我が愛しの妹よ
「ただいま」
マンションの二階にある家に帰ってくると、玄関で仰向けに寝転ぶ。
今の俺のテンションはアルプスよりも高い。今日という日をこれほど感謝したことはない。もしこの巡り合わせが神様によるものだったら、俺は今すぐ教会に行って感謝の言葉を唱え続けるだろう。
「おかえりなさいって兄さん、顔が凄くニヤケてますよ」
我が妹、ツバキが出迎えてくる。
脳天で頭を支えるようにしてその姿を確認する。ショートカットの栗髪にグラビアアイドル顔負けのプロポーション、そしてその調った顔立ち。
さっきの超美少女とはまた違った可愛さがある。
「兄さん、どうしたんですか? ずいぶん、買い物にしては遅かったですけど」
「ちょっといろいろあってな」
人生の中で一番最高の出逢いをしてしまったのだ。
「いろいろって。まさか、また何かやらかしたんですか。今度は何にしたんですか?」
「我が妹よ。そんなに兄をトラブルメーカーのように呼ばんでくれ」
「へぇ、じゃあ先週、鍋に火を入れっぱなしで漫画を読み始めて危うく火災報知機を作動しかけたのは何処の誰でしたっけ?」
「……」
「先月、通販で購入数を間違って同じ本を十冊も買っちゃった人は何処の誰ですか?」
嗚呼、我が妹ながら恐ろしい形相だ。そんな顔をしてたらいつか小皺が増えるな。
「今、失礼なこと考えてるでしょ」
「これっぽっちも」
無駄に勘がいい所も厄介だ。
「嘘です。だって目がこんな風に細くなってました。なんか私のこと馬鹿にして……って兄さん目が腫れてるじゃないですか!」
どうやら、殴られた所が後になって腫れてきたらしい。
ツバキはこっちに駆け寄って膝を曲げて座り、真上から俺の顔をジッと見つめてくる。
あ。
「まったくも。やっぱり何かしてきたんですね。喧嘩ですか?」
「いや、確かに殴られたけど決して喧嘩はしてない」
「本当ですか?」
「俺の命に誓ってホント」
「喧嘩したんですね!」
「誓ってしてないって言ってるだろ!」
「兄さんの命じゃちょっと信じられないです」
「俺の命どんだけ軽いんだよ」
ここまで妹に信用がないと兄としては悲しすぎる。やっぱりここは兄としての威厳を見せつけなければ。人生の先輩としていろんなことを教えてやればきっとツバキも兄を尊敬するはず。
「ツバキ」
「なんですか、兄さん」
腫れた目を見ていたツバキに話しかける。
「中学三年生になるからってパンツが黒ってのはやっぱりちょっと早すぎるんじゃないか?」
床に寝転がっている俺にスカートを履いて近づけば、まぁ必然的に見えてしまうわけで。
そしてそれを告げた瞬間、ツバキは顔を真っ赤にする。
そのままスカートを押さえて後ずさりをする、と思いきやツバキは立ち上がってその足で俺の顔面を踏みつけた。
「ふがぁ!」
もちろん避けることなどできず、もろに食らう。
「に、兄さんのバカァ! なんで見るんですか!」
「そもそも近づいてきたのはそっちだろ! 見たくて見たわけじゃない!」
「なぁ! 兄さんは私のパンツを見たくないっていうんですか! 見ても何も感じないんですか!」
「だから感じたことを言ってるだろ。お前に黒はまだ早い」
再び足が上がる。流石に二度も同じ手を喰うわけもなく難なくよける。
ゴン! と、でかい音が鳴る。
「お、お前、かかとを使うな! 当たったらマジ鼻とか骨折するだろ!」
「兄さんなんて顔面がグニャグニャになってお婿に行けないようにしてあげます!」
「さらりと怖いことを言うな!! 本当にそうなったらどう責任取ってくれるんだ!」
そこでツバキはピタリと黙りこくる。なぜか顔を更に真っ赤にしていく。
うわ、耳の先まで真っ赤だ。
「そ、そのときは、わ、わわわ私が兄さんを……そのお、お婿に」
もう声が小さすぎて何言ってるのかわからん。
「ツバキ、もっと大きい声で言ってくれ、聞こえん」
「だ、だから、わ、私が……私が兄さんをお婿に――!」
とその時家の電話が鳴り響く。
「あ、電話。これ夕食の食材な」
