59.加速するスパルタと、不穏な気配?
翌朝――
俺は、ものすごく困っていた。
なぜなら――
「弟君~、早く起きないとイタズラしちゃいますよぉ~♪」
目を覚ました瞬間、俺の腹の上で正座している着物エプロン少女がいたら、
そりゃあ誰だって困惑すると思うんだ。
「なにやってんの、エルシェ……?」
「エルシェお姉さんのぉ、モーニングコールですよぉ~」
「コールになってなくないか……?」
「そこは些末なことなのでぇ~♪」
どうやら、指摘してはいけないらしい……。
「わかったから、どいてくれない?」
「おやおやぁ、残念ですねぇ~……」
「……なにが?」
「もしもデリカシーのないことを言ってくださればぁ、
今日の特訓をルナティック仕様にできましたのにぃ~」
そんな不穏なことを言う鬼畜メイドは、
とてもいい笑顔をしている。
……が、あいにくと俺は朝に弱いんだ。
とりあえず、言いたいことはひとつ。
≪おい、先代勇者!
一体どれだけのワードをコイツに吹き込んだんだよ!?≫
前から思っていたが、
絶対にオタクがいただろう、というフレーズがちょくちょく飛んでくる。
親近感が湧きやすいからいいんだけどさ……
――――
朝食を終えた俺は、今日も訓練場でスパルタ特訓を受けていた。
『ほらほらぁ~、よそ見してると刺さっちゃいますよぉ~♪』
「ほんっと~に楽しそうだな、オイ!?」
『とぉ~っても楽しいですぅ~♪』
幻術で姿を隠したエルシェが、
縦横無尽に投げてくる“ペナルティナイフ”を、
時には跳び跳ね、時には地面を転がり必死に回避する。
なぜここまで必死なのか――理由は単純だ。
今回のナイフには、幻術ではない“本物の毒”が塗られている。
≪死にはしないとはいえ、
痒みや痛み、くすぐったい幻覚作用のある薬だけど……
地味にキツいぞこれ!?≫
実際、数本のナイフがすでに【天竜燐】を貫通し、
肌に触れてしまっているのだ。
痒いし、チクチク痛いし、くすぐったいしで集中が削られていく。
「はぁ~い、隙ありですよぉ~♪」
すると、足元に突然氷柱がせり出し、
つんのめった俺は、その先で待ち構えていたエルシェに片手で投げ飛ばされる。
さすが見た目は少女でも、エリオスさんより年上の成竜……。
膂力がバグっている。
「ナイフだけでもキツいのに、
なんでこんな近接戦まで入れてくるんだよ!?」
「せっかく考えたぁ、ルナティック特訓を試せないのでぇ~」
理不尽だと思いながらも、追撃として飛来した氷のナイフに備え、
体勢を整えてから腕の【天竜燐】を強化して受け止める。
≪っていうか、これがルナティックじゃないとか嘘だろ!?≫
もし本当だとしたら、絶対に体験したくないと、
そんな風に思ったのもつかの間――
「ぐぅっ!?」
視界の端で何かが光り、
反射的に【多重障壁】を展開して受け止めようとした。
……が、それでも氷のナイフは貫通し、
さらに常時張られている【天竜燐】すら突き抜け、
刃の半分ほどが、右肩と腰に突き刺さった。
≪……めちゃくちゃ痛ぇ……≫
あまりの痛みに、俺がうずくまっていると、
近づいてきた足音が止まり、上から声が降ってくる。
「ふむふむぅ~、もう少し痛みに慣れてもらわないとですねぇ~」
そう言ったエルシェが指を鳴らすと、
ナイフは砕けて消え、傷も瞬時に癒えていく。
おそらく【超回復】が発動したのだろう。
「た、助かった……」
安堵して息をつく俺に、エルシェはしゃがみ込んで語りかける。
「今回はぁ、“意識外の初めての激痛”に耐えられたのでぇ、
及第点としておきましょうかぁ~」
「なんだよ、それ……」
恨みがましい視線を向けるが、
彼女はまったく気にした様子もなく続ける。
「意識外の痛みはぁ、
通常の痛みよりも強く心に残りますからねぇ~。
するとぉ、そこに“恐怖”が生まれるのですよぉ~」
「それ、トラウマって言わないか……?」
俺の指摘に、彼女はクスクスと笑いながら答える。
「それを飼いならしてもらうのが目的ですからぁ~」
俺は大きくため息を吐き、
「さすがにスパルタすぎませんかね……」と愚痴をこぼした。
「スパルタではありますがぁ、
弟君には時間がありませんからねぇ~」
「どういうこと?」
「もう少ししたらぁ、“魔法学園”に通うことになるじゃないですかぁ~」
「あっ!?」
そう言われて、
