第4話 マッチョ令嬢、発砲される
「アレクシスお兄さまッ!」
そんななか、群衆をかき分けてひとりの少年が顔を出した。
第五王子のマクシミリアンである。
「コマンゾネスさまが、万が一にも、そんなことをなさるはずはありませんッ! あの山のように隆々たる筋肉をご覧ください。あそこまでおのれの筋肉といちずに向き合うことのできる方が、他者を害そうなどと思うはずがありませんッ! どうか目をさましてください、お兄さまッ」
「マクシミリアンさま……」
「筋肉と向き合える」から「他者を害さない」はいささか論理が飛躍しているように感じつつも、コマンゾネスはその少年をあたたかな目つきで見やった。
コマンゾネスの、狩猟民族もかくやというほど発達した視力によってとらえた少年は、極度の緊張によってひどくふるえていた。
まだ12歳で、第二次性徴もはじまっていないあどけない顔立ちの第五王子は、とはいえ兄のアレクシスによく似ている。
「銀の風」とも称される一族特有のやわらかな銀髪、少しまるみのある輪郭に浮かぶグレーダイヤモンドにも似た大きなひとみ、意志の強さより柔和さが目立つ口もとと、兄弟そろってスマートなハンサムの分類に属することはうたがいようもない。
マクシミリアンは兄弟のなかでもとくに内向的で、いつも厚い本を抱いてコマンゾネスのそばにそっとひかえているような男の子である。
将来的には義弟となる立場もあったが、それ以上にコマンゾネスは、自分にことのほかなついてくれているこの少年を、家族のひとりのようにかわいがっていた。
ただ──
「とくに、あの、素人目にもわかりやすいのはやはり上腕二頭筋でしょうか。筋肉が筋繊維のかたまりであることがひと目で理解できるコブの凹凸は、人間が創出しうるあらゆる芸術がただひとりの肉体美にかなわないことをみごとに証明してしまっています。また、少々マニアックですし、本日のコマンゾネスさまのすてきなお衣装では隠れてしまって見えませんが、ヒラメ筋──いわゆるふくらはぎの筋肉のひとつですね、それも個人的にはおすすめです。幾本もの筋肉が複雑に隆起するさまは見ているだけでウットリして時間がいくらあっても足りないほど……」
度はずれの筋肉マニアであり、すきを見せるとこのように延々筋肉話をはじめてしまう悪癖がマクシミリアンにはあった。
いつも両手でかかえている厚い本も、実は筋肉の情報を網羅した図鑑であり、それを見ながらコマンゾネスの筋トレをながめることが彼にとっては至福のひとときなのであった。
「マ、マクシミリアンさま、いまはその話は……」
「いえッ、いまだからこそです! アレクシスお兄さまも、コマンゾネスさまの筋肉のすばらしさがわかってくださればきっと──」
「うるさい、うるさいッ!」
コマンゾネスとマクシミリアンのやりとりを切り裂くように、第一王子アレクシスが咆哮した。
「なにが筋肉だッ! ぼくは、その女が異様なまでに筋肉を鍛えつづけることが、ほんとうは、ずっとこわかったんだ。女だぞ? たとえば必要最低限、スタイルを維持するために鍛えるぐらいならわかる。だがこの女は、会うたびにデカくなっていくじゃないかッ! 『な、なんだか大きくなったね』とぼくが皮肉を言ったら、『よくお気づきになりましたね。ここのところの鍛錬で背なかをビルドアップすることに成功しまして』などと流暢に返されたときのぼくの気もちが、おまえにわかるか!? ぼくはもっと、女の子らしい人と結婚したいんだ。ベネクトリックスのような女の子らしい女の子とッ!」
焦点が合っておらず、つばを飛ばしてがなり立てるさまは、第一王子がなにかよからぬものに支配でもされているような──まるで禁忌の魔法に操られでもしているような、そんな想像を見るものに起こさせた。
しかしその一方で──これは、彼が隠してきた本音でもあるのだろうと、コマンゾネスは悲しみとともに感じていた。
おのれを、律しつづけてきた。
礼儀作法も、政治も、歴史も、魔法学も、労を惜しまず学びつづけた。