俺はビニール袋をツバキに手渡すと受話器の置いてあるリビングへと向かう。
「に、兄さんのバカァアアア!」
何故かその途中でツバキのドロップキックを後頭部に喰らうことになった。
意識が朦朧とするなかで何とかリビングへと辿り着き受話器を取る。
「はい、もしもし花里ですけど」
『あ、翌檜くんか。私だ』
「父さん? 珍しいね、そっちから電話なんて」
うちの両親は今、フランスのパリにいる。母親が外で稼いで、父親が家事全般を請け負うという形をとっているうちの家。そしてその母親は有名ブランドのデザイナーでパリを拠点としているので、父親もそれについていったのだ。
うちにはツバキという優秀な娘がいるので安心できるというわけだ。
『母さんから聞いたよ。御神高校に受かったんだってな、おめでとう』
「おめでとうってわかったのは三日前のことだぞ」
『すまんすまん。母さんから聞いたのがさっきだったんだ』
相変わらず母さんは仕事のこと以外はまったく頭にないらしい。
「まぁいいや、そっちはどう? なんか変わったことあった?」
『いや、特にこれといっては。そっちはどうだ』
「いや、俺の高校合格以外は特には」
とそこでピンときた。
「そういえば、今、ツバキが黒のパンツを着けてる」
『ほう、黒か。ツバキは確かに歳のわりには大人っぽいからな。似合うんじゃないか』
「いやいや、ツバキにはまだ早いよ。いくら大人っぽいって言ってもやっぱり中身は子供。ツバキには水玉が妥当なところ」
『翌檜くんそれは少し子供っぽすぎないか』
「じゃあ、ストライプ」
『う~ん、どうだろう。確かにツバキなら似合うけど……父さんはやっぱりピンクのフリフリがついてるのなんかが似合うと思うけど』
「確かに。流石父さん」
『だろう。今度、母さんに頼んで似合うものをデザインしてもらうか』
「いいね。じゃあ、作ったやつこっちに送ってよ。履いてる姿は後でおく――ぐえぇ!」
今日はとことん話してる途中で激痛が走日だ。なんか堅い物で頭を殴られた。
「兄さん!! 父さんとどんな話をしてるんですか!」
後ろを向くとこれまた顔を真っ赤にしたツバキ。どうやら、その手に持っているお玉で殴ったらしい。
「どんなってそりゃ、ツバキの成長の報告を」
「それでどうして私のパンツの話になるんですか!」
「そりゃ、思春期だからな。そういう小さい変化が大きな成長なんだ」
「意味がわかりません! とりあえず、ご飯出来たんでさっさと席についてください」
そういうツバキの後ろには既に料理が並べてある。
「わかった。それじゃあ、父さんそういうことだから」
『ああ、それとデザインの方だが、上下両方とも母さんに頼んでおくよ』
「了解」
そう言って電話を切る。席につくと既にツバキがパクパクと食べ始めていた。
「なんだよ。先に食べることないだろ」
「遅い兄さんが悪いんです」
「そう不機嫌になるなよ。これも大事なことなんだ」
「私のパンツの色がですか……」
うわメッチャ根に持ってる。
なんか話変えた方がよさそうだな。
「そ、そういえば今日隣の家が騒がしかったな。マンションの駐車場にもトラックとか止まってて」
「お隣に誰か引っ越してきたみたいですよ」
言い方が冷たい。
「へ、へぇ~、やっぱり挨拶とかした方がいいのかな? マンションのお隣さんになるわけだし」
一戸建ての家の隣同士より会う機会は多いだろう。ここは友好的な間柄になっておかねば。
「そういうのは向こうから来ると思いますよ。その時は兄さんが出てくださいね。一様現時点では兄さんが家長なんですから」
「家長ねぇ。ほとんど家事はツバキに頼りっぱなしだけどな」
「そうです。兄さんはもっと私に感謝すべきです」
「してるよ。いつもツバキがいてくれてよかったって思ってる」
「そ、それならいいんですけど……。お味噌汁のお代りどうですか?」
「え、あ、うん。もらう」
「はい」
ツバキは俺のお椀を受け取るとキッチンへと向かう。
どうやら機嫌を直してくれたみたいでなにより。