74.冬竜姫の素顔と、二つの闇
◆視点:ヴェルミナ◆
「ではセリィよ、エルシェが戻るまでの間、
二人のことは任せたぞ?」
「かしこまりました!」
妾が告げると、セリィは優雅なカーテシーとともに応じた。
すると、シアが少し拗ねた様子で妾のもとへやってきて、
「私の部屋じゃダメ?」と上目遣いで見上げてきた。
≪ぐぅ……。身長差ゆえか、
これをされるとつい聞いてやりたくなってしまう……≫
しかし、ここで屈しては姉としての威厳がない。
そう己に言い聞かせ、心を鬼にして首を横に振る。
だが、今回は簡単には引いてくれないようだ。
「お姉さま……私、ちゃんといい子にするよ?」
「だ、ダメじゃ! 未婚の女性が自室に男を連れ込むなどあってはならぬ!」
「ユウトは魂約者だし……ね?」
いつもは素直な分、こう粘られてしまうと弱い。
このままではまずいと、妾はエリオスへ助けを求める視線を送った――が、
やつはあからさまに顔を逸らしておった。
『気持ちはわかるがエリオスよ……
妾一人では耐えきれぬぞ!』
『ごめん姉さん、こればかりは助けられそうにないよ』
通信魔法で救援を求めたのだが、返ってきたのは何とも情けないものだった。
一国の皇太子がシスコンでどうすると言いたいが、
妾も人のことを言えないので飲み込む。
ならばとセリィを見るが、なぜか頬を赤らめ視線を逸らす。
≪お主、さきほどはあれほど頼もしく返事をしておったではないか!≫
仕方ないとエルシェを見れば、
「姉妹の戯れを邪魔してはいけませんよぉ~」などと言いながら、
ユウトをさりげなく遠ざけておった。
「お姉さま、ダメ?」
「うぅ……しかしのう、シアよ……」
妹の愛らしいおねだりに、いよいよ屈しかけたそのとき――
シアの服の裾が、クイクイと引かれた。
振り向いたシアに続き、妾も視線を向けると、
そこにはエルシェの姿。
彼女はシアに、屈むようジェスチャーし、
妹の耳元で何事か囁く。
すると、シアの顔色がみるみる青ざめ、
涙目でエルシェを見る。
「え、エルシェ……?」
「どうかしましたかぁ~?」
「えっと、それは……お母さまに迷惑が……」
「ご命令ですからぁ~♪」
……母上に報告するとでも脅されたのだろうか。
シアが身長の低いエルシェにしゃがみながら懇願していた。
≪そういえば、シアは母上に淑女教育を受け直しておったな……。
これが知られれば――≫
想像しただけで、妾の背筋に冷たいものが走る。
≪まさか、妾たちのことまで報告するつもりではなかろうな……≫
そうなれば、妾たちも母上の説教は免れぬ。
思わずエルシェの様子を伺うが――。
「ご命令……ですからぁ~♪」
このサディストは、やけに楽しげに微笑むだけだった。
結局、シアは大人しくユウトの部屋で待つことになったが、
顔色は依然として青い。
だが再び耳打ちされると、
今度は頬を上気させ、くねくねと照れ始める。
≪よし、決めたぞ。
異世界の撮影機材を最優先で作成しよう!≫
母上の説教があるかもという懸念は、
この愛らしいシアの姿を後世に残すのだと固く決意に変え、
妾は皆とともに闘技場を後にした。
――――
竜皇城に戻り、シアたちはユウトの部屋へと向かう。
妾とエリオスは、エルシェと側近数名を伴い、エリオスの執務室へと向かっていたのだが……。
「さて、エリオスよ。
先に執務室で待っておいてくれぬか?」
足を止め妾がそう言うと、エリオスは探るような視線を向ける。
だがすぐに察し、静かに頷いた。
側近たちは不満げではあったが、エリオスに促され執務室へ歩いて行った。
「ではエルシェよ、妾たちも行くとしようかのう」
「おやおやぁ~、
ヴェルちゃんの執務室は久しぶりですねぇ~」
そうして行き先を変え、妾の執務室へと歩きはじめた。
――――
バタン――。
