偶然も考え方を変えれば運命
「うん、やっぱり兄さんのチーズケーキは美味しいです」
隣から聞こえてくるツバキの声。
嗚呼、その声だけで兄は作って良かったと思えるよ。
「そういえば兄さん、私が学校に行ってる間に誰か来たんですか?」
「ああ、大樹と夕輝の奴がな」
「やっぱり。リビングの机にプリントが置いてあると思ったら、夕輝さんに宿題を見せてもらったんですか?」
「なっ! どうして課題の存在を知ってる、ツバキ」
「普通に考えればわかります。高校が春休みに何もさせないわけないですから」
ふ、普通なのか……。
「だとしてもどうして俺が夕輝のを写したと言い切れる」
「それは今までを振り返って」
嘆かわしい。我が妹の中での兄は課題をいつも写しているように映っているのか。まぁ、その通りなんだけど。
「だけどいつもじゃない」
「で、今回はどうしたんですか?」
「……いつもじゃない」
「それはもう聞きました。つまり、今回は写したんですね」
「うぅ……」
言い淀むと妹は大きな溜息を一つ。
「まったく、兄さんはどうしてそんなに不真面目なんですか。やればできるのに」
「俺、やればできるって言葉嫌いなんだ。人間誰だってやればできるんだよ。それはただやらない奴の言い訳。できるできないは、やるかやらないかってことだ」
あ、名言。あとでメモっとこ。
するとプチッとなに糸が切れるような音がしたきがする。隣を見てみるとなぜか眉間にしわを寄せて、青筋を作っているツバキ。なんかドス黒いオーラが漂ってる。
そしてぶつぶつとなにか呟いている。
「ツ、ツバキさん?」
「そんな偉そうなことを言うならやってください!」
俺の耳元で怒声が響く。脳が揺らされたと思うほどの頭の痛みと後にキーンと耳鳴りが起きる。
あ、耳が聞こえない。あ、マジで聞こえない。
その後もツバキがなんやら喚いていたが、まったく聞こえなかった。
「ところで兄さんはどうしてまたチーズケーキを作ってるんですか?」
数分経って耳鳴りが止んだ頃にツバキが訊く。
只今、キッチンにいる俺たち。ツバキはチーズケーキを食べ終え、俺はボールの中のクリームチーズを混ぜているところだ。
「それはな、聞くも涙、語るも涙の物語だ」
「夕輝さんと一樹さんに兄さんの分を食べられたんですか?」
ドンピシャに言い当てやがったコンチキショーー!
「……」
「兄さんどうして黙ってるんですか。やっぱり食べられたんですね。それならそうと言ってくれれば私の分を」
「我が妹よ」
「なんですか、兄さん」
「どこの世界に妹の分のオヤツを食べる兄がいるんだ。日本中、いや世界中探したってそんな奴はない。たとえいたとしても俺が消す。か弱い妹を守るのが兄の役目。それが兄貴道ってものだ!」
「あー、はいはい。そんな拳を作って熱く語らないでください。兄貴道ってものは良くわかりましたから。ほら、あとはクリームチーズを流して焼くだけですよ」
いささか冷たい妹に促されてビスケットを割って敷き詰めた上にクリームチーズを流し、オーブンへと入れる。
「ふぅー、出来上がりは一時間後か」
「また明日、兄さんのチーズケーキが食べられますね」
「そうだ。どうせ余るだろうから友達に持っていくか?」
「いいですか?」
「どうせ、食べきれないしな。迷惑じゃなかったら」
「ありがとうございます、兄さん。みんな喜びます」
と満面な笑みを浮かべるツバキ。
嗚呼、生きててよかったぁ。
「に、兄さん、顔がニヤケてます」
「生まれつき生まれつき」
「うわ………」
ツバキは引き気味にキッチンから去って行った。
どうやらまたしても兄としての威厳が損なわれたようだ。
「このままいけばどうなるんだろ……」
たぶん、まず敬語じゃなくなる。その次にご飯を作ってもらえなくなる。そんで口も利いてもらえなくなって、ついには別居。
あ、ありうる。ツバキは今、思春期真っただ中。ちょっとしたことでグレて、「こんな役立たずいらない」って家から飛び出して、最悪パリに行っちゃうかも。
「やっぱり兄の威厳は保った方がいいのか……」
昨日はそれで失敗してるし、何か良い方法は……。
そこでピンポーン、と来客を知らせるチャイムが鳴る。リビングから足音が聞こえたので、ツバキが行ったようだ。
