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富士急行線 3

 今回は都留文科大学前~富士山です

 都留文科大学前駅を発車した電車は一気に勾配を駆け上がり、十日市場駅に到着する。


 十日市場駅は一面一線で待合室があるだけの停留所タイプの駅だ。駅周辺は住宅街となっているが、乗降客はそれほど多くない。カーブした勾配上にあるのが特徴と言える。


 近くには蒼竜峡と呼ばれる滝と長年の侵食で出来た岩場があり、電車とこの絶景を撮影するポイントとなっている。


 電車は勾配を駆け上がり、次の東桂駅に到着する。2面2線の交換可能駅で、田野倉駅と同じく上下線ホームが別の位置に設置されている有人駅だ。現在本数は少なくなったが、大月駅から来た電車の中にはこの駅での折り返し電車も設定されている。


 なお、富士急行線の場合交換可能駅であっても富士山を除くとホームが上下線別にはなっていない。列車交換が無い場合は、上下線に関わらず駅舎に近い側のホームに停車するのが通例である。


 周辺は静かな住宅街であるが、駅の北側には中央高速道路が走っており、そこを通るひっきりない自動車の音が響いてくる。富士急行線の駅は都留市内に幾つか点在する団地からは距離が離れており、団地からの利用者にとってネックとなっている。


 高速道路側のホームには桜の木が植えられており、春満開の頃にはライトアップされる。


 また都留市は富士山麓にあるため、各所に湧き水があり、駅周辺に魚の養殖場なども多くはないが存在している。


 他にかつて松尾芭蕉がこの地を旅の途中に通ったことから、市内の数ヶ所にその碑が設けられている。ただし、都留市のこうした観光資源の整備は不完全著しいため、こうした物を目当てに行かれる方は要注意だ。


 東桂を出た電車は、前にも増して急勾配を駆け上がっていく。この周辺は再び田園地帯となり、春から夏は緑の絨毯が広がり、秋には美しい茶色の穂畑となる。加えて、この付近は再び富士山が眺望できるようになるポイントである。


 東桂を出た電車は富士急行線の最長駅間を走行し、三つ峠駅へと到着する。三つ峠駅は1面2線の交換可能駅で、その名の通り三つ峠への登山口の駅となっている。一時は大分寂れていたが、最近の登山ブームを受けてか、案内看板などが再整備されている。


 大月からノンストップで走ってくる富士登山電車やホリデー快速もこの駅には停車する。なお特急は停車しないので、要注意。


 三つ峠を発車した電車はさらに勾配を駆け上がる。この付近では40パーミルと言う急勾配を緩和するため、カーブを大きく切りながら、電車は喘ぐように昇って行く。


 40パーミルとは1000m進む間に40m昇ると言う意味で、鉄道の敷設限界の確度だ。富士急行線が登山電車と呼べる所以である。


 ちなみに、作者はかつて都留から富士吉田まで自転車で走ったが、行きは喘ぎながら2時間掛かったが、帰りは30分で降りてこられた。しかも帰りはほとんど漕がなくて良かったことを付け加えておく。


 ただこの急勾配の代償と言うべきか、車窓には晴れであれば富士山が大きく窓に映る。一部の列車では減速運転やアナウンスも入るし、登山電車ではアテンダントによる写真撮影も入る。


 お正月に運転される電車も、三つ峠と河口湖間に設定されており、この区間の富士山が観光資源として成り立つものであることを示している。

 

 一方で、この区間ではかつて悲劇的な事故が発生している。昭和46年3月の朝、月江寺駅近郊の踏み切りで無人のトラックと大月行き電車が衝突し、これによって電車のブレーキ装置が破損。電車は減速不能となり下り勾配を暴走し、四つの駅を通過して最後は寿と三つ峠間の急カーブで脱線。カーブは築堤上にあったため、同時に落下。死者17名と負傷者69名を出す、富士急行線史上例のない大惨事となった。


