64.戦場に降りた姉は、笑顔に狂気を潜ませる
◆視点:セリーネ◆
私は一体、何をしていたのだろう……。
地面に倒れ、
お父様とお母様を――
そして私の大切な家族を侮辱した男に背中を踏みつけられながら、
自分の不甲斐なさが、怒りとなって胸の中を渦巻いていた。
≪感情を抑えられず、あまつさえ職務を放棄し、
ユウト様を危険にさらした挙句、この体たらく……≫
勝てないことは分かっていた。
それでも、どうしても我慢などできなかった。
先代の勇者が召喚される前の時代――
魔族は戦争を起こし、傍若無人に世界をかき乱した。
そんな魔族である母を、ヴァルティエル家は温かく迎え入れてくれた。
それは、魔族の母と竜族の父との間に生まれた私に対しても同じ。
むしろ、二人の姉は異母姉妹だと感じさせないほどだった。
≪それなのに……私は……≫
そう思った瞬間だった。
突然、強大な存在感がこの場を満たす。
だが、それは恐怖を与えるものではなく、
むしろ守られているような温もりを伴っていた。
≪これは……【覇気】? ……ユウト様?≫
そう感じた直後――
「あの寄生虫がぁ……」
怒りに満ちた声が上から降ってきて、私はハッとする。
≪いけない……!
仮にもカイル様は双竜家。
このまま戦闘に発展すれば、収拾がつかなくなる……!≫
だが、痛めつけられた身体は動かない。
そんな中、私と同じ危機感を抱いた者がいたようだ。
「落ち着いてくださいユウト殿!?
カイル様もです!
このままでは皇族との対立になりかねません!」
「ああ!? ケンカ売ってきたのはあっちだろうが!?」
「だとしても、状況が良くありません!」
ひとまず、安堵する。
プライドの高いカイル様でも、レオン様なら容易に止めてくれる。
この方は、カイル様よりも圧倒的に強いのだから。
「んなもん知るか!
それに、ちょうどいいじゃねえか!
兄上の依頼も達成できて、クソ生意気な寄生虫に格の違いを見せつけられるだろ!」
「カイル様!?」
……兄上の依頼?
まさか、アウグスト様が関わっている……?
そう考えていると、誰かがこちらへ歩いてくる気配がして、
必死に顔を向けると――
「エル…シェ姉……さ…ま……?」
私の途切れ切れの呟きに、カイル様とレオン様も気づいたらしい。
口論を止め、二人とも視線を姉さまへ向ける。
「あらあらぁ、まあまあ~。
これはどういった状況なのでしょうかぁ~?」
「ああん? なんでここにエルシェリアがいんだよ?」
「……」
カイル様は露骨に不機嫌そうに吐き捨て、
レオン様は腰の剣に手をかけこそしないものの、
いつでも抜ける体勢で明確に警戒している。
エルシェ姉さまはそんな二人を前に、
愛用の扇子を広げて口元を隠した。
「そんな些末なことはどうでもよいのですよぉ~。
お姉さんはぁ、すご~く驚いていましてぇ~……。
それはもう~、びっくりなのですよぉ~?」
その言葉通りの表情を浮かべたあと、
今度は少し困ったように「とってもとっても~……」と続けた、その瞬間。
――消えた。
ドゴォォーーン!!!!?
爆裂音がカイル様の遥か後方から響き、すぐに衝撃波がここまで届く。
同時に背中にのしかかっていた圧迫感も消え去った。
何が起きたのか理解できず、カイル様の方を見ると、そこには――
「不愉快です♪」
扇子で口元を隠したまま、
楽しげな笑みを浮かべるエルシェ姉さまが立っていた。
「「なっ!?」」
私とレオン様の声が、同時に重なる。
当然だ。
確かに姉さまは強い。
だが、先ほどまで私たちとの距離は六~七メートルはあったはず……。
≪それを……レオン様ですら気づかぬ速度で移動した……?
幻術? いえ、それならとっくに術中でしょう……≫
ここまで接近されて気づかなかった以上、
幻術であれば、既に私たちは凍りついているはずだ。
≪つまり……単純な身体能力と技術力の違い……≫
それはレオン様も理解したらしく、
即座にカイル様と姉さまの間に入り、剣を構えて警戒する。
私は起き上がろうとしたが、足に力が入らない。
しかし今度は、双竜家同士の関係悪化になりかねないと思い、
エルシェ姉さまを止めようと声をかけようとして――やめた。
いや、これは正確じゃない。
姉さまから感じる“異質さ”に、声をかけられなかったのだ。
≪確かにそこにいるのに……気配がまるでない……≫
目には映っている。
だが、殺気も、存在感も、何もない。
なのに本能だけが叫んでいる。
――ここにいてはいけない、と。
そうなって私は、ようやく気が付いた。
エルシェ姉さまは――
ヴァルティエル家で、“最も私を大切にしてくれる姉”は、
今、怒っているのだ。
≪昔、一度だけ見たことがあります。
確か、ノクティア姉さまに悪戯されて泣いてしまった時でしたか……≫
その日の夜、寝室に飛び込んできた姉は必死な表情で、
とにかく許してほしいと泣きながら私に謝り続けていた――その光景が脳裏に浮かんだ。
今でも仲の良い二人で、あれほどの惨状になったのだ。
ならば親族ですらなく、ましてや仲のいい友人でもない彼らは――。
≪私の不甲斐なさは反省するとして……今は静かに黙祷を捧げましょう≫
もちろん、目を閉じては行わない。
怒った姉さまは、間違いなく本気を出す。
これは、またとないチャンスだ。
≪私も必死で修練を積みましたが、
追いつける未来が見えない。
あの、ヴァルティエル家の神童が戦うのですから……≫
思考を切り上げ、私は現状に意識を戻した。
その時、心配して来てくれたのだろう、
ユウト様が私のそばまで駆け寄り、声をかけてくださった。
「大丈夫、セリィ?」
「はい、ですが私よりも……エルシェ姉さまを全力の【竜識眼】で観察してください」
「大丈夫、扱える竜力は全開で使ってるよ!」
ユウト様も、姉さまの意図に気づいているのだろう。
吹き飛ばされたカイル様はおそらく気絶中。
そのため、レオン様も強く出られず、膠着状態になっている。
――この状況で自由に動けるのは、圧倒的実力差を見せたエルシェ姉さまだけだ。
にもかかわらず、姉さまは動かず、ただ睨み合っている。
≪ユウト様も、姉さまの意図に気づけるほど絆が深まっているのでしょう。
嬉しいことではありますが……少し、妬いてしまいますね≫
この心情も、きっと【見識】スキルなら見抜かれているだろう。
それでも、願うなら……ユウト様自身に気づいてほしい。
静寂は、終わりを告げる。
ドゴォォーーン!!!?
「ユウト様、どうやらカイル様が目を覚ましたようです」
「竜族って本当にすごいな……
あれだけ派手に壁に突っ込んでも、まだ普通に動けるのか……」
視線の先では、
瓦礫を吹き飛ばしたカイル様が、
金色の炎を噴き上げながらこちらへ歩いてくる。
怒りに満ちたその歩みの跡は、
遠目でも分かるほど地面を溶かしていた。
……だが、その怒りも、すぐに恐怖へ塗り替えられるだろう。
私たちに背を向けたままのエルシェ姉さまから、
クスクスと楽しげな笑い声が聞こえているのだから。




