第105話 宿と最強の敵
「まあ、それぞれに思うところがあるでしょうが、このまま論争を続けていたらキリがありません。そろそろ夕方ですし、今日のところは一旦お開きにして、また改めて話し合うということでどうでしょうか」
時計を確認すると、夕焼け小焼けのメロディーが流れてきそうな時間帯になっていた。異の世界の出来事などを話し合っているうちに、かなりの時間を消費してしまっていたようだ。
「わしらとしても、すんなり考えが聞き入れられるとは思うておらん。今日のところは共存する考えがあると分かってもらっただけで充分じゃ。さて、ブランクよ。宿を確保しにいかんとな」
「そうね」
マスタッシュは百合を連れて事務所を後にしようとする。宿を確保するだって。思うことがあり、俺は彼らに訊ねる。
「宿だったら、異の世界に戻ればいいんじゃないですか。ほら、あの洞穴みたいなところがありますし」
「そうしたいのもやまやまなのじゃが、わしらは帰りたくても帰れそうにないのじゃ」
首を傾げていると、百合が説明を引き継いだ。
「異の世界で人間である翼を助けた上に、上位種異人であるイアを倒している。そんなことをして主が許すわけがない。帰ったところで、本格的に掃討されて消されるのがオチ」
「つまり、わしらは異の世界でのお尋ね者となってしもうたのじゃ」
こっそり絶対零水を持ち帰るだけのはずが、結果的にテイルと大々的に逃走劇を繰り広げてしまったからな。前から百合やマスタッシュは異端者としてマークされていたそうだし、このタイミングで戻ったら襲撃されるというのは頷ける。
「それで、人間の世界であれば、異人の手が及ぶ可能性は著しく低い。だから、身を隠そうというわけね」
露骨に嫌そうな顔をしながら、冬子が話をまとめた。ただ、こちらで宿を探すとしても、そう簡単にいくとは思えないぞ。百合がそうだったように、マスタッシュもこちらの通貨を有しているとは思えないし。
「そういうことでしたら、このマンションのオーナーに掛け合って、空いている部屋を貸してもらえないか頼んでみましょうか」
「そんなことができるんですか」
「余裕でしょ。このマンションに事務所を構える時も、オーナーの弱みを握って家賃を値下げさせたぐらいだし」
「お嬢さん、それは言わない約束でしょ。さて、最近オーナーが変わったみたいですが、あのおばちゃんの情報は……」
鼻歌気分でスマートフォンを操作している。相変わらず、人の良さそうな笑みを浮かべているが、一体全体どうしたことだろう。所長が悪鬼としか思えない。時折漏れ出る笑い声がかなり不気味だ。
「さすがに、今夜すぐに手配するのは無理ですから、今日のところはこの事務所を貸しますよ。翼君とかも散々寝泊りしていますからね」
気絶していてやむを得なかったからな。それで、冬子。無闇に下半身を抑えるのはやめろ。あのパンチラ事件をまだ根に持っていたのか。
「わいらも帰らせてもらおうかな。と、思うたけど、最後に訊いておきたいことがあるんや」
「あら、奇遇ね。私も同じことを思っていたのよ。なんなら、あんたに質問の権利を譲るわ」
「おおきに。そんなら訊くけど、あんさんらの大ボスにあたる異の主ってどんな奴なんや」
「本当に偶然ね。私もそれを知っておきたかったのよ」
「いやあ、すごいな。ここまで波長があうなんて、冬子はんと相性ばっちりやないか。このままわいと付き合ってくれてもいいんやで」
「うざい、黙れ」
「すいまへん」
……なんだこの漫才。
「気を取り直して、異人であれば、異の主のことは知っているわよね」
「もちろん。異の主は、その名の通り、私たち異人の王たる存在」
「金色の長い髪をした長身の男で、とんでもない戦闘力を持っておる。ただ、その素性は、異人であるわしらでさえ、はっきり把握できてない点が多いのじゃ。確実なのは、実力は全異人中最強ということじゃの」
王を名乗っているだけあり、簡単には倒せない相手ってことか。それに、異人の口から「最強」だと告げられると、かなりの現実味を帯びてきてしまう。
「最強の異人か。なら、倒しがいがあるってもんや」
「あんたと同意するのは嫌だけど、難敵というのは認めるしかないわね」
この話で武者震いしているこいつらはどうにかできないでしょうか。
結局、百合とマスタッシュを事務所に残し、今日のところはお開きとなった。異人と共存するどころか、異の主打倒に向けて奮起させてしまった気がするのだが。
分かってはいたことだが、冬子と聖奈はそれぞれ異人に対して憎むべき事件を経験しているため、完全に説得するのは困難だ。マスタッシュや百合がしばらくこっちの世界に留まるというし、ゆっくりと説き伏せるしかないかな。