12.ため息の王太子と、騒がしい勇者さま
◆視点:ユリウス・セレディア(王太子)◆
私はエリオス様たちとの話し合いを終え、父である国王へ報告するため、侍従の足音が遠くでかすかに聞こえる廊下を歩いていた。そんな昼下がりの静かな気配は、今の私の心にほんの少しの安らぎを与えている。
「ふぅ……まさか、あのシンシア様が、あそこまで夢中になるとは……」
思わず独りごちてしまう。廊下の端に差し込む陽光が床に映り、長く伸びる影が私を見つめ返しているように思えた。
かつて留学先でお会いしたときのシンシア様は、確かに天真爛漫なお方だった。だが、その奔放さの裏には常に淑女らしい気品があり、決して節度を失うことはなかった。それが今や、ユウトさんに夢中になり、少女らしい素顔を惜しげもなく見せておられる。
――いや、それが悪いことだと責めるつもりは毛頭ない。ただ、私の胸の奥にある複雑な感情が、ため息となって零れただけだ。
「はぁ……」
気付けば、もう何度目かのため息をついていた。
それはシンシア様が変わられたからではない。留学中、仲を深めたつもりでいたのに――結局はまだ壁を作られていたと痛感したからだ。
婚約者がいながら外交を口実に近づき、贈り物やお茶、観光で距離を縮められたと思った。
だがあのときのユウトさんに向ける笑顔を見れば、私の思い込みだったとわかる。
「……だが、これで良かったのでしょう」
私は自分に言い聞かせる。あの時抱いてしまった思いは、私の弱さの産物だ。未練など断ち切らねばならない。私は王太子であり、一人の夫であり、これから父になる身でもある。
「やっと、本当の意味で自分の家族に向き直れる……」
心の中でそう呟き、妊娠中の妻の姿を思い浮かべた。あの人は私を信じ、私の帰りを待ってくれている。シンシア様への淡い未練など捨て、これからはもっと妻を大切にしよう。そう決意を固めると、胸の奥が少しだけ軽くなった。
「父上に報告する前に……少し寄って行こうか」
小さく声に出してみる。自然と歩みが速くなる。妻に会い、優しい言葉をかけ、共に未来を語る時間が欲しかった。
――その時だった。
「そ、そのようなことを言われましても困ります!」
「あぁん? それくらいいいじゃねぇか! テメェらの願いを聞いてやるんだからよ!」
突如として、廊下の先から怒鳴り声と怯えた声が混じり合って響いてきた。私は眉をひそめ、足を止める。
「……はぁ。今度は何のトラブルなのやら」
普段であれば王太子である私は介入しないのだが、元凶らしき声には聞き覚えがある。
「召喚された不安をぶつけたいだけならいいのですが……」
勇者たちは国にとって希望であると同時に、扱いを誤れば災厄ともなり得る存在だ。王太子として、その芽を摘むのは私の役目なのだ。私は深く息を吐き、歩みをその声の方へと向けた。
そう言えば勇者たちの名前はまだ聞いていなかったな……。ふと、そんなことを思いながら歩みを進め、やがて視界の先に数人の人影が見えてきた。
――どうやら、また厄介な勇者が関わっているらしい。
心の奥底で、そう予感しながら私は歩みを速めて向かうのだった。
――――
◆視点:赤城 獅童◆
「あの、そう言われても困ります!」
耳障りなほど慌てふためいた声が廊下に響いた。俺は壁際に立っているメイドを見下ろし、鼻で笑う。胸を張って見下すのはいつものことだ。少し脅してどっかの部屋に連れ込めればどうにでもなるだろ。なにせ俺は勇者様なんだからな!
「テメェらの都合を聞いてやるだぜ? それに、メイドなら勇者様に奉仕してもいいだろ? 安心しろよ! 当たったとしても未来の勇者の母親になれるぜ?」
クックックと笑うと相手の顔は真っ赤になり、唇を震わせて「い、いやです! わ、私には好きな人がいるんです!」なんて言い出す。
……へぇ、そうかい。涙で潤んだ目、怯えた顔。悪くねぇ。むしろちょっと可愛いくらいだ。泣き顔ってやつは、ゾクッと来るんだよな。今すぐにでも手を出したい衝動が一瞬、心臓を熱くする。だが、ここは城。場所が悪い。下手にやらかせば後が面倒になる。
「そんなの黙ってればバレねぇって! それに俺ならソイツよりいい思いさせてやれるぜ?」
俺がニヤリと笑えば女はさらに怯え、今にも泣き出しそうになる。そんな顔されると余計に被虐心を刺激されて押さえられなくなりそうだ!
その辺の茂みにでも連れ込もうと強引にコイツの手を掴もうとしたら――
「そこまでにしていただけますか? 勇者様」
廊下の奥から低く落ち着いた声が響いた。振り返れば、礼服に身を包んだ男――どっかで見たとある奴が立っていた。
誰だコイツ?