 この時脱線した3100形は3104号であったため、現在富士急行の車両から末尾4と9の車両は忌み番として欠番している。


 なおこの時、廃車となった事故車両の代替車両として製造されたのが、現在トーマスランド号として有名な5000形電車である。


 そんな悲惨な過去を持つ区間を過ぎて到着するのが、寿駅である。元々は上暮地と名乗っていたが、昭和56年に改名した、1面1線の停留所式無人駅だ。


 この駅では販売していないが、寿と言う駅名の良さから有人駅では寿駅の入場券が発売しているので、福を呼び込みたい人には良いお土産になるかもしれない。


 葭池温泉前は、その名の通り鉱泉である葭池温泉の最寄駅である。この葭池温泉前では、入湯料が電車利用者であれば割引となるサービスがある。ただし、温泉自体の規模は小さいので、行く時には要注意である。


 駅の方は寿と同じく、1面1線の停留所式駅である。住宅街の中に建っているが利用者はまばらで、待合室には落書きがあるなど、少々荒廃が目立っている。早期の整備を希望したいところだ。


 続く下吉田駅は複数の側線を持ち、ホームも1面2線のある駅だ。特急は停車しないが富士登山電車を含めた快速の停車駅となっている。吉田の火祭りの際には、ここと富士吉田を折り返す臨時列車も運転される。


 ホームから駅舎へは構内踏切を渡る必要があるが、この踏切が自動車用信号機を流用したようなデザインのもので、長年使われているのも面白い。昭和50年のフィルムにも確認できる。


 数年前までは駅舎も老朽化した寂れた駅となっていたが、最近リニューアルが行なわれ、駅舎とホーム待合室は富士急御用達のデザイナー水戸岡氏にのデザインによって綺麗になっている。


 駅前ロータリーもあり、本数は多くないがワンコイン(100円)で乗車できるコミュニティーバス「タウンスニーカー」が乗り入れてくる。


 また側線に残されていた廃車となった貨物車両の整備が行なわれるとともに、JR東日本から購入された寝台特急用の24系客車が貨物車両と共に内部が見られるようにされ、小さな鉄道博物館となっている。


 それから時折交換用レールを塔載した保線車両が待機していたり、或いはちょっと哀しいが廃車車両の解体現場となったりと、中核駅ではないが面白い光景が見られる。


 1929年建築の駅舎は改装されて綺麗になっており、カフェも併設されている。このカフェでは飲み物と軽食を楽しめる。季節限定メニューもあり、電車の待ち時間に利用すると良い。線路側にも窓があるため、通過列車を間近に見ながら優雅な一時を楽しめるのも魅力だ。


 次の月江寺駅は勾配上にある1面1線の駅だ。ただし停留所よりも少しばかり規模も大きく、駅員のいる時間帯もある。しかし駅周辺の旧市街地の衰退が著しく、有人時間帯は徐々に短くなっている。


 下吉田から月江寺駅周辺は古い商店街などがある旧市街地で、郷土写真集などでは賑わっていた様子がよくわかる。しかしその後のモータリーゼーションの進展や大型郊外店の進出など、往時の面影は見る影もない。


 しかし商店街側も古い町並みを生かした街づくりや映画のロケ誘致などを行なっており、今後どのように整備されるか注目したい所だ。


 月江寺を出ると電車は富士山を真正面に見ながらさらに勾配を駆け上がり、そして右手に富士急ハイランドのジェットコースターが見え始めた所で左旋回していく。その旋回が終わる頃になって右手より線路が接近し、ほんのわずかだが並走する。


 左手にかまぼこ型の車両工場と169系の廃車体を見える所まで来ると、大月線の終点富士山駅だ。


 なお富士急行線は一括して呼ばれているが、正式には大月と富士山間の大月線と、富士山と河口湖間の河口湖線にわかれている。


 河口湖線は開通が昭和25年と、大月線よりも20年近く遅く、厳然たる別路線なのだ。


 

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