60.望めない静かな朝と、求めてないハードルアップ
エルシェとの特訓を始めてから数日後――
「ユウートー!」
朝食をとるため、俺はエルシェと一緒に食堂へ向かっていた。
そのとき、背後から聞き慣れた元気な声に呼び止められる。
振り返ると、シアが今まさに全力で
俺に飛びつこうとしているところだった。
――が。
「きゃう!?」
一瞬、空中で急停止したかと思うと、そのまま床へと落下した。
顔から床に突っ伏しているシアへ視線を落とすと、彼女の腰には紐が結びつけられており、
その先には凛と佇むセリィの姿があった。
おそらくこうなることを予想していたのだろう。
セリィは透明化する紐を、
あらかじめシアの腰に結んでいたらしい。
……日本のお母さんたちの頼れる相棒、迷子紐を。
「ひどいよセリィ!
久しぶりに会ったユウトの前で、恥ずかしい姿を見せちゃったよ!?」
勢いよく起き上がったシアは、
後ろから静かに歩いてくる自分の専属メイドへ抗議する。
だがセリィは、まっすぐ俺の前まで来ると、丁寧に一礼した。
「おはようございます、ユウト様!」
どこか嬉しそうに頬を染めている。
華麗に抗議をスルーされたシアは、「無視なの!?」とショックを受けていた。
「おはよう、シア。セリィ」
俺がそう返すと、二人ともぱっと表情を明るくする。
そのとき、セリィがふと周囲を見回し、
軽く息をついてから口を開いた。
「エルシェ姉さま、隠れていないで出てきてください。
話ができません」
『おやおやぁ~……。
せっかく可愛い妹と戯れようと思っていましたのにぃ~……』
いつの間にか姿を隠しているエルシェの声が、
周囲に溶けるように聞こえてきたのだが……。
セリィが「早くしてください!」と催促すると、
何もない空間から浮かび上がるようにして現れる。
セリィのスカートを後ろからめくった変態が……。
「セリィちゃんはぁ、と~っても大胆ですねぇ~!」
「な、何をしているのですか、姉さま!?」
スカートを押さえて跳び退いたセリィを見て、
しゃがんでいたエルシェが立ち上がり、口を開く。
「セリィちゃんも大人になりましたねぇ~」
「わ、私の下着は普通で……はっ!?」
盛大な自爆に気づき、
セリィは真っ赤になって俺を見る。
その目には羞恥の涙が浮かんでいたが、
女子経験ゼロの陰キャにフォローなどできるはずもないわけで……。
結果、セリィは壁に向かってしゃがみ込んでしまった。
「エルシェ……あんまりセリィをいじめちゃだめだよ?」
シアがたしなめるが、
当の本人はニコニコしたまま、
「姉妹の戯れですよぉ~♪」
と、反省する気はまったくないらしい。
そんなカオスな状況で、
俺が言えることはただひとつ。
「……とりあえず、朝食を食べに行かない?」
コミュ力のない陰キャには、これが限界だ。
――――
食堂に入ると、すでにエリオスさんとヴェルミナさんが席に着き、雑談をしていた。
挨拶を済ませたあと、
俺はエリオスさんの隣に、シアはヴェルミナさんの隣の席に座る。
エルシェとセリィは、料理を取りに行ってくれていた。
「それで、特訓の方はどうだい?」
エリオスさんがそう尋ねると、
他の二人も気になるのか、俺へと視線を向ける。
「だいぶ強くなれたとは思います。
でも、どれくらいかと言われると……何とも言えませんね」
「ふむ、比較できる相手がおらんから仕方がないのぉ」
「それなら、私がまた相手をするのはどうかな?」
ヴェルミナさんが頷くと、
シアが身を乗り出すようにして提案してきた。
「ちょうど封印術式の性能チェックも必要だし、
ユウトの力も測れて一石二鳥だと思うの!」
今回施された封印は特殊なものらしく、
そのテストもかねて俺の力を知りたいみたいだ。
しかし――
「オススメできませんねぇ~」
そう異を唱えたのは、
料理を載せたワゴンを押してやってきたエルシェだった。
各人のメイドが料理を配膳し終えると、
エルシェ以外は後ろに控える。
≪う~ん……少しは慣れたけど、やっぱり落ち着かないなぁ……≫
そんなことを考えていると、
不満そうな視線をエルシェに向けたシアが口を開いた。
「どういうことかな?