ヴァルゼリオンに来る前、ヴェルミナさんたちから聞かされていた話を思い出した。
俺を含めたクラスメイトたちは、
再来月に“魔法学園”へと通うことになっている。
「今さらだけど、超特急すぎるスケジュールだよなぁ……」
俺の言葉に、エルシェも同じ考えなのか、
珍しく少し呆れたような表情を浮かべる。
「仕方ありませんねぇ~。
どの国も今は静かに見えますがぁ、
水面下ではそれはもう……」
「そんなにヤバいの?」
驚いて問い返すと、
彼女はあっさりと「ヤバヤバですねぇ~」と答えた。
「人間は短命ですが欲深いですしぃ~、
同じく短命な獣人は、祖先の遺恨を引き継ぎますからねぇ~。
それが長命種なら、なおさらですぅ~」
どうやら五百年前の戦争は、
今なお深い傷跡を残しているらしい。
「学園がある自由都市はぁ、
種族間の隔たりが少ないのですがねぇ~。
その分、光も闇も多いのでぇ、
しっかり力をつけてくださいねぇ~!」
そう言われると、文句なんて言えなくなる。
どれだけチートスキルを持っていても、
使いこなせなければ意味がない――
それはもう、エルシェに嫌というほど理解させられているのだから。
「ではではぁ~、お昼ご飯にしましょうかぁ~」
午前の特訓は終了とのことで、俺たちは休憩室へと向かうことになった。
とりあえず、ひとときの安らぎに心身を委ねられることに安堵する。
午後に待ち構えている地獄の特訓からは、
ひとまず目を逸らしつつ、休めるときに休むのが大事だ。
≪ほんと……昼食の時間だけが、
この特訓で唯一の楽しみだからな……≫
昼食はいつも、エルシェが手作りしてくれている。
毒を扱うだけあって薬学に精通しており、
料理はいわゆる薬膳らしいが、それを一切感じさせない。
胃に優しく、するすると食べられるうえ、
回復が異常に早く、身体能力が上がっている実感すらある。
≪すべての食材に感謝するアニメキャラの気分になるな!≫
エリオスさんやヴェルミナさんが、
性格に難ありのエルシェに、俺の指導を任せるのも納得の優秀さだ。
それは特訓だけでなく、護衛としても同じことが言える。
「なあ、エルシェ……。
昨日の夕食後に話しかけてきた相手って、結局誰だったんだ?」
「おやおやぁ~?
そのとき聞かれなかったのでぇ、ご興味がないのかとぉ~」
「いや、あの悪夢みたいな特訓のあとに、
そんな余裕あるわけないだろ……」
実は昨日の夕食後、
部屋へ戻る途中で何組かに声をかけられていた。
だが、俺の背後からエルシェがすっと現れた瞬間、
全員が例外なくビクリとしてすぐに去っていったのだ。
あのときは早く寝たすぎて気にしていなかったが、
今ならちょうどいい話題だろうと思い、聞いてみたのだが――
「ふむぅ……そうですねぇ~。
トカゲの口の中に寄生する雑菌、でしょうかぁ~」
「言い方ひどすぎだろ……」
声をかけてきた相手には女性もいたが、
例外なくそう評したエルシェは、
「ふぅ~、美味しいですねぇ~」と紅茶を啜っていた。
たぶん、今の俺には聞かせたくない内容なのだろう。
そう察して、話題を変えようと考えていると――
エルシェのほうから先に口を開いた。
「さてさてぇ~、
くだらないことを気にしているようなのでぇ~、
そんな余裕がポイできる話題を提供しましょう~♪」
にっこりと笑うエルシェを見て、俺の背筋はぞくりと冷え、
恐る恐ると尋ねる。
「……今度は、何をさせる気だよ?」
「弟君のぉ~、スペシャルトレーニングについてですよぉ~」
「マジで、何をさせる気なんだよ!?」
絶叫する俺に、彼女は終始ニコニコしたまま、
特訓内容を語り始めた。
正直、聞いている限りでは理にかなっている。
……内容自体には、だが。
「ずっと思ってたけど、
俺のスキルについて詳しすぎないか……?
特に【竜識眼】――いや【見識】については、
ほとんど話してないよな!?」
「情報はある程度ヴェルちゃんから貰っていましたしぃ~、
観察する時間もたくさんありましたからねぇ~!」
それにしても、この短期間で
俺以上に把握されていることに、正直、恐怖すら覚える。
しかも、それを踏まえた特訓内容を
今日の午後から実施するというのだから、なおさらだ。
≪マジで、エルシェが味方で良かった……≫
そう心底思うと同時に、
彼女に狙われた標的に、心の中で静かに合掌するのだった。




