第10話 冬子の逆鱗
「礼を言われるなんて、畏れ多いわ。なにせ、お礼をしたいのは私の方だし」
冬子は腰のあたりで両手を広げた。手のひらからそれぞれ、テニスボールぐらいの大きさの火の玉と氷の玉が出現する。
「あなたは、異人の存在を知ってしまった。それを口外されては困るので、やむを得ずに始末した。これで、私があなたを殺す大義名分ができたじゃない」
「おいおいおいおい! それは屁理屈ってレベルじゃねえぞ。お前、最初から俺を殺す気で異人について教えたのかよ」
「そうよ」
あっさり肯定しやがった。ここまでされると、冬子の神経の方が、異人の存在よりも異常ではないかと疑いたくなる。冗談じゃない。簡単に殺されてたまるか。
俺は、あのぼろい階段を駆け下りて逃走を図ろうとした。途中で踏み外す危険性もあるが、炎や氷やらで嬲り殺されるよりかマシだ。
だが、冬子は俺の行動様式などお見通しだったようだ。俺が階段へと一歩を踏み出そうとすると、その足元に炎の玉が叩き付けられた。その後も連続して炎やら氷やらが飛来してきて、階段の足場を突き崩していく。
やがて、踊り場から先は途中で寸断され、階段としての機能が完全に奪われてしまった。
「これで逃げられなくなったわね。それか、ここから飛び降りて自殺する?」
退路を塞がれたか。こうなってしまっては、冬子と戦うしか生き延びる方法がない。それか、一か八かで飛び降りるか。
と、ここで、俺はあることに気が付いた。
「ちょっと待て。この階段を壊したら、お前も帰れないんじゃないのか」
「……」
まさか、それを考えずに階段をぶっ壊したのか。だって、ここから脱出するには、あの階段を下るしかない。窓から飛び降りようものなら、どういうことになるかは小学生でも分かる。
「か、帰れないってわけじゃないわ。ど、どうにかするから」
「いや、思い切り動揺してるよね」
こうなってしまっては、警察か消防を呼ぶしか手はなさそうだ。いや、でも、そんなことをしたら、どんなお咎めが来るか分からない。当然、学校にもこのことは伝わり、下手をすれば退学。
おい、完全に詰んでるじゃないか。
俺が頭を抱えていると、妙に周囲の空気が熱を帯びてきた。顔を上げると、冬子が無言で炎の玉を生成していた。しかも、冷めた目をしている。自暴自棄にでもなったのだろうか。
「帰る方法はゆっくり考えるとするわ。とりあえず、あなたを抹殺するという当初の目的は果たしておかないと」
「この機に及んで、まだ俺を殺そうとしてんのかよ。ここは普通、協力するなりして脱出するべきだろ」
「あんたバカ? 私は、あなたを確実に始末するために階段を破壊したのよ。今更、協力して脱出するわけないじゃない」
それはもっともだけど、開き直られては困る。とりあえず、時間を稼ごう。
「えっと、とにかく、火の玉をぶつけるのはまずいんじゃないか。変なのに引火してまた火事を引き起こしたら、逃げられないまま焼死するぞ」
「それは困るわね」
冬子は火の玉を収縮させた。熱気が一気に冷めていく。やけに物分かりがいい。
しかし、熱の冷め方が異常だ。肌に突き刺さるほど空気が痛い。嫌な予感しかしないが、俺は冬子の掌を確認する。
すると、今度は冷気の塊を生成していた。
「炎がダメなら氷をぶつければいいじゃない」
「なんだその、マリー・アントワネットみたいな思想は」
元の発言も十分ゲスだが、これはそんな次元ではない。やむを得ず、俺はフロア内で逃走を図る。玩具の残骸がそこらに散乱しているせいで、かなり走りにくい。
冬子は移動することなく、俺の足跡に確実に氷をぶつけてくる。俺の身代わりとなったロボットの人形が氷の標本になっていた。火事で火あぶりにされたうえ、冬子に氷漬けにされるとは。おもちゃとはいえ、同情したくなる。
動きを止めたら、氷が着弾するのは確実だ。とにかく走り回るしかない。陳列棚だったものを盾にして休憩しつつ、俺は縦横無尽に逃走した。氷の彫刻が増えるにつれ、周辺温度も下がってきているようだ。冬子のやつ、ここら一帯を凍らせて疑似冷蔵庫でも作る気か。俺を本気で殺そうとしているのなら、それくらいやりかねない。
障害物が増えてきているせいで、俺の逃げ場も自動的に制限される。凍結した地面に足を滑らせて転倒してしまったところ、目の前に氷漬けにされた陳列棚が立ちふさがった。そして、振り返ると、冬子が冷気を発したまま俺を見下していた。
「チェックメイトね。ゼロ距離なら炎でも問題ないから、このまま焼き尽くしてあげましょうか」
冷気が引っこんだと思ったら、すぐさま熱気が襲ってきた。熱くなったり寒くなったりせわしない。なんて達観している場合ではない。近距離で炎の玉なんか使われたら不可避だ。物理的に防ぐ手立てがない以上、冬子の気をそらすしかない。
「俺の口封じをしたいってのは分かったが、なにも殺すことないだろ。それに、お前は、異人から人々を守るために戦っているんじゃないのか。それなのに殺人なんて犯したら本末転倒だと思うぞ」
「……あんた、勘違いしてるわ」
いや、間違ったことは言っていないはずだ。要は、異人という侵略者から人々の平和を守るため、秘密裏に行動しているってことだろ。
「私は別に、世界平和だの、そんな崇高な目的のために異人を排除しているわけじゃない。私にとって異人は仇敵。やつらを駆逐するためなら、多少の犠牲は厭わないわ」
「だからって、人を殺していいわけないだろ。それじゃ、あの異人ってやつと大差ないじゃないか」
異人は、自分の仲間を増やすために、無差別に人を襲っているらしい。それならば、冬子の行為はどうだ。彼女がなぜ異人を倒したがっているか分からないが、そのためなら人殺しさえ躊躇しない。そんなのはもはや、人間じゃない、怪物の思考だ。
俺の指摘を前に、冬子の顔がゆがんだ。心なしか、熱気が先ほどよりも強烈になっている。いきなりサウナに放り込まれたような。体中から汗が流れ出してきて、カッターシャツにまとわりつく。
その汗は、暑さのせいとばかり思っていた。だが、なぜだか背中がぞくぞくする。これは、冷や汗か。
そして、体がすくんでしまい、思うように動けない。蛇ににらまれた蛙とでも言うのだろうか。冬子の眼光は、俺の体を完全に縛り付けていた。
「私が、あの異人と変わらないですって」
一歩ずつこちらに歩み寄ってくる。冬子の体格は、同学年の女子と比べても小柄のはずだった。だが、憎悪に満ちた瞳と燃え盛る熱気が合わさり、今の彼女は憤怒の般若にしか思えなかった。
「それだけは言われたくないわよ!!!」