75.覇天竜の影と、裏切りの天秤
◆視点:第三者(全体)◆
この世界ヴァルグランデには、数柱の神が存在する。
その中でも竜皇国ヴァルゼリオンが信仰するのは――神竜。
神竜には“八天竜”と呼ばれる眷属がおり、
その名を冠する家が存在する。
それが――五竜家。
炎天竜:ヴォルフレイム
氷天竜:ヴォルフロスト
岩天竜:ヴォルガイア
嵐天竜:ヴォルフィード
雷天竜:ヴォルゼクス
そして五竜家を束ねる双竜家――
白天竜:ヴァルグラディオ
黒天竜:ヴァルティエル
さらに、すべての竜を統べる皇族――
蒼天竜:ヴァルゼリオン。
竜は本来、世界の調停者としての役割を担う。
だが同時に、強者を絶対とする性質を持ち、
争いを是とする種族でもあった。
その思想が極端に傾いた果てに生まれた存在――
“九体目の天竜”。
覇天竜:ヴァルディオス。
数代前、ある皇族がその力に魅入られ、
世界の覇権を賭けた争乱を引き起こしたと、歴史に刻まれている。
――――
◆視点:ヴェルミナ◆
覇天竜――。
その名は、皇族であれば必ず教えられる、忌むべき存在だ。
竜族は血の繋がりを何よりも重んじる。
だが覇天竜に魅入られた祖は、家族にすら牙を剥いた。
己が最強であると証明するために――。
「少しは落ち着いてくださいよ~、ヴェルちゃん」
小馬鹿にするような声に、
妾は煮えたぎる思考の海から引き戻された。
視線を向ければ、面倒そうな表情でこちらを見るエルシェの姿があった。
「取り乱したようじゃな……すまぬ」
「その謝罪って、その再起不能な執務机にでしょうか~?」
そう言われて、妾は自分が寄りかかっていた執務机を見る。
そこには――ボロボロの姿で今にも崩れ落ちそうなのに、
凍結によって無理やり形を保っている執務机があった。
「のう、エルシェよ……」
「やったのはヴェルちゃんです。
応援はしてあげますから、頑張ってくださいね!」
……この幼馴染は、妾が後片付けに苦労する姿を肴にでもする気らしい。
だが、この机の中には重要な資料も入っておったはず……。
それに、妾の竜力と魔力で破壊したものを、他者に触れさせるわけにもいかぬ。
≪後でアーティファクトで修復ができるか試すしかないのう……≫
竜力は魔力に特効を持つ。
ならば、元が妾の力である以上、修復も不可能ではあるまい。
「現実逃避でしょうかぁ~?」
「口調を戻すでない!」
エルシェのからかいを受け流しつつ、妾は本題に戻す。
「それで、これはヴァルグラディオ家が絡んでおるのか?
それとも――アウグストの独断か?」
これは極めて重要な問題だ。
アウグスト単独ならまだ対処は可能だろう。
だが、片翼とはいえ双竜家が絡めば――話は別だ。
妾の問いに、エルシェはあっさり答えた。
「アウグストが関わっているのは確実です。
ですが、ヴァルグラディオ家が組織として動いているかは不明ですね」
真意を測ろうと視線を向けると、彼女は楽しげに続ける。
「いくつか情報共有をしましょうか。
まず、この増禍薬はアウグストから直接渡されました」
「飲んではいませんよ?」と付け足され、ひとまず安堵する。
だが次の言葉が、それを打ち消した。
「そして――これをアウグストに渡したのは、“竜の天秤”です」
静まり返った執務室に、喉を鳴らす音だけが響いた。
「……何人じゃ?」
「確定は一人。
他二名は疑惑止まりですね」
頭痛の種はシアの愛らしいおねだりだけで十分だというのに、
まさか竜の天秤――それも五人中、三人が関与しとるとは……。
「確定しているのは?」
「ヴァルグラディオ家のロリコンです!」
「……あやつか」
エルシェの言葉を聞いて、己の目的のため
