛みしながら言い放った。
「細胞注射とは舐めたことしてくれるじゃねえか。だが、所詮、俺と同じ土俵に立てただけのこと。むしろ、対等に戦える分、楽しみも増すってもんだ」
「余裕じゃねえか。ならば、早々に目を覚まさせてやるぜ」
「頼んだわよ、翼」
そう言い残し、聖奈は気を失う。細胞注射を施した後は弱体化するらしいが、そのうえ、テイルから受けた傷が計上されてしまったのだろう。そっと、支柱へと聖奈をもたれかからせると、俺はテイルを睨みつけた。
これで、互いに孤立無援となった。頼れるのは自分の力だけ。でも、俺には聖奈から受け継いだこの力がある。約束を果たすためにも、なんとしてもテイルを倒す。
やつも本気であると示すかのように、いきなり吼えかかった。耳をつんざく轟音。ヴォイスの能力を発動していることは明らかだ。更に、尻尾を振り回し、額の角を誇示してくる。
それに応じるかのように、俺は精いっぱい翼を広げる。前髪をかき分け、額の瞳を顕わにする。そして、これが新しい力だ。俺の臀部より、テイルとほぼ同質の器官、尻尾が出現した。