第110話 翼VS渡、三度目の対決
敵が逃亡してしまったため、もはや戦闘の必要性はない。しかし、今の渡にそんな理屈が通じる気配はなかった。一見その眼は焦点が合っていないように思えるが、その実、まっすぐに俺を捉えていた。
再度跳躍しながらの噛みつき攻撃を使われる。俺は更に上昇し、攻撃の有効範囲外へと脱する。相手は飛行能力を持っていないので、ある程度高度を確保すれば思考する余裕ができる。
それにしてもあの変貌ぶりは妙だ。変調の兆しもなかったのに。そして、まさか短期間で渡とリベンジマッチを行う羽目になるなんて。
公園全体を俯瞰できる高度にいるが、下界の様子を観察したところ、ありえない事実に直面した。なんと、公園のどこにも渡がいないのだ。渡から目を放したのは上昇している十数秒間。その隙に身を隠したということになる。
公園内にはいくつか遊具があるが、陳腐なジャングルジムや滑り台のため、がたいのいい渡を隠しきれるような施設は存在しない。唯一可能性があるとするなら……。
思い至った仮定を確かめるため、俺は額のガーゼも解放する。遊びで成功させてしまったあの能力だが、こんなにも早く実用化できるとは予想外だったぜ。
俺は公園の敷地の脇にそびえ立っている大木を凝視する。一軒家の二階部分より先は無数の枝が入り組み、緑色の葉がそれを覆い隠している。ここで隠れん坊をしたとして、最も発見されにくい場所となると、当然そこしかない。
案の定、葉を透過し、木の枝の上でうずくまる渡を発見する。短時間に高速で木登りができるって、とんでもない身体能力だ。
いかなる企みがあるかは与り知らぬが、居場所を見破ってしまえば作戦は半分瓦解したも同然だ。俺は警戒心を保ちながらも生い茂る葉の森の中へと突入しようとする。
しかし、突然渡が自らとびだしてきた。不意を突かれた俺は、渡にしがみつかまれてしまった。
能動的に飛びかかってくるなんて予想外だったが、これは俺にとって有利な状況だ。なにせ、前回渡に勝利した時と似たような体勢になっているからである。渡には三半規管が弱いという弱点がある。なので、このまま高速で飛び回り続ければ、自然にダウンしてくれるはずだ。
俺は飛空を開始しようと前かがみになり翼を大きく広げる。だが、その途端に渡は身を乗り出した。そして、片手を伸ばし、俺の左翼をむしり取った。
翼もまた痛覚を共有するため、俺は絶叫しながら左向きに墜落していく羽目になる。いきなり羽をむしられて高度を維持しろというのが無理な話だ。
俺が地面と激突する寸前に渡は飛び降りて難を逃れた。うずくまる俺に対し、容赦なく牙が迫る。身体を転がしてかわすも、容赦なく牙の応酬が続く。
「どうしたんだ、目を覚ませ渡」
呼びかけるも、ただガムシャラに噛みつきを連発してくるばかり。血走った眼でひたすらに攻撃を続けるその姿はもはや獣だった。
牙だけでなく俊足も併用しているため、こちらも瞳を解放したうえ、翼の移動速度上昇を使わないと回避しきれない。おまけに、翼を負傷しているせいで、完全に安全圏内となる上空へ逃れられないのが難点だった。こうなれば、こっちも本気で戦わないといけないのか。渡とは過去に対立してきてはいる。でも、できることなら無益な争いは避けたい。では、どうすれば平和的に解決できるか。苦悩するが、とにかく飛び回るのに精いっぱいで良案など浮かんでくるはずもなかった。
そんな状態で高速移動を維持するだけの集中力を保つのは至難の業である。その証拠に、渡の牙が無傷だった右翼をかすり、その衝撃で数枚の羽がちぎれ飛んだのだ。左右の翼を損傷してしまっては、高速飛行どころではない。やむを得ず、渡から距離をとって不時着する。
すると、渡は俺の前に立ちふさがり、大きく上あごを開ける。首を背後に反らしたその姿勢、意図していることは明らかだ。とどめを刺される。俺は最後の抵抗とばかりに腕で頭をかばった。
その瞬間、衝突音とともに渡が怯む。頬にひんやりとした空気が流れてくる。残暑の公園でこんな冷気を感じるなんて妙だ。いや、そうでもない。こいつを発生させられる人物を俺は唯一人知っている。