第11話 異人上位種「翼~ウィング~」
あの夏木冬子が発したとは考えられないような叫び声であった。まさか、彼女の逆鱗に触れてしまったのか。
冬子は雄たけびをあげながら、火の玉を発射してきた。それも、バスケットボールを一回り大きくしたようなやつだ。あんなのが直撃したら、間違いなく死ぬ。俺はとっさに身を伏せた。この時動けていたのは、奇跡のようなものだった。
ただ、回避したところで、あの巨大な火の玉が変なところに燃え移ったら一大事だった。けれども、冬子が無闇に周囲を凍らせてくれたのが、逆に吉と出た。火の玉は俺の真後ろにあった氷の塊に命中し、その塊を融解していった。座り込んでいるせいで、溶けだした水が尻に染み込んできて気持ち悪い。
冬子は肩で息をしつつも、なお手のひらを俺に向けている。盾にできるものが溶かされた以上、追加攻撃を許すわけにはいかない。ようやく氷から解放されたところ申し訳ないが、生き延びるためだ。俺は陳列棚にあった壊れかけのブリキ人形を掴んだ。女の子相手にこれは容赦ない気がするが、躊躇している場合ではない。俺は、冬子めがけてブリキ人形を投げつけた。
迫りくるブリキ人形に対し、冬子は作りかけの火の玉をぶつけて迎撃した。笑顔のまま燃やされるブリキ人形。ありがとう、君の犠牲は無駄にしない。
俺は陳列棚を体当たりで押し倒し、それによってできた隙間から脱出を図った。
「逃がさないわ」
冬子も後を追う。一時的に危機を脱したが、このまま堂々巡りになるのは必至だった。打開策はないものか。
すると、俺を追尾していたはずの冬子が、突然動きを止めた。もしや、ようやく俺を殺すのをあきらめたか。一息ついて、俺も立ち止まる。
そして、冬子が追尾をあきらめた理由を嫌でも悟ることになった。
いったい、いつの間にそこに存在していたのだろうか。俺の目の前に、あのマネキン人形がいたのだ。
「異人ですって。一応ここもロストフィールドに含まれるけど、よりによってこのタイミングで」
その異人は、昨日あの空地で遭遇したものと大差なかった。のっぺらぼうの顔に、体毛が一切ない、マネキンみたいな体。ただ、心なしか、昨日の個体よりも体長が大きいような気がした。
「仕方ないわね。あんたを殺すのは今日のところは諦めてあげるわ。でも、必ず抹殺するから。とりあえず、異人に襲われないように、さっさと避難しなさい」
「いや、避難しなさいと言われても」
冬子のやつ、重大なことを忘れている。
「お前が階段を壊したせいで、逃げられないのだが」
絶句する冬子。あの、俺が一番困ってるんですけどね。
「とにかく、あんたを殺すのは私なの。そいつにやられないように逃げてなさい」
「いや、無茶苦茶すぎるだろ」
口争いしていると、異人は手腕を振り下ろしてきた。俺は冬子の方に逃げ出し、それを避ける。
「なんでこっちに来るのよ」
「攻撃を避けるためだから、仕方ないだろ」
異人はクラウチングスタートを切るや、猛スピードで突っ込んでくる。冬子がとっさに炎の玉を投げつけたおかげで勢いが削がれ、間一髪避けることができた。
「あいつ、アブノーマルの割には動きが素早いわね。まさか、こんな時に上位種が出てきたってわけじゃなきゃいいけど」
上位種ってまた訳の分からない単語を。もしや、相当強い異人が出てきてしまったとか言うんじゃないだろうな。
そして、その危惧は的中してしまうことになる。
異人がまた前かがみになる。さっきと同じ突進攻撃か。いや、様子がおかしい。体全体を震わせている。このタイミングで武者震いだとすると、時期を錯誤している。
すると、突然肩甲骨が隆起した。ラクダの瘤? いや、違う。そんな不細工な代物ではない。
それはしなやかに広がっていき、二対のフレームをかたどる。このままだと、背中から鎌が生えたみたいだ。だが、そこから被膜が垂れ下がってきた。ここまで来ると、あの異人が何を体内から生成したか、嫌が上でも認知しなくてはならなかった。
あの異人は翼を生やしたのだ。
「異人上位種。ある特定部位が異常に強化されたため、あいつみたいに外見上に変化が現れた個体。あれはいわば『翼~ウィング~』といったところね」
「つまり、アブノーマルってやつよりも強いってことか」
「そういうこと」
あっさり肯定したが、それは相当まずいのでは。とりあえず、機動力が高いということは判明しているし、翼を生やしたということは、そのほかに有している能力もおのずと見当がつく。
ウィングと呼ばれた異人は、肩より発生させた翼をゆっくりとはためかせる。そして、地面を蹴り上げると、その体はそのまま低空でとどまった。地に足がついていないのに、浮力を保っている。回りくどいが、いわば空を飛んでいるのである。
「おい、あいつ飛んでるぞ」
「翼があるから当たり前じゃない」
至極まっとうだが、冷静に切り返さないでくれ。あいつを倒すということは、飛んでいる鳥と喧嘩しろという難題をふっかけているようなものだ。
「あんなのに、本当に勝てるのかよ。だって、空飛んでるんだぜ」
「異人が空飛んだぐらいで、いちいち興奮しないでくれる。うっとうしい」
いや、マネキン人形もどきがいきなり羽を生やして空を飛んだら、普通は大騒ぎすると思いますが。むしろ、異人というのは、このくらいは朝飯前でやってのける奴らばかりなのか。
ウィングは浮遊したまま俺たちの方へ滑空してきた。飛行していることを逆手に取り、地面に伏せてやり過ごす。ウィングはこれで勢いをつけたのか、更に高度をあげてこちらの様子を伺っている。天上すれすれにまで上昇されたら、当たり前だが直接的な殴る蹴るは通用しない。
「さっさと終わらせるわよ。邪魔だからどいてなさい。それとも、あいつと一緒に死にたいのなら、このまままとわりついててもいいわよ」
それはごめんなので、俺は冬子と距離を置く。冬子が右手をかざすと、そこに空気の渦が凝縮される。肌に触れる空気は冷たい。氷の玉か。これ以上炎を不発させると、建物自体が焼け崩れるのでありがたい。ただ、一面を凍らせたうえ、それを溶かすという無茶をやってのけているので、むしろまだ骨組みを保っているという方が奇跡だ。
冬子は氷の玉を発射するが、ウィングは難なく回避する。その後も一定間隔で玉を撃ちだすが、一向に当たる気配がない。やはり、相手が早すぎるのか。
いや、それだけではない。ついさっきまで、自分があの玉の標的になっていたから分かるが、明らかに球速が落ちているのだ。野球であったら、ピッチャー交代の合図が出されてもおかしくないくらいに疲弊しているといったところか。
その証拠に、冬子の呼吸が乱れている。次第に、玉を撃ちだす間隔も開いてきた。
「くそ、狙いがつけにくい」
それはそうだが、あいつだけのせいじゃないんじゃ。俺は恐る恐る訊いてみた。
「えっと、冬子さん。もしかして、俺を追いつめるために力を使いすぎたとか、そんなことないよな」
「私は、獲物を狩るときは全力を尽くす主義なの」
そこで胸を張られても困る。大してバストはないというのは、当人の前で指摘するものではない。