扉が閉まる音が、静かな執務室に響く。
室内には、研究資料が無造作に積み上がっている。
「相変わらずの散らかりっぷりですねぇ~」
「こ、これでも定期的に整理してはおる!」
十数年前に総出で片付けたばかりなのだから、
まだ整っておる方だと思い見渡すが……
本棚や机に収まりきらず、床に積まれたものを見て、
そろそろ整理する時期かもしれんと思い直す。
≪普段は資料置き場としてしか使わぬから、
これでも不便はないのじゃがな≫
妾はそう思いながらも、奥へと進み執務机の縁に寄りかかる。
それから【アイテムボックス】を開き魔道具を取り出して起動した。
この魔道具は盗聴・透視などの諜報系スキルを遮断するため、
会話は外に漏れる心配がない。
「さて……エルシェよ。
妾が聞きたいことは、察しておろう?」
「何のことでしょうかぁ~?」
エルシェは小首を傾げ、とぼけようとするが、
いつものことなので軽く流して続ける。
「時間が惜しい。ここには妾とお主だけじゃ。
いつもの口調……いや、“昔の口調”に戻せ」
そう言った妾の瞳をエルシェはじっと見つめてから、
ゆっくりと目を閉じる。
そして、そのアイスブルーの瞳が開いた瞬間――
部屋の温度が数度下がったように感じる。
これは魔力でも竜力でもない。
エルシェリアの“存在感”がそう錯覚させたのだ。
クスクスと、静かな笑い。
「さすがヴェルちゃんですね。
エリオスが今の私を見たら、卒倒するかもしれませんよ?」
慇懃無礼。
しかし、妾がそれを咎めることない。
むしろ、この顔を見せる相手として、
信頼されていることに安堵した。
≪エルシェリア・ヴァルティエル。
冬竜姫と呼ばれた双竜家の神童――
いつぶりかのう、その姿を見たのは……≫
竜族は、強さを示した者には敬意を払う。
だが、エルシェは違う。
自らが“認めた者”にしか礼を払わぬのだ。
それが竜皇であろうと、竜妃であろうと。
そして今――
彼女が真に認めた者は、いない。
せいぜい“気に入った相手”の頼みを聞く程度だ。
≪だからこそ、エリオスの影として推薦したのじゃが、
まったくもって認められておらんのう……≫
ひいき目なしに優秀な我が弟でも、エルシェにとっては、
道端の石と大差ないらしい。
苦笑する妾を見て、エルシェは楽しげに口角を上げる。
「エリオスは確かに優秀ですが、それだけです。
面白くないのですよ」
その瞳は、こう告げている。
“ヴェルちゃんの弟でなければ――”と……。
その続きを想像し、妾の頬に冷たい汗が流れた。
「心配しなくても、ちゃんとお仕事はしてますよ?」
クスクスと笑いながら言うエルシェに、少しだけ安堵した。
「それより――ヴェルちゃんが知りたいのは、これでしょう?」
彼女の手のひらに、黒く禍々しい丸薬が入った小瓶が現れた。
「……それは、何じゃ?」
見たことがない。
だが、薬学と錬金術を修めた妾が
本能的に“忌避”を覚える代物。
エルシェは微笑む。
「増禍薬。
500年前にシオリたち勇者と魔族との戦争で猛威を振るった遺物だそうですよ」
その名に、戦後この国に滞在していたシオリの会話が蘇る。
戦った者だけでなく、無関係の民すら巻き込み、
戦場を混沌へと変えた忌むべき禁薬だと……。
≪なぜ、それがここに……?
邪神教とともに滅んだはずでは――まさか!?≫
妾の視線を受け、
エルシェは静かに首を振った。
「ヴェルちゃんの推測は概ね正しいです。
そして、今回の件とも繋がっています」
「……どういうことじゃ?」
どうやら妾の推測は当たっているが、
本命は邪神教ではないようだ。
エルシェは真剣な表情で妾の瞳を見つめ、
静かにその名を告げた。
「“覇天竜”――
この名、聞いたことはありますか?」
――バキッ。
その名を聞いた瞬間、
妾が寄りかかっていた執務机に亀裂が走った。




