第22話 霧の中のマッチョ令嬢
思いがけずひびいた悪魔の声に、コマンゾネスがふりむくと同時であった。
入口のマクシミリアンにむけて、ルミエールが魔法による氷柱をすばやく放つ。
「え、え?」
来たばかりで状況を把握できない少年の、つぶらな眼球がつらぬかれる──
瞬間、その寸前でコマンゾネスが残像をのこしながら移動し、氷柱をぶ厚いてのひらで握り砕いた。
氷はバシャリと水にもどって、彼女の手からしたたる。
「こ、コマンゾネス、さま……ッ!」
もう片方の手で抱きとめられたマクシミリアンは、なにが起こっているのか理解できない様子ながらコマンゾネスのたくましい肉体にじゅんと目をうるませる。
彼をまもりながらふりかえると、すでにルミエールの姿は室内にない。
「コマンゾネスさま、あれを!」
ベネクトリックスが窓へと駆け寄り、声をあげる。
ルミエールは氷の坂を魔法でつくり出し、直立したまま窓からアイススケートのようにすべりおりていく。
この応接室は建物の3階にある。
その坂は、学園の噴水広場のほうへとつづいていて──
ルミエールは音もなく中央におり立つと、噴水に手をかざした。
「〈アイスバレット〉」
氷のような冷えた声で、ささやく。
噴水からおどり出た水がまたたくまに凍り、その周囲360度に拳大の氷の弾丸が無数に射出されると、写生の授業にいそしんでいた生徒たちに直撃する。
美術教師はあごをかすめた弾丸で気絶し、ある生徒は足の甲の骨を折られ、ある生徒は腿を撃ち抜かれる。
血と阿鼻叫喚とが広場にこだました。
「先に行きます!」
コマンゾネスが窓枠に足をのせ、3階から力強く跳躍する。
アート作品のごとき美しい氷の坂にのってぶちこわし、ひとまず気絶させようと目のまえのルミエールを全力でぶん殴る。
「お嬢さまァ! あなたが人様を全力でぶん殴ったら肉がちぎれて……!」
ちょうど学園内でコマンゾネスから言いつかっていた用をこなしており、とっさに氷の弾丸をいなしたメイドのアンヌが主人の襲来に絶叫する。
コマンゾネスのぶっとい拳が、ルミエールのからだを貫通していく──
「ギャァァァ! いつかやらかすと思ってましたが、お嬢さま、お嬢さまァ!!」
アンヌが失礼な叫声をあげるが、しかし見よ。
ルミエールであったものが、パキパキと音を立て、薄い氷像となって砕けていくではないか!
魔法で自身の写し身をつくり、攻撃をみごとにかわしたのだ。
「あぶない、あぶない……」
そううすら笑いのような声音がひびいたかと思うと、あたり一帯が濃い霧におおわれはじめた。
これもまた、彼が得意とする水属性の魔法による目くらましであった。
「さすが、学年一位の魔法の使い手……。これほど立てつづけに多様な種類の魔法をつかえるのは、精鋭が集まる学園といえどもあなたぐらいのものでしょうね」
「学年一位、そう、私は魔法で人に遅れをとったことはない……」
霧全体に、陰鬱さのまじったルミエールの声がひびく。
一節ごとに異なる場所から声が鳴るため、音から彼の居場所を特定するのは困難であった。
「あんなくだらない武術大会で勝ったから、なんだっていうのです。時代が進むにつれて、魔法の重要度は増してきている。魔法銃の増産さえかなえば、ささやかな魔力しかもたない民衆でも兵力となり、もはや武術や個人レベルの武力などというものは時代遅れの遺物と化すでしょう。しかも女性のあなたが勝ったところでなおさら価値などないというのに、そういうことを理解できない愚民たちが武術大会に意義があるだの上位入賞したら進路に有利だのピーチクパーチクさえずるのは、いささか愉快……」
「不愉快、のまちがいではなくって……?」
念のためコマンゾネスが口をはさんでおくと、しばしの間をおいて「冗談です」というつぶやきが返ってきた。
もしかすると本当にまちがえたのではないか、と思えるような間と声色であった。
「お嬢さまァ、これは、いったい、どうしたことで……?」
スススとアンヌが近寄ってきて、問う。
「アンヌ、ちょうどいいところに。ちょっとまわりを見張ってて」
そうアンヌに告げると、下半身の筋肉を爆発させ、コマンゾネスは真上へと高く跳躍した。
霧を抜け、校舎よりも高く跳びあがると、噴水広場には濃藍の巨大なドーム状の霧が立ちこめていた。
上からでもルミエールの所在を視認することはできない。
自分が全力で反復横とびをすれば風圧で霧が晴れるかもと思案しながら降下し、ふたたび霧のなかにズボッと突入し、一旦着地しようとしたときだった──
その着地点に、足から血を流して苦悶する男子生徒が出現していることに気づき、心臓がとまりそうになる。
(踏みつぶしてしまう!)
内心悲鳴をあげるが、いまさら軌道はずらせない。
コマンゾネスの重厚な両の脚が、男子生徒の顔面の上へ──
「お嬢さまァ! ジャンプするときはご自身の筋肉の重量を考えてくださいねと何度申しあげたことか……ッ!」
その窮地に気づいたのは、アンヌもまた同時であった。
そう絶叫するや、上半身をバネのごとくしならせ、両腕をコマのごとく回転させてコマンゾネスの体重を流し、その着地をわずかにずらした。
そのまま落ちていたら男子生徒がひき肉と化していたところ、その卓越した体術によって、コマンゾネスはギリギリ彼の顔の真横に着地することができた。
その足裏が、広場の石畳を踏み抜いて割っている。
「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」
「は、はひ……」
男子生徒は顔をひきつらせながらようよう声をもらした。
その状況を嘲弄するように、霧中に声がひびく。
「さっき周囲の生徒の足を中心に傷つけました。この広場には虫のように地面に転がり、這いつくばってうめいている男女が30人近くいます。さらに、私は霧のなかの物体を多少なら動かすことができる……あなたの屈強な肉体で動きまわったら、彼らはそれこそ虫のようにつぶされてしまうでしょうねぇ」
「なかなか小粋なアイデアですわね……。悪魔の入れ知恵かしら、それともあなたの発案ですか? ルミエールさま」
「…………」
背なかにひや汗のにじむコマンゾネスの問いに、ルミエールは反応しない。
こそりと、コマンゾネスはかたわらのアンヌにささやきかけた。
「アンヌありがとう、わたくし殺人者になるところでしたわ。わたくしが彼の気をひきますので、負傷した生徒のみなさまを安全なところに運んでくださる……?」
「なにがなんだかわかりませんが、お嬢さまァの無茶ぶりには慣れております……。ただこう霧が濃いと時間がかかるかと……」
話していると、顔、腕、足もとと断続的に氷柱が飛んでくるため、コマンゾネスがすべて受けて砕く。
そこへ一途な呼び声が、さわやかな風とともに吹き抜けていく。
「コマンゾネスさまッ!」




