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いいねが減るとき、私は本当の自分を知った

掲載日:2026/08/22




 桜が舞い散る大学二年の春。

 結衣は下着姿で、出かける前のチェックに顔を鏡に映し、眉を寄せた。


 鏡に映る顔は、決してひどく崩れているわけではない。

 けれど、写真に写った自分を見るたびに、どこか違う存在のように感じる。


 何ていうか、全体的に冴えない。

 友人たちの並ぶ自分の写真だけが、どうしても見劣りして見えた。



「角度が悪かったのかも?」


「たまたま写りが悪かっただけだよ」



 そんな言い訳を繰り返し、自分を言い聞かせてきた。

 だけど、その違和感が消えることはなかった。


 友人たちの写真は、同じ場所、同じ時間に撮ったはずなのに、なぜか『完成されている』ように見える。


 光の当たり方、表情、全体の雰囲気。

 どれを取っても、自分だけがそこから少しだけ外れている気がした。



「はぁ……。」



 スマホの写真を眺め、小さく溜息をところで、思い出した。


 最近、盛んにCMで流れている写真の加工アプリ。

 やけに明るい音楽と一緒に繰り返される『誰でも簡単に盛り、盛りぃ~!』というフレーズ。


 先日買い換えた結衣のスマホの売りになっていた。

 店員も、やけに自信ありげに言っていたのを思い出す。



「この機種、カメラ性能いいですし、加工もかなり自然ですよ。今みんなこれ使ってます」



 そのときは、適当に相槌を打っただけだった。

 どうせ自分には関係ない、と思っていたからだ。



「……やってみようかな」



 パシャリと、ピースサインと笑顔で自撮りする。


 もちろん、下着までは写さない。

 でも、肩とブラ紐をちょっとだけ入れる。


 ほんの少しだけ、計算する。


 無防備に見えて、無防備じゃない角度。

 自然に見えて、ちゃんと選んだ構図。


 撮った写真を確認して、結衣は唇を尖らせた。



「むぅ……。」



 やはり、何となく気に入らない。


 加工アプリを立ち上げる。



「へーー……。本当に簡単だ」



 ワンタップした瞬間、画面の中の『自分』がわずかに変わった。


 頬の影が消え、目元がふっと開いたように見える。

 さっきまであったはずの微妙な歪みが、すっと整っていた。


 さらに加工する。



「……え?」



 思わず、声が漏れた。


 画面の中に写っているのは、確かに自分だ。

 だけど、そこに『知らない自分』がいた。



「ふふっ……。」



 試しに、SNSに投稿してみる。

 コメントは『新入生歓迎コンパにいざ出陣!』だ。


 送信ボタンを押したあと、結衣はスマホをベッドの上に放り投げた。


 わざと、気にしていないふりをする。

 でも、数秒も経たないうちに、また手が伸びていた。


 画面を開く。

 何も変わっていない。



「……そりゃ、そうか」



 小さく呟いて、今度こそスマホを伏せる。


 時計を見る。

 まだ家を出るには少し早い。


 クローゼットを開け、服を選びながらも、意識のどこかがずっとスマホに向いていた。


 不意に、ぶる、と短く震える音。


 反射的に振り返る。

 一歩でベッドに近づき、スマホを手に取る。


 通知が一件。


 『いいね』のカウントが入っていた。

 たったそれだけなのに、胸の奥がふっと軽くなる。



「……やった!」



 思わず、小さく笑みがこぼれる。

 もう一度、画面を更新する。


 また一つ、増える。

 さらにもう一つ。


 ぽつり、ぽつりと数が増えていく。


 それは決して爆発的ではない。

 けれど、断然に『これまでよりいいペース』だった。



「……すご」



 指先で画面をなぞりながら、結衣は呟く。

 コメントもつき始める。



「かわいい!」

「なんか雰囲気違う?」

「ちょっとあざといw」



 その一つ一つが、じわじわと体の内側に染み込んでくる。

 さっきまで鏡の前で感じていた違和感が、少しずつ遠のいていく。


 代わりに満ちてくるのは、確かな手応えだった。

 これが、『正解』なのかもしれない。


 もう一度、結衣は自分の投稿された写真を開く。

 そこにいる『自分』は、やはり少しだけ知らない顔をしている。


 けれど今は、その違和感よりも、そこに向けられている視線のほうが、はるかに心地よかった。



「……ま、いっか」



 小さく呟き、スマホを握りしめる。

 玄関に向かう足取りが、ほんの少しだけ軽くなっていた。




 ******




「最近、明るいよね」

「そんな色のリップ、持っていたっけ?」

「あれー? 今日はやる気じゃん?」



 私は変わっていないのに、周囲の反応は変わった。

 以前なら気にも留めなかった言葉が、今は妙に心地よく響く。


 自分が認められているような感覚。

 それは、結衣にとって安心できる支えになっていた。



「でもなー……。」



 しかし同時に、小さな違和感もあった。


 実際に会ったとき、相手の視線がわずかに止まる瞬間がある。

 言葉にはしないが、どこか確認するような、比較するような間だ。



「うーーーん……。」



 本当の私は、どっちなんだろう。


 ある夜、結衣はベッドの上でスマホを眺めながら考えていた。

 画面には、加工された自分の写真と、そこに寄せられたコメントが並んでいる。


 しばらく迷った末、結衣はふと決意する。



「……一回、やめてみよっかな」



 アプリを開き、フィルターを使わずに写真を撮る。

 明るさも補正せず、そのままの自分を写す。


 少し緊張しながらも、その写真を投稿した。


 しばらくして、通知は鳴るものの、その数は明らかに少ない。

 『いいね』も、コメントも、以前とは比べものにならないほど静かだった。



「…やっぱり、そうだよね」



 結衣は画面を見つめたまま、小さく息を吐いた。

 どこか予想していた結果だったが、実際に目にすると、やはり少しだけ胸が沈む。


 それでも、不思議と大きな落胆はなかった。


 むしろ、肩の力が抜けていく感覚があった。

 これまで気にしていた数字や反応が、ゆっくりと意味を失っていく。



「でも……。」



 結衣はスマホを伏せ、窓の外に目を向ける。

 夜の街は静かで、遠くの灯りが淡く揺れているだけだった。



「これでいいのかもしれない」



 誰に聞かせるわけでもなく、そう呟く。


 『いいね』の数は少ない。

 だが、その静けさの中で、結衣は初めて、自分自身に向き合えて気がした。


 そして、ふとスマホが震える。

 伏せた画面を裏返すと、見慣れない通知が一つだけ増えていた。



「あれ? ……どうして?」



 新しい『フォロワー』の通知。

 理由も、相手も分からないその一つを見て、結衣はしばらくの間、指を止める。


 それは、以前のように数を追うためのものではなかった。

 ただ、そこに在るだけの、小さな反応。


 結衣は画面を閉じ、そのままスマホを枕元に置いた。

 外では、風に揺れた木の葉が、かすかに音を立てている。


 今夜はよく眠れそうな気がした。




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