麺、午前3時(3)
ラーメン屋の三人
「あのなぁ~童貞っていうのはな…」
ラーメン屋のおじさんは、お客と自分を隔てるカウンターを飛び越えて、堤にラーメンを出すと、新谷に必死に童貞について、その定義を語り始めた。
「童貞はな、純粋で不器用な生き物なんだよ」
「そうなんですか?でも人間ですよ」
「だからさ~ピュアなんだよ。なんというか『性』について、想像力が豊かでさ。そういう純粋さがある」
おじさんは両手を前に広げてワケのわからないジェスチャーをする。新谷は真剣に耳を傾ける。
「せい?生きることにですか?」
「……いやだからさ…男と女がいるでしょ?……そうだ!オマエ、女性とつき合ったことは?」
おじさんは人差し指
を新谷に向ける。
「ありますよ」
「…なら話は早い……その子とはもちろん …愛しあったか?」
「愛し合った?ええ好きでしたよ」
「も、もちろん、したんだろ?肉体関係、そその…セッ…セッ…」
おじさんはあまり言い慣れてないらしい。
「交尾ですか?…しましたよ」
「へっ?俺たちは野生動物かよ!」
「交尾しましたよ」 真顔で新谷が言った。
「バカやろう~!こ、こう…こう、交尾。なんかもっと他に
言い方ないのかよ。まあいいんだけど…だからさ、オマエの言う女性と交尾したことない男性のこと童貞っていうんだよ」
その言い方に若干の照れがあらわれていた。
「そうなんですか…じゃあボクは童貞じゃないですね」
「そうだよ。そういうだよ。あのな…」
おじさんの話はまだまだ続くようだ。
堤と山下は、店のカウンターで話す新谷達を数メートル後ろのテーブル席から眺めていた。
新谷の童貞発言に、過剰に反応してきたこのラーメン屋のおじさんの勢いに圧倒され、ラーメンだけを受け取り、そそくさと2人はテーブル席に避難してきた。
ズルズルズル~
「そういうことって、どういうことだよ?」
本日二杯目のラーメンを啜りながら、堤は遠目からおじさんの発言にツッコミをいれる。メガネが曇る。「まさか童貞の一言でここまでヒートアップするなんてなぁ」
ラーメンを食べる堤を見ながら、山下は言う。組んだ足は細い。
「あの一言はないだろ?わざとじゃないか?」
「アイツはマジメだからしらないんだよきっと。言葉の意味を知る前に卒業さ」
「そんなもんか?」
「そんなもん、人によりけり」
しばらくすると山下が口を開いた。
「…そういえばさ、男と女が結婚するまでに、平均して何人の異性とつき合うか知ってるか?」
「なんだよ急に?しるかよ、そんなもん。平均出したなんて、どこの暇人だよ」
「男女差はあるらしいんだけどさ、だいたい5人ぐらいが平均らしい」
「5人かぁ~多いのか~?少ないのか?」
スープを飲む。
「わからない。まあさ、その話をジローにしてさ…オマエは一生異性の恋人ができないから、平均を下げてるな?っていったんだ。」
「そしたら?」
「そしたらさ……怒った様子もなくさ、平均があるってことはそれ以上もそれ以下もいるってことだ
……つき合うってことは、その人が自分と合っているか、どんな人なのか、見極めることだ。本当に自分のことわかってもらうことだ。
なかにはさ、容姿のこととかで自信を中々持てなくて、恋愛できなかったり、とにかく自分の魅力をうまく使って遊ぶだけの人もいる。傷ついたりもする。」
「…うん」
「その数字は失敗や成功を繰り返して、自分に本当に会う相手が見つかるまでの数だ。今は0でもいいし、初めての1でも気にしない。
ようは焦るなってさ。平均以下なら早くみつかったんだし、以上なら早かったんだ。平均を下げることは良いことだってね」
「良いことなのか?ただ恋愛できないことに対する負け惜しみじゃないのか?ただの薄っぺらい持論」堤は言う。
「俺もそう言ったんだ。確かにそうだって言ってた。でもどんな境遇であれ、恥じる事じゃない」
「そうなのかよ~」
「そういうことに対して、見栄張ったり劣等感をもったりしなければいいんじゃないかってさ。あと優越感も。オマエみたいにね?」
「ボクですか?劣等感の方?」
「いやいや優越感でしょ?」
山下はおどけていった。
「大学生はいいなぁ~青春」
おじさんは羨むような顔で新谷を見る。カウンターで、まだ2人の話は続いていた。
「青春まっただ中ですよ!」
新谷はまた笑顔だ。笑うとエクボが見える。
「俺はさ~今の奥さん一筋なの。この仕事始めた頃からずっとさ」
カウンターの向こう側で作業する奥さんを見ながらおじさんは言う。
「最初の恋?」
「そ、そうだよ!」
「純粋ですね。寄り道しようとか?もっと遊びたいとか思わなかったんですか?」
「バ、バババカ言っちゃ行けないよ。一筋なの!……でも結構、それは思ったし…」
ガン!
「ハイ!水」
おじさんの目の前を横切るように奥さんが水の入ったコップを置いていく。あまりの勢いにコップの中の水面は揺れている 。
「愛されてるんですね?」
新谷はしたり顔で、言った。
「ま、まあな」
おじさんは動揺を隠せない。
「アタシ、あんたと結婚する前はね…」
意地悪い顔で奥さんは口を開いた。
「や、やめろ!聞きたくない!」
おじさんは泣きそうだ。
「ははははっ」
誰だって自分の奥さんの過去の恋愛なんて聞きたくない。新谷は心底そう思った。
ブ~ブ~ブ~
どこかで携帯のバイブレーションが鳴っている。新谷のポケットで先ほどのジローの携帯が鳴っていた。ジローの携帯のサブディスプレイには、メールを送信した相手の名前が表示されている。
「先輩!ジローさんの携帯!」
「うん?」
カウンターから離れた位置に座る堤と山下は、新谷の元へ駆け寄った。
「大野結子からメールです」
「なに?ユウコちゃんか?やっぱりか!アイツちゃっかりしてんな」
何がやっぱりだ、新谷は思った。
「メールにロックはかかってないみたいです」
「見ちゃいますか?山下さん?」
狡猾さを象徴するような顔で堤が尋ねる。
「……チェックだ」
ポチ!
新谷はボタンを押す。 画面が切り替わる。
「………………」
「…これって?」
「なんだ?見せてみろい」
おじさんが割り込んで携帯を覗く。
「……これさ、届けてあげたら。」
さらに後ろから奥さんの声が聞こえた。
「ジローの家にいこう!」
山下が言った。
「とりあえずスープは全部飲みたいなぁ」
堤がスープを飲み始めた。




