第108話 異人最上位種「頭髪~ヘアー~」
「よりにもよってあんさんと買い物なんてついてない」
「俺だって、男二人で買い物なんかしたくねえよ」
不平を垂れ流しつつも、俺たち二人は牧野台の商店街を歩いている。目指すはこの通りの一角にある洋菓子店。
俺たちに課せられた罰は「牧野台の商店街に売っているプレミアムショートケーキをおごること」だった。ショートケーキにしては割高だが、舌がとろけるぐらい甘くて絶品だということで、ちょっと前にワイドショーに取り上げられたことがあった。渡と割り勘で買うとしても、軍資金が親からのお小遣い依存の高校生には痛い出費だ。
「思ったんだが、先輩なんだからケーキを全部おごってくれてもいいじゃないですか」
「あんさん、都合いい時だけ先輩持ち出してもあかんで。わいは、罰ゲームを肩代わりするほどお人よしちゃいます」
どうやら財布の紐は緩みそうにない。素直に自腹を切るしかないかな。
やがて、問題の洋菓子店に到着した。お目当ての品はちょうど四個分残っていた。
「ついで買うんやから、わいらも自分の分を買ったろうやないかい」
渡の勢いに流され、予定していたよりも二倍の出費をすることになった。プレミアムケーキなんて食べる機会早々ないけどさ。それでも二千円近く消えたのは痛い。
ケーキが入った紙袋を片手に帰路に着いていた時だった。やってきてほしくない訪問者はやってきてほしくないタイミングで現れるもので、今回の例がまさにそれである。
大通りに通じる通りと住宅街への道との岐路で、あの気配を感じ取ったのだ。
「翼はん、この気配はまさか」
「渡も感じたか。しかも、相当大きいぞ」
ひょっとすると、最上位種。そうでなくとも上位種は固い。さて、どうするか。冬子に連絡を入れた方がいいかな。などと考えていると、渡が気配のする方向に一目散に走り出していった。俺は慌ててその後を追う。
住宅街に入り、幾重にも曲がりくねった道を突き進む。無我夢中で走り続けているせいで、帰り道が分からなくなりそうだ。さすがに町中で「俊足」を使うほど横着者ではなさそうだが、それでも気を抜くと置いてけぼりにされそうなほど足が速い。俊足の副次的効果というやつだろうか。
渡から百メートル近く離されつつも、ようやく目的地に到着した。そこは、粗末な遊具が数点あるだけの小さな公園だった。夏休み後半で真っ当な行楽地に出かけているのか、メインターゲットのちびっこは誰もいない。そもそも、この公園に近づくにつれ、人通りも急激に少なくなった。後数時間もすれば、会社帰りのお父さんとかで人足が回復するだろうが、このタイミングであれば異人が出現する条件として申し分ない。
公園の中央に赤い長髪の女が右足に体重を預けながら佇んでいた。美女ではあるのだがかなりの厚化粧で、特に口紅はキスされたらそのまま跡がついてしまいそうなほど濃厚に塗られていた。赤と黒のドレスをまとい、細身で背が高い。マニキュアが塗られた爪は鋭く、ハイヒールによってより長身を際立たせていた。白雪姫の魔女というよりは、いじわるな継母といった印象が強い女だ。
俺たちが身構えたのは、この女の周囲からとてつもない悪寒を感じられるからである。人間とほとんど変わらない外見からして間違いない。こいつは、最上位種の異人だ。
「あんたたち、異人の気配がするわね。その様子だと、私の気配を嗅ぎつけてきたのでしょうけれど、こっちも獲物を探していたところだから、手間が省けて助かったわ」
「ぬかせ。あんさん、また異人の仲間を増やす気やったんやろ。これ以上好き勝手はさせへんで」
「仲間を増やす、ね。それもあるけれど、私はある人を探しているの」
異人が人探しだって。意外な言葉に、俺は警戒を緩める。しかし、この次に放たれたのはとんでもない一言だった。
「異の世界に侵入して暴れまわった翼ってやつを」
渡がふと俺の方に視線を向ける。相手に正解を与えているようなものだからやめろ。俺は必至で首を振るが、もはや後の祭りだった。
「ひょっとすると、その背の高い青二才が翼なの。なんか拍子抜けね。もっと強そうなやつかと思ったのに。後でテイルのやつをお仕置きしないといけないわ」
「テイルだって」
これまた予想外な人名が出てきてしまったため、俺は声を張り上げる。
「テイルって、聖奈はんの彼氏っちゅう疑惑がある異人のことやろ。この女、そいつと関係があるんかいな」
「テイルのことを知っているってことは、あんたらのどちらかが翼っていうのは間違いないわね。察しの通り、私はテイルから翼について聞いたのよ。ざまあないわね、半分人間のやつに翻弄されて、異の世界から逃げられたうえに、上位種の『耳』まで失うなんて。おまけに、翼は『空白』と結託してるっていうじゃない。
テイルが相当悔しがってたから、その翼というのがどんな男か気になって、彼の復讐に協力してあげることにしたの。まあ、見たところこの私がすんなり倒しちゃうかもしれないわね」
そう言って女は高笑いする。危惧していたが、俺は異の世界ではお尋ね者となっているらしい。そうなると、俺を狙う刺客が続々とやってくるのか。とんでもなく面倒なことになってきたぞ。
「さっきから聞いてれば、翼ばかり持ち上げられて面白くないやんか。あんさんの事情は知らへんけど、どうせわいらの世界を乱そうとするんに変わりはないやろ。そんならわいが直々にお仕置きしたる」
蚊帳の外になりかけている渡がマスクを外して進み出る。口元からは鋭利な白い牙をのぞかせていた。
「翼ってやつを始末したかったけれども、邪魔するなら仕方ないわね。あんたから先に遊んであげるとするわ」
女もまた、赤毛をつまむと一気にそれを引き抜く。髪の毛はそのままへたるかと思われたが、逆に一直線に硬化し、数十センチほどの針へと変貌した。
「それがあんさんの能力か」
「名乗り忘れていたけれども、私の名は『頭髪』。髪の毛を自在に硬化させることができるのよ」
挨拶もそこそこに、ヘアーが髪の毛の針を片手に接近してきた。あの針が主力武器だとすると、接近戦主体のようだ。それにしても、ドレスを着用しているにも関わらず、あっという間に渡との距離を詰めてきている。意外と機動力は高いみたいだな。