すべてを自らの血肉とすべく、何度だって復習して諳んじられるほどに机へかじりついてきた。
おのれの能力を、武芸を、苦手な魔法でさえも、たゆまずみがきつづけてきた。
ときには血を吐くような苦難にも遭ったけれど、一国の王妃としてふさわしくあるべく、民のため、家臣のため、周囲のたいせつな人たちのためにと、決して膝を折ることはしなかった。
くちびるから血をにじませながら、何度だって立ちあがってきた。
しかし、そうした錬磨とともに、いやそれ以上の熱情でもって、転生前の記憶が復してもなお筋肉を鍛えつづけたこともまた、いつわらざる事実であった……
それはあるいは、病弱だった前世の自分──10歳にもならないころ、少し走っただけで首から肺をぎゅっと握りつぶされるような呼吸困難におちいり、夕焼けにそまる校庭でかけまわる同年代の子らをただまぶしそうに、隠さずにいえば、うらめしいほどの嫉妬でながめていることしかできなかったあの日の自分の無念が、過剰な反動として表出してしまったがための筋トレであったのかもしれなかった。
日ごと大きくなっていく、女性らしさを失っていくたくましボディに、もういいではないかと言い聞かせた夜も、一度や二度ではなかった。
でも──やめることはできなかった。
女らしくあることが、私の生まれた理由なのか?
ベッドのなか、強い痛みどめさえ効かなくなってみだれる頭で「生きたい!」とさけんだとき、「女らしく」なんて前提条件を、私はつけていたのか?
転生後のこの人生がたとえ死の際に見ている幻覚にすぎなかったとしても、自由に動けるよろこびを、この生を得て見てきた季節を、世界の美しさを、ただ、味わいたい。
男らしくでも女らしくでもない、ただ、ひとりの「私」として生きていくよろこびを……
自分の肉体を鏡でチェックしているとき、ふとおそいかかるそうした葛藤を晴らしてくれるのは、いつだって筋肉から湧きいでる根源的な生命のよろこびであった。
たとえこの選択で、だれかから見放されることがあったとしても、それをすべて負い、受け入れることが自分のなすべきことではないかと、自身の胸のうちにささやきかける声がある。
(わたくしは、ただ、わたくしとともにある筋肉たちを最期まで愛する……)
覚悟を決めながら、コマンゾネスは伏していた目をあげた。
「……せめて、わたくしの家族だけは、ご寛恕くださいますよう、切にお願い申しあげます」
「ゆるすワケあるかァ! おまえの母親も、領を継いだばかりの兄も、一族郎党のこさずみなごろしだァ!」
シナリオの強制力、とでも呼ぶべきものが、あった。
自分がどんなに努力をしても避けられなかった、いわば、運命のみちびき──
ゲームのなかのコマンゾネスも、やはりいまの状況と同様に、エンディングにて第一王子の私兵隊の魔法銃によって八方から銃殺刑に処されてしまう──
そのことを理解したコマンゾネスは、ひとり目を閉じた。
その周囲には清冽な空気がただよい、凛としていて、一切のよどみがない。
そのまぶたの裏には、きびしくもやさしい母の、こんな自分を愛してくれる兄妹たちの、メイドのアンヌをはじめとした頼れる家臣の、たいせつな人たちの姿が浮かんでいる。
ピクンと、コマンゾネスのじまんの大胸筋がはねる。
そうねと、コマンゾネスは口のなかでそっと応える。
「撃て、撃て、殺せェェ!!」
もはや完全に常軌を逸したようすの第一王子がさけび、亡霊のごとく半びらきの口となっている私兵隊が銃をかまえてとりかこみ、一斉に発砲した。
「コマンゾネスさまッ!」
諫めるべきか、今後のために逆らわずにおくべきか、向背にまどう群衆に押しやられながら、第五王子のマクシミリアンが悲痛に彼女を呼んだ。
女性陣からあがる高い悲鳴が、その呼び声をかきみだす。
すべてを受け入れたコマンゾネスは、深く、深く脱力し、一瞬間ごとに魔獣のごとく自分へとおそいくる銃弾に、ただひとことこうつぶやいた。
「筋肉を──解放する」