「兄さ~ん、お隣に引っ越してきた人が挨拶に来ましたよ」
しかし、すぐに玄関からお呼びの声がかかる。
ついに来たか。
とりあえず行ってみると、そこにはツバキの他にもう一人女の子が立っている。手には色とりどりの包み紙で包装された箱。
「よう、一日ぶり」
「え?」
俺が声をかけると、女の子はその顔に似合わず惚けた声が出る。そして俺の姿を脚の先から頭のてっぺんまで見渡す。
「あれ? どうしてここに? ここ、私の隣の部屋ですよね」
何とも見事な慌てっぷりだ。一日前には見せなかった姿だ。
いや、偶然とは本当に恐ろしいものだ。昨日あったあの超美女が隣の部屋に引っ越してくるなど誰が予想できる。まぁ、俺は地図を渡された時に気付いていたけど。
神様がいるなら、今日という日を与えてくれたことを感謝したい。
本当にありがとう!
「貴方は悪い人ですね」
そう言い放って、「いいえ、違う」と直ぐに否定した。
「凶悪な人です」
ランクがかなり上げられた。
慌てふためき終わった超美女は、リビングで俺と一緒にツバキがお茶を持ってくるのを待っている。向き合うように座ってしまったから、めっちゃ睨まれる。
どうやら俺はそこまで怒らせるようなことをしてしまったらしい。
「いや、悪かった。騙すつもりはなかったんだ。ただ、言いだすタイミングがなくなったっていうか、なんていうか……」
何かを言うたびに彼女の睨みがキツくなっていく気がする。よほど根に持ってるらしい。
「兄がご迷惑をかけたようで、すいませんでした」
とキッチンからお茶を運んできたツバキが代わりに謝ってくれる。
さすがは我が妹。いいタイミングだ。
「兄は少しというか、かなりの悪戯好きの変わり者でして、どうかこの愚兄を許してやってください」
……そこまで言わなくてもいいじゃないかなぁ。
「べつに怒ってるわけじゃないんです。その……」
ツバキからお茶を受け取ってようやく睨むのを止めてくれた。
背中が冷や汗でびっしょりだ。
「ただ、その凄い慌てちゃって見苦しい所を見せたから……恥しかっただけで……」
と顔を赤くして歯切れの悪そうに言う。
なるほど、慌てた姿を見れたことが恥しかったわけだ。
意外と初だな。
「と、とにかく、今日は引っ越しの挨拶にきたんです」
無理やり話題を変えて、おもむろに立ち上がる。
「今日から隣の部屋に住まわせてもらうことになった山吹九重と申します。ご迷惑をかけることもあるでしょうが何とぞよろしくお願いします」
と上品にお辞儀する。その姿はやっぱりお淑やかな大和撫子だ。
「兄さん」
見惚れていると、横腹をツバキに小突かれた。
向こうが立って挨拶したなら、こっちも立つのが礼儀だ。
俺とツバキは立って向き合う。
「俺は花里翌檜。でこっちが妹のツバキ。多分こっちの方が迷惑をかけると思うけど、よろしく頼むよ、山吹」
「主に兄さんだけがですが」とツバキのちゃちゃが入ったがとりあえず最初の挨拶は無事済んだ。
「花里くんに、ツバキちゃんね、わかりました」
俺だけ苗字。ちょっとショックを受けながら椅子に座り直す。
「えっと、山吹さんは」
「九重でいいですよ。私もツバキちゃんって呼ぶから」
「じゃ、じゃあ九重さんで」
とツバキは照れたように笑う。
なるほどそうやれば名前を呼ばせてくれるのか。
「この時期に引っ越してきたってことは、九重さん今年学校に入学するんですか」
「ええ、御神高校に今年入学予定なんです」
「え、本当ですか!?」
「マジ!?」
俺とツバキの言葉が重なる。
「実は俺も御神高校に入学するんだ」
「え、そうなんですか? 家は隣同士で入学する高校も一緒なんてなんだか運命を感じますね」
「同感だ。俺たちはもしかしたら前世で結ばれてたのかもしれない!」
「はいはい。九重さん、兄さんの言うことは半分が悪ふざけで出来てますから真に受けないでください」
「おい、失礼だな。俺の話は真面目100%の混じりっ気なしの純天然ものだぞ」
「どの口言うんですか、どの口が」
ツバキが俺の頬を引っ張る。
「千切れる! 千切れちゃう! お味噌汁が飲めない口になっちゃう!」
「いいですねそれ。一品作らなくて済みます」
なんという鬼畜な妹!
