第9話 メイドのアンヌ、絶叫とともに入室する
「お嬢さまァ!!」
その怒声の主は、コマンゾネスにつかえるメイドのアンヌであった。
「あっ、アレクシス殿下もいらっしゃったとは……。大変なご無礼をおゆるしください」
「いいよ、学園内ではそういうのなしだ。気にせず話して」
「はっ。寛大なるご宸慮に感謝いたします。それでは」
と国の第一王子であるアレクシスに許可をもらい、軽く咳ばらいをしたのち、アンヌはひきつづき絶叫した。
「お嬢さまァ! 大変でございます、火事が、学園の寄宿舎が、燃えておりまして……」
「なんてこと……すぐ行きますわ。火事の規模は? それと警備部隊に連絡はした?」
「建物が燃え落ちる勢いにまで達しようかという規模で、警備部隊への通報はほかの方にお願いをいたしました。それと原因につきまして、その、申しあげにくいのですが……」
学園が擁する警備部隊には、水の魔法の使い手も多く、現代でいう消防団のような役割もになっていた。
アンヌはちらりとまわりを見てためらったあと、告げる。
「寄宿舎に火を放ったのは、火のハンサム、オーランドさまでして……」
「オーランドさまが……!?」
一同は驚愕とともに、その名をくりかえした。
「はい、それもなんと申しあげたらよいか、その、尋常ならざるご様子でして、『コマンゾネスを呼んでこい』とおっしゃっておりわたくしが……」
コマンゾネスの脳裏に、先ほどのアレクシスの様子が浮かぶ。
もし彼もまた悪魔にあやつられたすえの凶行だとすれば……
同じ推測にいたったのか、ベネクトリックスと目があうと、うなずく。
「なおさら、すぐ行かねばなりませんね。そうだ、アレクシスさま……」
そう呼びかけようとしたところで、「なんでさらに事件が」と絶望したようにつぶやき、顔を覆って聞こえよがしのため息をつくアレクシスが、目についた。
婚約破棄の件は、本当に決定と考えていいのかと、確認しようとした。
アレクシスはとなりのいとしい人に甘えるようにそっと体重をあずけ、ベネクトリックスもまた、はげますように、そっとその背なかをさする。
──ぼくはもっと、女の子らしい人と結婚したいんだ。
先ほどのアレクシスの哀叫が、コマンゾネスの頭に反響して離れない。
自分ならば、「いますべきことをお考えなさい」とでも言って彼をしばいていただろう。
それが、彼女と自分の、違いであることは明白だった。
そして彼女の対応をこそアレクシスが求めていることも。
操られていたとはいえ、あんな観衆のなかで破棄を告げられて、はたして、とりかえしなどつくものだろうか。
アレクシス個人を深く愛していたわけではない。
それでも、あんなに大ぜいの人のまえで傷つけられた事実に、ただ、ずきずきと胸が痛んだ。
本当は、あのとき、すごく恥ずかしかった。
「……先にむかいます」
うまく呼吸ができなくなるのを感じながら、どうにかひとことだけしぼり出す。
窓枠に足をのせると、下半身の筋肉を爆発させて3階の部屋の窓からロケットのように飛び出した。
「お嬢さまァ!?」
「コマンゾネスさまッ!」
一瞬間ごとに遠くなるアンヌとマクシミリアンの狼狽を耳に入れつつ、青い月明かりや校舎の外灯を浴びて、コマンゾネスは寄宿舎の方角へと跳躍していた。
学園では、その敷地内で生活のほとんどがまかなえるように、食堂、図書館、生徒の寄宿舎、先生の独身寮から、パン工房や隅のほうには家畜小屋まであった。
寄宿舎は、応接室のある校舎からそう遠くない。
前世で電車にのっていたときのように流れていく建物や木々を流し見ながら、コマンゾネスはあえて雑念でも呼び起こすように、ゲームのことを思い出していた。
ゲーム内では、誰を攻略しようとしているときも、必ずコマンゾネスの妨害が入った。
神出鬼没としかいいようのない頻度で、学園内のイベントだろうと、学園外でのデートのときだろうと出現するのを、プレイしているときは「まあゲーム上の都合だろう」と考えていた。
いまなら、それがちがうとわかる。
コマンゾネスの移動速度は、人ならざるものの領域に達しているのだ。
下腿三頭筋をはじめとした足の筋肉があまりにも発達しており、たとえば本気で走り幅跳びをすると百メートル跳んでいくことも可能だ。
公爵家の権限をつかって主人公の居場所を調べてそこまで跳躍する、あるいは居場所がわからず、手あたり次第に探したとしてもさほどの時間はかからないであろうことが、転生してはじめて理解できたのである。
(プレイ時はあれだけ「なんでここにもコマンゾネス!?」とひっくりかえっていたのに、その脚力にいまは助けられているだなんてね……)
目もとを軽くぬぐい、ふっと口もとをゆるませて、手近の木に足をおくと同時に蹴り、空を舞う。
目的の寄宿舎が、見えた。
──炎につつまれる寄宿舎。
そしてそのまえに立っている、火のハンサムオーランド。
「来たか、コマンゾネスッ!」
白目が黒く反転しており、悪魔の内在がひと目でわかる邪悪なる笑みで、オーランドが歓迎する。
しかし、コマンゾネスはその野太い両足で地面が割れるほどの衝撃とともに着地すると、ゴムまりのごとく跳ねた。
そのままオーランドには目もくれず、寄宿舎の窓ガラスを割って中へととびこんでいく。