と、俺が怪訝な顔でそいつを見ていたらメイドが驚いた表情で――
「王太子殿下!」
そう声を出したメイドは慌てて礼をする。涙目のまま逃げ場を見つけたような顔をしていやがるコイツをさらに脅すのも面白そうだが状況が良くない。
俺を真っ直ぐに見ている王子様は微笑みながらも、内側には鋭さを隠している。ああいうのが一番厄介だ。怒鳴る相手なら力でねじ伏せりゃいいが、ああやって静かに場を収める奴は面倒なんだ。それが権力者ならなおさらにな……。
≪……潮時だな≫
俺は内心舌打ちしながらも、表情だけはニヤリと崩してやった。挑発半分、余裕半分だ。そんな俺を見てもこの王子様はどこ吹く風とばかりに口を開く。
「まずは、私どものメイドがご不快な思いをさせたようで申し訳ありません。ですが、勇者様に奉仕するような仕事をそちらのメイドは担当しておりません」
さぁ、あなたは自分の仕事に戻りなさいと王子様に言われたメイドは慌てて走り去る。背中を見送る俺は、残念そうに舌打ちをしてやった。
ああいう顔をもっと見たかったんだがな。
だが、さすがにここで粘っても仕方ない。相手はどこかのエセ王子と違って本物の権力者だ。俺が騒げば騒ぐほど立場は悪くなる。
――退くしかねぇ。
「チッ。いいところだったんだが、仕方ねぇか」
肩をすくめながら言ってやるが、こいつは全く表情を動かさずに淡々と続ける。
「勇者様、今後もあのような要望は控えてくだいね」
口調は柔らかいが、芯は鋼鉄だ。……面白ぇ。こういう奴は、一度下に引きずり落としてやりたくなる。
だが今は別のことが気になっていた。俺はすぐに話題を切り替える。
「それより聞きたいことがあるんだ。この世界には魔法とかがあるんだよな? 俺も使えるのか?」
王族相手に直球。遠回しに言うなんざ出来ねぇし、する気もねぇ。礼節なんざまったくない態度にも、この王子様は動じずに笑顔で答える。
「ええ、確かに魔法は使えます。しかし、今の勇者様には使うことができません」
「何でだよ?」
思わず俺の口調は荒くなった。
「他の勇者様も同じですが、魔力を使うための“魔脈”が開いていません。明日、皆さんの力を解放する際に魔力適性の検査を行います。それが終われば使えるようになりますよ」
ただし訓練を受けなければ暴発の危険がありますし、むやみに振り回すようであれば捕縛もやむを得ませんと、しっかり釘を刺してきやがった。俺は唇を歪める。力の味を知らねぇ奴に説教されると腹が立つがこいつは絶対に違う。
それに、少し考えりゃ当たり前のことだ。いきなり魔法をぶっ放す危険人物、さっさと捕縛でもなんでもして排除が一番だ。
だから、「今はまだ我慢する時」だと理解している。
「チッ! まぁいいや。その検査、すぐにやってくれよ!」
「まだ準備中ですから明日までお待ちください」
「別に俺一人くらいいいだろ?」
「どうしてそこまで早くやられたいのですか?」
「早く強くなりてぇんだよ! お前らだってそっちの方が都合いいだろ?」
言葉は本音だ。力が欲しい。誰よりも早く。誰よりも強く。だが、この王子様――いや王太子は首を振る。
「しかし今回の検査には各国の王や貴族が列席します。急な変更はできません」
つまり、見せ物ってわけだ。俺たち勇者は駒であり、飾り物であり、権威の象徴。
≪なら、そこで目立てば俺を利用しようって奴が寄って来そうだな……≫
そう考えた俺は王太子に軽い調子を装って切り出す。
「なら、順番くらいは初めにやらせてくれよ」
「それなら構いませんよ」
よし言質は取れた。周りにインパクトを与えるなら一番初めか最後がいいからな。
今はこれで満足してやると思い、俺は適当に話を切り上げてその場を離れる。
≪女はダメ、力もまだダメ。なら次はどうする? 答えは決まってる。別の楽しみを探せばいい。≫
暇をつぶせるものがないか辺りを見ながら考えていたらあることを思い出した。
「そういや、天条院たち以外にもこっちに来た奴がいたよな?」
思い出すのはあの部屋での光景。俺たちから離れた場所に一人だけいた陰キャの姿だ。なんで俺たちと一緒に連れてこられたのか知らねぇが、ちょうどいいオモチャにはなるだろ。つまらなければ俺の身代わりにでも使えばいいだけだし、どっちにしても退屈しのぎにはもってこいだ。
「そうと決まれば陰キャを捕まえにいくか」
たとえ見つからなくても別の女を物色するなり、捨て駒になりそうな奴を探すなりすればいい。俺はニヤリと笑い、軽快に歩き出す。
「せっかく面倒なしがらみがねぇ異世界に来たんだから、遊び倒さねぇとな!」
刹那を楽しみ、計算を混ぜ、欲望に従う。それが俺の生き方だ。




