55.笑顔の牽制、忍び寄る不穏な影
◆視点:エルシェリア・ヴァルティエル◆
未来の弟君の部屋を出たあと、
先ほどのやり取りを思い出しながら、
私はクスクスと笑って次の目的地へ向かっていた。
――すると。
前方から、面倒そうな人物がこちらに歩いてくるのが見える。
≪はぁ~……。
せっかくの楽しい気分が台無しになりそうですねぇ……≫
嫌な予感は、たいてい当たるもの……。
私の前に立ち止まったのは、
ヴァルティエル家と対をなす双竜家――
ヴァルグラディオ家の御曹司だった。
「なにやら楽しそうだな、エルシェリア」
「これはこれはぁ~、アウグスト様ではありませんかぁ~!
ヴァルグラディオ家の次期当主が、私になにか御用でもぉ?」
アウグスト・ヴァルグラディオ。
ヴェルミナこと――ヴェルちゃんの婚約者候補として、
最有力の名が挙がるほどの強者。
≪まだ正式には決まっていなそうですがぁ、
竜族は“強さ”を何より重んじますからねぇ~≫
他の候補を歯牙にもかけない武力。
そこに誇りはあれど奢らず、常に上を目指すその精神は
多くの若い竜たちの憧れである以上、正式に決まるのも時間の問題だろう。
……まあ、それはそれ。
「エルシェリア。
なぜ貴様が、ここにいる?」
相変わらず配慮の足りないこの大男は、
私を見下ろしながら、ぶしつけに質問してきた。
≪まったく首が疲れてしまうじゃないですかぁ~……≫
そんな不満に思う気持ちを隠しつつ、この二メートル近い大男を見上げながら答える。
「ただのお散歩ですよぉ~!
ではではぁ~、ごきげんよう!」
そう言って横を通り抜けようとしたのだが――
「どこへ行く」
……予想通り、止められてしまったので、
不愉快な気持ちを隠さず、今度はジトーとした視線を送る。
「配慮の足りない殿方はぁ、
出来の悪い石像だと思うことにしてるのですよぉ~」
そう告げると、アウグスト様は一瞬考え、
膝をついて私と視線を合わせ「これでいいか?」と聞いてきた。
私は「はい、よくできましたぁ~」と返事を返したのだが、
彼は特に気にした様子はない。
≪このあたりは、殿方の中でもまだマシなんですよねぇ~≫
特にヴァルグラディオ家は武力に秀でた家系であるせいか、
他の家よりも実力主義の傾向が強く、その次に男尊女卑が酷い。
なので、女性で幼い見た目の私に対して、
実力だけを見て接してくれるのは、面倒ごとなくて楽だ。
「それでぇ~?
私がここにいる件でしたっけぇ~?」
そう聞いたらアウグスト様は無言の圧で返答してきたので、
さっきまでの考えを改めることにした。
≪……自分が聞きたいことを聞けるまで
逃がす気のないこの姿勢は、とてもとても面倒くさいですねぇ~……≫
仕方がないので、手短に答えてさっさと帰ろうと説明を始める。
――――
エリオス様から依頼を受け、
弟君のメイドになることを告げると、
アウグスト様は深く追求はせずに静かに唸る。
「……ふむ。
エリオス様が、か」
そう呟いた彼は、なにやら考え込む表情をする。
≪この方、知性はあるのですがぁ……
こうなると少し長いのですよねぇ~≫
なので私は「ではではぁ~」と立ち去ろうとしたのだが、
当然のように止められ、心底うんざりした視線を向けてみるが――
「シンシア様の魂約者は、部屋にいるのか?」
まったく気にしないといった様子で聞いてくる。
本当に、こちらが面倒に感じていることを
察してほしいのだけど……なるほど。
どうやらアウグスト様の目的は弟君のようだ。
≪私がメイドになると知ってなお、接触しようとするのですねぇ~≫
早く立ち去りたかった私だが、どうやらそう言うわけにはいかないと、
姿勢を正してアウグスト様に向き直る。
「いらっしゃいますがぁ、
どのようなご用件でしょうかぁ~?」
そう笑顔で問うと、
アウグスト様は探るような視線を向けてから口を開いた。
「どうやら、お前が気に入る相手らしいな。
警戒する必要はない。
俺は“シンシア様と婚約する予定”だった、弟の代わりに見に来ただけだ」
「アウグスト様の弟というと、カイル様でしたっけぇ~?」
