第45話 マッチョ令嬢の不在
『おや、人質がみずから戻ってきてくれましたね』
気絶したヴィクトアの肉体をのっとった悪魔が、丘をのぼってきたアンヌ、オーランド、そしてロマンジーナを見てニヤリと笑う。
不穏な気配を察した火のハンサムオーランドとアンヌが、ロマンジーナをかばうように前へ出た。
「オーランドさまッ、悪魔がヴィクトアさまを操っていますッ。危険ですからロマンジーナさまを連れて逃げ……」
『余計なことを言わないでくださいね、第五王子』
「ウグゥッ!!」
左手でマクシミリアンの胸ぐらをつかんだ悪魔は、器用に服を握りこんでそのほそい首を絞める。
皮膚が絞られる激痛に、酸素をあるべきところにとどけることのできない根源的な死の恐怖が、マクシミリアンの視界に白く広がってゆく。
『コマンゾネスさまは、先ほど大地の底にある一等地へとご招待いたしました。とはいえあの人のことですから、おそらくそのままつぶれ死んではくれないでしょう。私としてもたいへん心苦しいのですが、戻ってくるまでのあいだに、あなたたちには人質になってもらいます』
「……おとなしく人質になると思うのか?」
オーランドが剣をかまえながら悪魔ににじり寄り、不服従を態度で示す。
しかし悪魔は、こどものごっこ遊びを見たときのように楽しげに哄笑した。
『おやおや、たしかに恥ずかしながら、コマンゾネスさまには何度も苦杯を喫していますからね……。抵抗できる気もちになってしまうのは無理からぬことかもしれません。が、あの人が人間の異常値なだけであることも理解できず、何百年もの研鑽を重ねてきたこの悪魔さまに敵うつもりでいるとしたらあまりにも愚かというもの……。人質はひとりふたりで十分ですし、抵抗するようなら死んでいただきましょうかね』
ゆがめた口もとに人間への憎悪をみなぎらせた悪魔に、オーランドが魔法によって木剣に火をまとわせる。
それに悪魔が目をむけた、その瞬間──
アンヌの姿がかき消えた。
悪魔がほんの一瞬の残像を追うと、マクシミリアンの逆、右側から側頭部目がけてアンヌの雷撃のごとき蹴りが飛んでくる。
即応した悪魔が右腕をあげて蹴りを受けとめると、今度はオーランドが炎の軌跡とともに目にもとまらぬ速度で迫り、マクシミリアンを握る左手首をしたたかに打つ。
悪魔の拳が解かれ、マクシミリアンが地面にたおれた。
首もとを抑え、どうにかとりもどした呼吸で喘鳴をもらしながら、少しでも距離をとろうとマクシミリアンは転がって体勢をととのえる。
そうして顔をあげると──
『ひとりでふたりが釣れましたねぇ』
と、余裕の口ぶりを崩すことなく、悪魔がアンヌとオーランドの頭部をわしづかみにしている。
それぞれの腹部に強打をくわえ、悶絶しているところをその尋常ならぬ握力でとらえたのである。
オーランドは弱々しくも腕をつかみ、直接炎で燃やそうとするが、魔法に長けた悪魔はなんの苦もなくその炎を乗っとって消し飛ばしてみせる。
『本当にこのカラダはすばらしい。私、人間の頭部が卵みたいにつぶれるところが好きなんですよねぇ。人間があたりまえに食べている卵のように、自分より上位の存在にパカッと割られることがあるなんて、あなたたちは想像したこともないでしょう。そんなことが現実に、しかも自分の身に起こるんだと理解したときの人間の表情が、たいへんそそるんですよねぇ……』
舌なめずりをしながらだんだんと握力を強める悪魔の掌中で、「ぐぁぁッ!」というオーランドの苦鳴がこだまする。
アンヌは悪魔の宿る屈強な腕に全力で爪を立てながら、
「殺すなら……平民の私から殺せ……」
と殺意ほとばしるまなざしで指の隙間から悪魔をにらみつける。
が、爪は筋肉に阻まれてくい込んでいかず、悪魔は残念そうに嘆息した。
『平民だの貴族だのくだらない、お嬢さん、人間は平等ですよ。平等に下等なんです。だから、等しくみんなで絶望しましょ、ね? そうだ、あなたたちを殺すんじゃなくて、逆に妹さんを殺して人質はあなたたちにしましょうか。「いっそ殺してくれ」って懇願するほど痛みを与えつづけてあげますからね。そうして瀕死になったあなたたちと妹の死体を見れば、コマンゾネスも怒りくるうでしょうし一石二鳥じゃあないですか?』
「やめろッ!!」
アンヌの制止に耳を貸す気はまったくなく、悪魔はロマンジーナにその残虐なる笑みを向けた。
ロマンジーナはひどく震えていたが、悪魔へ向かい、
「私は殺されてもかまわないから、ふたりを放して」
と正視して言い放った。
失望して興が削がれた表情を見せる悪魔に、マクシミリアンは、
「……ロマンジーナさまを連れて逃げる……しかしふたりは……どうしたら……」
と自身がとりうる選択肢をつぶやいて必死に頭を回転させるが、答えを見つけることのできない自分への憤怒で地を叩く。
その衝撃に呼応するように──
悪魔の後方にある地面が、ボコッと不自然に隆起した。




