第32話 妹の涙、父との別れ
妹のロマンジーナは、姉であるコマンゾネスをことのほか慕っており、
「わたくしも筋肉をつけるの~!」
と小さいころからよくマネをしたがった。
前世の記憶をとり戻すまえのコマンゾネスは、ゲームの悪役令嬢となるほどに傍若無人なふるまいをしていたのだが、とはいえ妹やマクシミリアンなどの身内といえる人間にはもとよりやさしかった。
妹が10歳になり、少しからだが大きくなってきたこともあって、その懇願に根負けしたコマンゾネスは、バーベルの重量を極限まで軽くしてベンチプレスを経験させてあげた。
最初こそ、
「これで、お姉さまのような筋肉が……!」
と目をかがやかせていたロマンジーナだったが、たびたびつづけていると、どうも様子がおかしい。
最初は「なんともないわ」と強がっていたが、心配になったコマンゾネスが真剣に問いつづけると、胸が痛むという。
あわてて医師に見せると、肋骨が疲労骨折を起こしていることが発覚した。
さらに、ロマンジーナは常人より骨がもろいようで、「ムリな筋トレ? とかいうものはしないほうがよろしいでしょう」とその老医師は診察用の魔道具をしまいながら言った。
てっきり泣きわめくだろうと思っていた妹は、しかしただぎゅっと自分の服を握って、目に涙をためている。
その姿を見て、逆に傷の深さを察したコマンゾネスがつつみこむように妹を抱きしめると、せきを切ったように大声で泣きはじめた。
コマンゾネスも父母から大いに叱られ、以来、ロマンジーナに筋トレをさせることは禁止となってしまったのだった。
記憶をとり戻したばかりのとき、コマンゾネスは、
「しょせん、この世界はゲームにすぎないのだろうか」
と考えることがよくあった。
中世ヨーロッパや近世ヨーロッパの文化を混ぜつつ、トイレなど一部は現代日本からも要素をつまみぐいした文明のちぐはぐさ。
先ほどの老医師も、中世ヨーロッパには概念がなかったものと思われる疲労骨折を的確に診察してみせていた。
だが、コマンゾネスの目のまえには、まちがいなく妹が存在している。
生まれたときから見まもりつづけてきた妹は、まさしく現実に生きるひとりの人間として、色あざやかに記憶のなかで躍動している。
妹はいつだって、心の底をしぼり出すように泣き、またこの世の春をいとおしむように笑っていた。
妹だけではない。
父もまた、こんな自分を愛し、そして亡くなってしまった。
ゲーム中には一切出てこなかった父が、妹が、いやそれだけではなく、メイドのアンヌなどあまりにも多くの人々がこの世界には存在していた。
彼らはいまも世界のどこかで、あるいは恋をし、あるいは酒で労働の疲れをまぎらわし、ひとりひとりがその人生の明暗のなかで呼吸をしている。
病床の父が息をひきとったとき、RPGのように生きかえることもなく、ゲームの演出のようにふっと消えてしまうこともなく、からだが冷たく、かたくなっていき、しめやかに棺に入れられて、葬られた。
母は泣いていた。
兄も、妹も泣いていた。
そして自分のぬれた頬にも、気がついた。
父とは、二度と、会えなくなった。
世界がどうであろうと、この人たちは、ここにいるんだ。
であれば、「世界がゲームかどうか」を考えることに、どれだけの意味があるだろうか。
自分が自分でいられるかぎり、この世界を、この世界に生きる人たちを、自分がまもっていこう──
そう、いつしかコマンゾネスは思うようになった。
そして、そんなきっかけになったひとりであるたいせつな妹が、誘拐されたという──
コマンゾネスの表情は憤怒にそまり、拳は岩石をもたやすく砕くほどにかたく締められる。




