32.折れかけた自尊心と、勇者に忍び寄る黒い影
◆視点:獅童◆
「ぐっ……。ここは……どこだ?」
床に倒れていた俺はゆっくりと身体を起こし、周囲を見渡す。
「……廊下? ……っ!? そうだ、俺はあの時――!」
あのムカつく陰キャを見かけて、“実験”ついでに侍らせている女たちと遊んでやるつもりだった俺は――
逆に返り討ちにされた。
「っち……まあ、俺には手に負えなかったわけだが」
脳裏に浮かぶのは、俺のスキルがまるで通じなかったあの光景。
『一匹だけで、なぜか威嚇してるハムスター……?』
「……とか言いやがって、陰キャのくせにマジで許さねぇ……!」
怒りを吐き捨てると同時に“妙な違和感”が胸に刺さった。
『私たちが助ける必要がないってことくらい、少し見れば分かるのに』
それは竜皇国の姫が言った言葉と、魔力検査で見た“黒い稲妻”の記憶……。
その二つが繋がった瞬間――
背筋がゾクリと震え、頬を伝う汗がやけに冷たく感じた。
――アレは危険だ。かかわるな。
俺にそんなスキルはない。
だが、これまでの喧嘩の経験が本能で警報を鳴らしていた。
「あのクソ陰キャ……お前、一体“何になりやがった”?」
壁をドゴンと殴りつけ、怒りで沸騰しそうな頭を何とか落ち着かせる。
こういうときに突っ走ってもロクなことにならない。
「……ここにいても仕方ねぇ。どっか一人になれる場所でも探すか」
陰キャのことは……とりあえず後回しだ。
太陽の位置から、それほど時間は経っていないと判断し、
頭を冷やすためにも王城内を歩き出す。
その背後で――
「……あれは確か、シドウとか言う勇者……? ふふ……ちょうどいい」
小さく、しかしどこか湿り気のある声が響いたが、その声に俺は気づかなかった。
――――
「へぇ……王城ってのは無駄に広ぇな」
人のいねぇ場所を探して歩いてたら、小さな森みてぇな区画に見つけた。
部屋でウダウダ考えるよりマシだと思って、そのまま足を踏み入れたわけなんだが。
「いい感じの太い木があるし、誰も居なさそうで好都合だな!」
そう思い手ごろな太さの木に背中を預けて座る。
綺麗な泉が見えるこの場所は、少し涼しくて頭に血が上っている今の俺にはちょうどいい。
「ここは昼寝するのにもちょうどいいかもな!」
俺がこういう場所にいると、「似合わねぇ!」って笑われることも多かったが、ここならそんなことを言うバカは……。
一緒に連れてこられたヤツらの中に一人いることを思い出し顔をしかめる。
≪別にいいだろ!こういう場所は落ち着くんだよ!≫
羽郷のバカ女がニヤニヤしながら俺を小バカにしてくる顔が浮かんで、せっかく落ち着いてきた気分が一気にブチ壊れた。
そして、そんな風に考えていたのが悪いのか――。
「これはこれは勇者様。このような所でお昼寝ですかな?」
一人の貴族男が俺に近づいて来た。
中肉中背――どこにでもいそうな体格だが、薄く吊り上がった目と、貼りついたような笑みが安っぽい小悪党感を漂わせている。
≪せっかくの気分に水を差すんじゃねえよ≫
と言ってもだ、ここでケンカなんかしていいことがないのは一応わかっているつもりだ。
俺は立ち上がり、その貴族男に向き合った。
「俺になんの用だ?」
「おや、ご気分を害してしまいましたか。これは失礼をしましたな!」
絶対にそう思ってないだろう仕草に、俺のストレスはどんどん溜まっていく。
ろくな話じゃなかったら潰すことにしようと考えながら、言葉を返す。
「それで、アンタみたいな貴族が俺になんのようだ? わざわざこんなところまで来るんだ、なんか重要な内容なんだろう?」
俺は【威圧】スキルを貴族男に軽く使い、すごむ。