妾に婚約を申し込んできた野心家の姿が脳裏に浮かぶ……。
≪カイルが暴走した件の事後処理もあるというのに……。
まったく、本当に頭痛がしてきたぞ……≫
このままでは皇族とヴァルグラディオ家の関係がより悪化し、
最悪……内戦にも発展しかねない。
「他に知っておる者は?」
「老害天秤の件でしたら、
竜妃様、ヴェルちゃん、それから私の両親だけですね~」
「エルシェよ……。
古竜の方々をそう例えるのはどうかと思うぞ?」
彼女は、妾がお爺様のもとで暮らしていた頃の付き人をしてくれたのだが、
その際、古竜の方々の遊び相手として、散々振り回された過去がある。
それを思えば、エルシェがそう呼ぶのも無理はない。
「まあよい。
この件はエリオスとも共有するぞ?」
「かまいませんよ。では私は――」
「もう一つ聞きたいことがある」
それで話は終わりと踵を返しかけたエルシェの言葉を遮る。
その瞬間、彼女の瞳がわずかに細まった。
「エルシェよ。
ユウトをどう思っておる?」
沈黙。
彼女は答えず、妾の真意を探るように見つめる。
だが、ほんの一瞬――確かに心が揺れたのを見逃さなかった。
エルシェも妾に気づかれたのを察したのだろう、
めずらしく不機嫌そうな顔を見せる。
「ククク……。
その顔を見るのはいつぶりかのう?」
「はぁ……ヴェルちゃんにはぁ、敵いませんねぇ~」
昔の口調から、いつもの調子へと戻り、空気がわずかに緩んだ。
――その瞬間、背筋に冷たいものが走った。
「な、何をする気じゃ?」
彼女は答えない。
ただ、どこか加虐性を孕んだ笑みを浮かべるだけだ。
「この件、吹聴するつもりはないのだぞ?」
「わかっていますよぉ~。
ですがぁ……一部の方には漏れちゃいそうですよねぇ~?」
その言葉にエリオスとシアの顔が浮かんだ。
特に妹に上目遣いで問われれば、妾は耐えられる自信はない。
「なのでぇ~……」
彼女は声に出さず、唇だけを動かし、
その内容を理解すると同時に、血の気が引くのを感じる。
「な、なぜそれを知っておる……?」
「幼馴染ですからぁ~」
ぐぬぬ……と言う妾を見て、
この鬼畜メイド、心底楽しそうな笑みを浮かべる。
だが、妾としては気が気ではない。
あれを知られては姉としての威厳が地に落ちるのは明白だ。
「……悪かった。絶対に口外せぬと誓おう」
「そう言っていただけて安心ですねぇ~」
それからは、他愛ない昔話や、
ユウトの訓練についての情報交換などをする。
久方ぶりに、エルシェとの穏やかな会話を楽しめた。
≪できれば、“昔の口調”で語らいたかったがのう……≫
それから少しして、エルシェがふと目を閉じる。
「……行きましたねぇ~」
「どこまで聞かれたと思う?」
先ほどまでの穏やかな雰囲気から一転。
妾はエルシェからの答えを待つ。
「聞かれてはいないでしょうねぇ~。
本当に膿の元は同じでもぉ、広がり方が違うのは面倒ですよぉ~」
まったく裏切りの芽は広がり方が違うらしい。
であれば、エリオスたちとの情報共有は早い方が良かろう。
「もう少し語らいたかったが……仕方あるまい」
妾は諜報妨害の魔道具を停止すると、
エルシェが扉を開けるために歩いていく。
「エルシェよ……」
思わず呼び止めた妾の声に、
彼女はまだ何かあるのか、といった表情で振り返った。
だが、言葉の続きが妾の口から出てこぬ。
呆れたようにふっと息を吐いて――
柔らかく微笑んだ。
「私が何かすることはありませんよぉ~。
弟君にはぁ、セリィちゃんがいますからぁ~」
……その答えに何も言えなくなる。
エルシェはそれ以上踏み込ませる気がないと、
妾を残し部屋から出て行くのだった。




