第116話 スカートめくり
あれは、ちょうど昨日の夕方のことでした。明日から新学期ということで、気分転換に新しい文房具とかを買いにでかけていました。いざ買い物を始めると夢中になって、帰るときにはすっかり夕暮れになっていました。
さすがに、あまり遅くなると心配をかけますから、私は速足で家路を急ぎます。
「ねえ、お姉ちゃん」
そんな時に、いきなり声をかけられました。足を止めると、坊ちゃん刈りした小学生ぐらいの男の子が、道の真ん中で口角を上げながらこちらを見上げています。見かけない顔です。夕方に一人ということは、もしかしたら迷子でしょうか。
「どうしたの、もうすぐ家に帰る時間でしょ」
「そうみたいだね。でも僕さ、お姉ちゃんに訊きたいことあるんだ」
無邪気に呼びかけてくるから、私も気を許して身を屈めます。お母さんとはぐれたから探してほしいとかそういうことでしょうね。それなら、いくらでも協力してあげます。
しかし、その少年から飛び出した言葉は、全く予想外のものでした。
「お姉ちゃんってさ、異人の力持ってるよね」
それを聞くや、全身の毛が逆立ち、思わず飛び退ってしまいます。その時の少年の顔が邪悪にゆがんでいたのもそれを後押ししました。
この少年からは、異人の気がほとんどしません。翼君たちよりは、異人の気配を強く感じ取れると自負していたのですが。最上位種の異人ならば、気配を自在にコントロールできるといいますし、この少年もあえて力を抑えているのかもしれません。
いかなる事情があるにせよ、相手が異人ならば、油断は禁物です。できれば戦いたくないのですが、穏便に済ませられるかどうか。
私が身構えていると、少年はあっけらかんとした態度でこちらに近づいてきます。
「そんなにビビらなくて大丈夫だよ。今すぐ君をどうこうする気はないからさ。第一、こんなところで能力を使ったら大変だってことぐらい僕も分かっているよ」
指摘の通り、私たちがいるのはショッピングモールへと続く街道。まだまだ人通りがありますから、ここで異人の力を使うわけにはいきません。
「それに、怖気づいたからって逃げちゃダメだよ。まあ、こんなことされて逃げるわけはないと思うけどね」
急に少年は身を屈めます。そして、お気に入りのロングスカートの裾を掴んだかと思った途端、とんでもないことをしてくれました。
そのままスカートを捲りあげたのです。
けたたましい悲鳴を上げてしまったため、通行人が一斉にこちらを注視します。こ、この少年、なんてことをしてくれたんですか。かなり勢いよくめくれたので、前からだと、丸見えになってましたよね。
顔から火が出そうになりながらも、必死にスカートを抑えます。そんな私をコケにしながら、少年は笑い転げていました。
「いい加減にしなさい。いくら小学生のいたずらだからって、怒りますよ」
「へーんだ。怒っても怖くないよーだ。悔しかったら捕まえてみな」
お尻ぺんぺんして、一目散に逃げていきます。なんて悪ガキですか。こうなったら、お仕置きしないといけませんね。頭に血が上った私は、すぐさまその後を追いかけます。
今にして思えば、子供のいたずらだと冷静に受け流していれば、こんなことにはならなかったかもしれません。でも、公衆の目前で、あんな痴態を晒されて、泣き寝入りしろって方が酷な話です。少年は、余裕があると示すかのように、幾度となく立ち止まりながら、おおよそ小学生とは思えない速度で街道を駆けていきます。成人男性が追いかけたとしても、ギリギリ追いすがれるぐらいでしょうか。私も、能力がなければとっくに見失っていました。
やがて、少年が足を止めたのは住宅街の一角にある空地でした。さすがに、入り組んだ裏道の先にあるこの場所であれば、滅多に人通りはありません。我武者羅に走ってきて息を切らしている私に対して、少年は涼しい顔をしている。
「やっぱり思った通りだったね。スカートめくりされて黙っている女の子なんていないもん」
「あなたね。悪いことをしたらさっさと謝るのが筋でしょ」
「そうかもしれないね。でも、ここでなら異人についてあれこれ聞いても問題ないでしょ。僕の目的はそれだからさ。あ、そうそう、よく似合ってたよ、ピンクのパンツ」
腹を抱えて笑い転げる少年をよそに、私は必死にスカートを抑えます。こ、この下着はちょっと高かったけど奮発して買った大人びたやつなんですから。
すると、少年の顔に予想外の変化が生じました。日本人にしては鼻が高いなと思っていたのですが、その鼻が生き物のように、伸びてきたのです。孫悟空が如意棒を伸ばすとでも言いましょうか。不自然に成長を続けたその鼻は、木の枝ぐらいの長さになるや、ぴたりと静止しました。
「あ、この鼻か。そういえば、まだ僕の自己紹介がまだだったね。僕はノウズっていうんだ。能力は、説明しなくても分かるだろ、この『鼻』さ。僕って、不思議な体質していてさ、嘘をつくと勝手に鼻が伸びちゃうんだよね。そうでなくても、嗅覚には自信があるよ。そこらへんのどうでもいい人間の中から、異人のわずかな臭いをかぎ分けて君にたどり着いたからね」
その能力を発現した瞬間、少年ノウズから発せられる異人の気配は急激に強まりました。分かってはいましたけど、彼はれっきとした異人の最上位種。
身構えると同時に、さっきの発言の中でどうしても看過できない箇所があります。
「嘘をつくと鼻が伸びるって言いましたよね。このタイミングで伸びるってどういうことですか」
「あれ、分からないかな。君って意外とバカなんだね。ちゃんと嘘ついたじゃん。ピンクのパンツが似合ってるよって」
なるほど、そういうことですか。私は静かに額のガーゼを外します。相手は嗅覚強化が主体で、戦闘向きの異人ではなさそうです。本当なら穏便に済ませたかったのですが、ここまでされて素直に退散するほど、私はお人よしではありません。少しぐらいお灸をすえても罰は当たりませんよね。