そんなことをしていると、山吹が微笑んでいる。
それを見て急に恥しくなったのかツバキは頬から手を離した。
引っ張るようにして。
「痛っ!」
最後に強烈なのをもらった。
「すいません、見苦しい見せちゃって」
「仲のいい兄妹なんですね。うらやましい」
「もしかして九重さん、兄弟がいるんですか?」
「妹が一人。貴方たち程じゃないけど仲良しですよ」
と言われてツバキは顔を真っ赤にする。そんなに恥しかったのか。
「山吹さんの家族って今」
「京都の方にいるんです」
「じゃあ、もしかして一人暮らし」
「そうなんです。初めての一人暮らしだから浮かれてて」
と言ってお茶を一口。全然そうには見えない。
それにしてもあの部屋に一人暮らし。4LDKの部屋に一人暮らしって凄くないか?
「京都から来たのか。どうしてまた?」
急に山吹の動きがピタッと止まった。
「……」
沈黙が部屋を包む。
どうやら地雷を踏んでしまったようだ。ツバキもそれを察したらしく、こちらを睨んでいる。
いやだって、まさかそこに地雷があると思わなくて……。
何を言おうと考えていると、山吹が重い口を開いた。
「やりたいことがあるんです」
「そ、そうなんですか」
としか言いようがなかった。というかそれ以上追及したら今度は地雷原まで突っ走ることになる。
「今度は私から質問してもいいです?」
「ああ、どうぞ」
「花里くんって彼女はいるんですか?」
「ブゥーー」
思いっきりお茶を吹いてしまった。
「ちょっと兄さん汚い!!」
お茶が気管に入り咳き込む。
「大丈夫?」と山吹。
「大丈夫、大丈夫。まさかいきなりそんなこと訊かれると思わなくて」
言いながらテーブルを拭く。
というか山吹はどうしてそんなことを訊くんだ?
「えっと、彼女はいないです、ハイ」
「そうなんですか。花里くんカッコイイからモテそうなのに」
「マジで!!」
ヤベェ、京都美人から褒められた!
「九重さん、それ本気で言ってるんですか?」
なぜかツバキは信じられないみたいな顔をしている。
「ツバキちゃんはお兄さんが嫌いなんですか?」
「そういうわけじゃないですけど……。でも、兄さん、すっっっっごく変人なんですよ。ド変人なんです」
「おい、そこまで言うことはないだろ。確かに人より少しおかしいとは思うけど」
ド変人ってことはないだろ。
「そうね、花里くんはド変人ですね」
「なにぃ!」
思わぬ伏兵がここに!
「でも私は好きですよ。花里くんみたいな人」
「マジで!」
キタ、キタかもしれない。俺にも念願のモテ気というものが!!
「それ本気で言ってるんですか?」
と信じられなさそうなツバキ。
「ええ、花里くんみたいな人が友達になってくれたら、毎日楽しそうだもの」
……友達、そうか……友達としてか……。俺も少し都合が良すぎると思ったんだよ。
テンションが急降下した。
「に、兄さん、そんなに落ち込まなくても……」
事情を察したツバキが苦笑い。山吹は事情を飲み込めないらしく、首を傾げていた。