しかし、コイツも何も感じていないようで、気に障る笑顔を崩すことはなかった。
≪どういうことだ? 【威圧】スキルってそんなに弱いのか?≫
俺は内心少し焦りながらも、それを表情には出さないようにした。
それが上手くいったのか、貴族男は俺の心情に気づかず話を続ける。
「えぇ! とても素晴らしい提案を勇者様にお持ちしたのですよ!」
さらにもったいぶるこの男をぶん殴り対象に入れかけたが、押さえて無言で先を促すと、貴族男は俺に一つの小瓶を差し出してきた。
中には十粒ほどの、小さな赤黒い飴のようなものが入っている。
「これは……?」
「くくく……。この瓶の中には魔力増強薬が入っています。」
なるほど、これがこっちの世界でいう“ドーピング”みたいなヤツか。
俺が小瓶を観察しているのを見て、興味を引けたと思ったのか、貴族男はニタニタといやらしい笑みを浮かべてくる。
「実はそれは試作品でしてね。 あぁ、ちゃんと検証は済ませていますよ!」
どうやら検証には、人間、エルフ、獣人、ドワーフの奴隷を使ったらしい。
普通の人間や獣人は魔力が低く適合できなかったが、魔力の高いエルフとドワーフは適合したとのこと。
つまり魔力が低い奴には効果がないということか。
「この二種族は人間との混血でもありますから、魔力はあなた方勇者様より低いでしょう。」
「適合できなかったらどうなるんだ?」
「その場合は少し気分が悪くなる程度ですよ。私が自ら試しましたところ、軽い二日酔いになりました。」
へぇ、自分でも試したのか。
少し興味が湧いて、俺は瓶の蓋を開けて丸薬を一粒つまみ上げた。
それを見た貴族男の笑みがさらに深まる。
「私のように魔力が低くても二日酔い程度で済みます。
魔力量の高い勇者様なら、何も起こらないでしょう」
「……で、適合したらどうなるんだ?」
「その名の通り――魔力が五倍から十倍に跳ね上がります!
適合しなくとも、飲み続ければいずれ馴染むでしょう!」
こういう“まとわりつくような空気”の連中は、
確証がなきゃこんな危険な薬は勧めてこない。
つまり――本当に効果はあるんだろう。
だが、だからこそ。
「だったらよ……」
俺は丸薬を指先でつまみ、人差し指に乗せて親指を添えた。
「アンタが――俺の目の前でもう一度試してくれよ!」
「それはどういう意――ムグッ!?!?」
貴族男が喋り始めた瞬間を狙い、
俺は指先の丸薬を弾いて男の口に撃ち込んだ。
【先見】でタイミングを読むだけでいいから、元の世界よりずっと簡単だな。
「ゲホッ、ゴホッ……! き、貴様……!
この私にこんな真似をして、どうなるかわかっているのか!」
「へぇ、どうなるんだ? 言ってみろよ?」
さっきまでニタニタしていた顔が一瞬でひきつり、
化けの皮が剥がれた“小悪党”が剥き出しの怒りを俺に向けてくる。
≪やっぱりロクなもんじゃねぇか≫
騙そうとしてきた奴が逆に追い詰められていく――
この光景は、いつ見ても悪くない。
……と、楽しんでいたが、それどころではなくなった。
貴族男が突然、胸を押さえてえづき始める。
指を喉に突っ込んで丸薬を吐き出そうとするが――もう遅い。
「おいおい……異世界の薬ってのは、本当に“ファンタジー”ってか……?」
様子をうかがうと、男の顔には青黒い血管が浮き上がり、
それが脈を打つたびにビクビクと脈動していた。
「こりゃ……ダメだな」
直感で悟り、俺は全力でその場を離れた。
背後では――
「ゲホ……ギャハ……ぐ、ぞぉ……!
ご、ンナ……あ……ズ、で……は……おぼ……れ……」
と、もはや言葉にならない断末魔が響いていたが、
それを聞く者は誰もいなかった。