――ああ、そう言えば身の程知らずのトカゲがいましたねと、
自分の記憶の奥から掘り起こす。
「“婚約する予定”は、
さすがに言い過ぎではありませんかぁ~?」
「ふむ……。
確かに、そう言われるのも無理はないな」
アウグスト様も私と、
カイル様の評価は同じなのだろう。
否定はせず、ただ低く息を吐くだけだった。
「カイルは短慮だが、努力はしていた。
だがその前に、
シンシア様が“魂の契約”を結んだ」
無念は理解してやってくれ、という視線を向けながら自身の弟を擁護する。
≪弟君に会ったら短気なトカゲが暴れそうですからねぇ~≫
そうならないように、アウグスト様が代わりに見に行くと説得でもしたのだろう。
まあどちらにしても、今の弟君を一人で会わせる気のない私は、
満面の笑顔で答えることにした。
「ご用件は理解しましたぁ~。
ですのでぇ~、
お帰りはあちらですよぉ~!」
一瞬の沈黙。
「……会わせる気はない、と?」
「ありませんねぇ~!」
私がそうはっきり告げると、
少し考えたあと、アウグスト様は立ち上がり踵を返した。
「ならば、今度はお前に用がある。
少し付き合え」
「これから大切な予定があるのですがぁ~……」
わざとらしく泣きまねをしてみるが、彼は眉ひとつ動かさず、
「用事が済んだ後で構わん」と話を打ち切られてしまった。
どうやら、今夜会うことになるのは避けられないらしい。
≪竜族の男はぁ……本当に強引ですねぇ~≫
私は、そう思いながらアウグスト様が去っていく背中を見ながら心の中でぼやくのだった。
――――
夜。
国民のほとんどが眠りに落ちた時間。
私はヴァルグラディオ家の屋敷――
アウグスト様の執務室に忍び込んでいた。
するとほどなくして扉が開き、当人が姿を現す。
「相変わらず、神出鬼没だな」
「淑女をこんな時間に呼び出しておいて、
よく言えますねぇ~?」
眉一つ動かさず皮肉を投げてくる彼に、
私も返したのだが……
「他人の執務室に許可なく忍び込み、
ひとりで優雅に茶を楽しむ者を淑女とは呼ばん」
と切り捨てられてしまった。
私としてはバルコニーで月を眺めながら、
夜風に吹かれるティータイムを楽しみたいのを我慢したのだけど……。
≪苦肉の策だったのですがぁ、酷い言われ様ですねぇ~≫
そんな風に思っていると、
彼が対面の椅子に腰を下ろしたので、私は本題に入る。
「それでぇ~?
聞きたいことはなんでしょうかぁ~?」
そう聞くと彼は鋭い視線で私を見てくる。
私だけが紅茶を楽しんでいて、
彼に用意していないことが気に入らないのだろうか?
「おやおやぁ~?普段、私が準備した物は口にしないアウグスト様も、
今日はご所望ですかぁ~?」
「そのような毒入りに興味はない」
気をきかせて聞いてみたら、酷い言われ様だったので、クスンと泣きまねをしてみる。
すると、なぜか視線の鋭さが増したので素直にやめる。
しかし彼の視線は変わらず、ただひとこと――。
「話せ」
とだけ言ってきた。
……どうやら、
体内で“暴れる力”の制御に苦労しているようだ。
昼間の冷静さは消え、額にはうっすらと汗がにじんでいる。
私は呆れた視線で、
“弟君の情報”と“依頼の結果”を書いた紙を差し出した。
アウグスト様はその内容に軽く目を走らせたあと、
再び鋭い視線を私に向けて来る。
「他の情報は?」
そう聞かれた私は、小首をかしげて『それで全部ですが?』という表情を作った。
しばしの沈黙の後――
アウグスト様は追及を諦めて
「これからも頼む」と言ってきたので、
お暇することにし私はバルコニーへの扉を開く。
そうして外へ出ようとして――
ひとつ伝えることを思い出し振り返る。
「そうそうぉ~。
昼間にお伝えした通り、専属メイドになりましたのでぇ、
トカゲを駆除しても怒らないでくださいねぇ~?」
そう言ってから今度こそ立ち去ろうとすると、
背後から、「……善処する」という声が聞こえ、夜の闇へと消える。
明日から楽しくなりそうな日々に、胸を弾ませていることを感じながら……。




