いいねが減るとき、私は本当の自分を知った
桜が舞い散る大学二年の春。
結衣は下着姿で、出かける前のチェックに顔を鏡に映し、眉を寄せた。
鏡に映る顔は、決してひどく崩れているわけではない。
けれど、写真に写った自分を見るたびに、どこか違う存在のように感じる。
何ていうか、全体的に冴えない。
友人たちの並ぶ自分の写真だけが、どうしても見劣りして見えた。
「角度が悪かったのかも?」
「たまたま写りが悪かっただけだよ」
そんな言い訳を繰り返し、自分を言い聞かせてきた。
だけど、その違和感が消えることはなかった。
友人たちの写真は、同じ場所、同じ時間に撮ったはずなのに、なぜか『完成されている』ように見える。
光の当たり方、表情、全体の雰囲気。
どれを取っても、自分だけがそこから少しだけ外れている気がした。
「はぁ……。」
スマホの写真を眺め、小さく溜息をところで、思い出した。
最近、盛んにCMで流れている写真の加工アプリ。
やけに明るい音楽と一緒に繰り返される『誰でも簡単に盛り、盛りぃ~!』というフレーズ。
先日買い換えた結衣のスマホの売りになっていた。
店員も、やけに自信ありげに言っていたのを思い出す。
「この機種、カメラ性能いいですし、加工もかなり自然ですよ。今みんなこれ使ってます」
そのときは、適当に相槌を打っただけだった。
どうせ自分には関係ない、と思っていたからだ。
「……やってみようかな」
パシャリと、ピースサインと笑顔で自撮りする。
もちろん、下着までは写さない。
でも、肩とブラ紐をちょっとだけ入れる。
ほんの少しだけ、計算する。
無防備に見えて、無防備じゃない角度。
自然に見えて、ちゃんと選んだ構図。
撮った写真を確認して、結衣は唇を尖らせた。
「むぅ……。」
やはり、何となく気に入らない。
加工アプリを立ち上げる。
「へーー……。本当に簡単だ」
ワンタップした瞬間、画面の中の『自分』がわずかに変わった。
頬の影が消え、目元がふっと開いたように見える。
さっきまであったはずの微妙な歪みが、すっと整っていた。
さらに加工する。
「……え?」
思わず、声が漏れた。
画面の中に写っているのは、確かに自分だ。
だけど、そこに『知らない自分』がいた。
「ふふっ……。」
試しに、SNSに投稿してみる。
コメントは『新入生歓迎コンパにいざ出陣!』だ。
送信ボタンを押したあと、結衣はスマホをベッドの上に放り投げた。
わざと、気にしていないふりをする。
でも、数秒も経たないうちに、また手が伸びていた。
画面を開く。
何も変わっていない。
「……そりゃ、そうか」
小さく呟いて、今度こそスマホを伏せる。
時計を見る。
まだ家を出るには少し早い。
クローゼットを開け、服を選びながらも、意識のどこかがずっとスマホに向いていた。
不意に、ぶる、と短く震える音。
反射的に振り返る。
一歩でベッドに近づき、スマホを手に取る。
通知が一件。
『いいね』のカウントが入っていた。
たったそれだけなのに、胸の奥がふっと軽くなる。
「……やった!」
思わず、小さく笑みがこぼれる。
もう一度、画面を更新する。
また一つ、増える。
さらにもう一つ。
ぽつり、ぽつりと数が増えていく。
それは決して爆発的ではない。
けれど、断然に『これまでよりいいペース』だった。
「……すご」
指先で画面をなぞりながら、結衣は呟く。
コメントもつき始める。
「かわいい!」
「なんか雰囲気違う?」
「ちょっとあざといw」
その一つ一つが、じわじわと体の内側に染み込んでくる。
さっきまで鏡の前で感じていた違和感が、少しずつ遠のいていく。
代わりに満ちてくるのは、確かな手応えだった。
これが、『正解』なのかもしれない。
もう一度、結衣は自分の投稿された写真を開く。
そこにいる『自分』は、やはり少しだけ知らない顔をしている。
けれど今は、その違和感よりも、そこに向けられている視線のほうが、はるかに心地よかった。
「……ま、いっか」
小さく呟き、スマホを握りしめる。
玄関に向かう足取りが、ほんの少しだけ軽くなっていた。
******
「最近、明るいよね」
「そんな色のリップ、持っていたっけ?」
「あれー? 今日はやる気じゃん?」
私は変わっていないのに、周囲の反応は変わった。
以前なら気にも留めなかった言葉が、今は妙に心地よく響く。
自分が認められているような感覚。
それは、結衣にとって安心できる支えになっていた。
「でもなー……。」
しかし同時に、小さな違和感もあった。
実際に会ったとき、相手の視線がわずかに止まる瞬間がある。
言葉にはしないが、どこか確認するような、比較するような間だ。
「うーーーん……。」
本当の私は、どっちなんだろう。
ある夜、結衣はベッドの上でスマホを眺めながら考えていた。
画面には、加工された自分の写真と、そこに寄せられたコメントが並んでいる。
しばらく迷った末、結衣はふと決意する。
「……一回、やめてみよっかな」
アプリを開き、フィルターを使わずに写真を撮る。
明るさも補正せず、そのままの自分を写す。
少し緊張しながらも、その写真を投稿した。
しばらくして、通知は鳴るものの、その数は明らかに少ない。
『いいね』も、コメントも、以前とは比べものにならないほど静かだった。
「…やっぱり、そうだよね」
結衣は画面を見つめたまま、小さく息を吐いた。
どこか予想していた結果だったが、実際に目にすると、やはり少しだけ胸が沈む。
それでも、不思議と大きな落胆はなかった。
むしろ、肩の力が抜けていく感覚があった。
これまで気にしていた数字や反応が、ゆっくりと意味を失っていく。
「でも……。」
結衣はスマホを伏せ、窓の外に目を向ける。
夜の街は静かで、遠くの灯りが淡く揺れているだけだった。
「これでいいのかもしれない」
誰に聞かせるわけでもなく、そう呟く。
『いいね』の数は少ない。
だが、その静けさの中で、結衣は初めて、自分自身に向き合えて気がした。
そして、ふとスマホが震える。
伏せた画面を裏返すと、見慣れない通知が一つだけ増えていた。
「あれ? ……どうして?」
新しい『フォロワー』の通知。
理由も、相手も分からないその一つを見て、結衣はしばらくの間、指を止める。
それは、以前のように数を追うためのものではなかった。
ただ、そこに在るだけの、小さな反応。
結衣は画面を閉じ、そのままスマホを枕元に置いた。
外では、風に揺れた木の葉が、かすかに音を立てている。
今夜はよく眠れそうな気がした。