理にかなった提案をしたつもりなんだけど」
「確かにそうですねぇ~」
エルシェは一度肯定するように頷いたあと、続ける。
「ですがぁ……今の弟君の力を正確に測るならぁ、
シンシア様は不向きですからぁ~」
その言葉が放たれた瞬間、
場の空気が一気に張りつめた。
この場にいる専属メイドたちの地位は、
形式上はエルシェと大差ない。
主が許可していないため口を挟まないだけで、
自分の主を軽んじるような発言には、
内心で強く反応したのだろう。
……だが、忘れてはいけない。
彼女たちは“メイド”であり、
エルシェの本職は“暗殺者”だ。
つまり――
「何も知らず、意見も言えないカカシ風情がぁ、
何をしているのでしょうねぇ~?」
たったそれだけの言葉で、場の緊張は一気に霧散した。
否、正確には――
エルシェを睨みつけていたメイドたちの顔が青ざめ、体を震わせていた。
「そこまでにしてやれ……」
ヴェルミナさんが呆れたように制すると、
エルシェから威圧感のようなものが消えたからか、
震えていたメイドたちは腰が抜けたように、その場に座り込んでしまった。
「まだユウトには酷かもしれないけどね。
一応、エルシェの主は君なんだから、
こういうときは嗜められるようにならないといけないよ?」
そう言われても、俺にはいまいちピンと来なかったが……。
――報告――
皇太子エリオスおよび第一皇女ヴェルミナの専属メイドが、
エルシェの発言を、それぞれの主への侮蔑と捉え、無意識に威圧を発生。
その威圧はマスターにも向けられたため、
エルシェは対象者にのみ、高濃度の殺気で飲み込み制圧しました。
エリオスは、先に無礼を行ったのが自身たちのメイドであることを踏まえつつ、
今後マスターにはエルシェの手綱を握れる存在になってほしい、
という意図で発言した可能性が高いと推測します。
――。
という内容を、【見識】スキルが教えてくれた。
≪俺にエルシェの手綱を握れって……
ハードル高すぎませんかねエリオスさん?≫
これまで一緒に行動してきて分かったのは、
エルシェに意見できる存在が極端に少ないということ。
仮に意見できたとしても、
それを聞くかどうかは、結局は彼女の気分次第だということだ。
そんな相手の手綱を握れと言われても、
装備を含むアイテムを全て失ってから、
隠しボスに挑めって言われた方がマシだと思えてしまう。
……だが、エリオスさんの言い分も理解できる。
これからもエルシェと共に行動するなら、避けて通れない課題なのだろう。
なにより、エルシェが今回こう動いたのも、おそらく俺を思ってのことなのだ。
だから、今この場で出せる答えは――
「善処します……」と言うしかなかった。
エリオスさんもヴェルミナさんも、
俺の気持ちを察してくれたのか、苦笑しながらも頷いてくれる。
そんな時、シアはじっとエルシェを見つめ、
エルシェもまた、静かに見つめ返していた。
≪頼むから、第二ラウンドとか勘弁してくれよ……≫
俺の切実な願いが通じたのか、
二人はどちらからともなく視線を外し、
それ以上の衝突は起こらなかった。
どうやら、これ以上の揉め事はなさそうだ。
するとシアが話を戻すように、エルシェへ問いかける。
「それで、エルシェの話を聞かせてもらえるかな?」
どうやら、嵐のような朝食は、まだ終わりそうにないらしい……。




