◆9
千里の道も一歩からと言う言葉がある。
とは言え世界を一周する旅のはじまりがカレー屋になるとは誰が想像できたのだろう。
スズカは笑って俺の手を引いたが、俺には腑に落ちない思いがいくつもあった。
スズカはこのまま俺と結婚する気でいると言うことなのだろうか?
不登校で小遣いを親に賄ってもらっているこの俺を普通相手に選ぶものだろうか?
年収1千万だとか高身長のイケメンで・・・だとか色々と願望はあると思う。
「私を馬鹿にしてたけど、私に声をかけてくれてたのはユウタだけだったからさ、それに馬鹿だったけど格好良かったんだよユウタは」
スズカの言葉を思い返してみてもまるで納得できないのは俺と言う人間がスズカと言う人間にまるで釣り合っていないという事を一番よく分かっているからなのだと思う。
きっと長続きはしないのだろうとスズカを見ながらそう思った。
少なくとも世界を一周すると言う目標が達成されるその前に、きっと破局するだろうと思った。
「こういうインド人が経営してる店のカレーって滅茶苦茶辛い印象だったけど、ビックリするくらい美味しいね」
スズカの感想に全面的に同意はしたが腹を満たすのにわざわざ飲食店に通うのは金の無駄だとか思っていた。
「インドに行く手間は省けたな」
と冗談半分で俺が言うとスズカは不機嫌そうな顔をしてみせた。
「それ本気で言ってるの?」
「お前こそ本気で世界一周する気かよ」
「約束したもん、どれだけ時間かけても行くからね」
「紛争地帯も?」
「命の保証がない場所は嫌」
「だったら世界一周なんかできねえよ」
「なんで?」
「命が保証されてる場所なんて自分の家の中くらいだろ?」
「・・・そうかな?」
スズカは納得いかない様子だった。
「助けてくれる人間がいて、面倒見てくれる人間がいて、色んな支えがあって命の保証があるわけだからさ、それこそ命の保証がないなら無理だって言うならこの街から飛び出ることだって出来ないんだよ俺らは、」
「そっか・・・。」
「そもそもお互い不登校の身だろ?俺たちはただ未来を生きることだけでも難しいんだよ。」
スズカは無言でカレーを口に運んだ。
「そんなに世界を一周したいならもっと相応しい人間を選んで行ってこいよ」
しばし無言で俺たちは食事をした。
カレー屋を出て俺たちは再びあてのない散歩をはじめた。
天元の街はどこも小汚い様相は同じだが、その入り組んだ構造によって散歩をしていると景色は目まぐるしく変わっていくのでわりと退屈はしない。
「ねえ、ユウタは私を助けてくれる?」
「は?」
「ねえ、助けてくれる?」
「だから俺じゃなくてもっと相応しい男を探せよ」
「それってユウタじゃダメなの?」
「意味わかんねえよ」
「ユウタが頑張ればいいじゃん」
「人間がそんな簡単に変われるわけねえだろ」
「でもユウタは私を綺麗になったって認めてくれたじゃん。だから今一緒にいるんでしょ?」
「だけど・・・。」
「今度は私が待つよ。ユウタが私に相応しくなるまで、それまでは私がユウタを助けるよ」
「意味わかんねえよ」
「それってちょっと鈍すぎじゃない?」
「はぁ?」
「汝、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
俺が口を開こうとした時スズカは人差し指でそれをおさえた。
「世界一周を終えた時に答えを教えてね。」
スズカはそう言って笑った。
スズカと別れてからの帰り道。
俺は愛とか言うものについて考えていた。
こんなにも非合理的な感情について考えても何の生産性もないとは思ったが俺は考えずにはいられなかった。
結局のところスズカは自分の行動原理の全てを晒したようにも思う。
しかしそれによって全ての謎が解けて全てが腑に落ちたかと言われればそうでもない。
全ては愛であると言う暴論によって無理やり理由をこじつけたとしか言いようがなかった。
頑張ると言ってもどうすればいいのか。
「おい!」
突然の声に我に返った。
声の方を見ると見覚えのある貧相な男が立っていた。
「お前のせいだ!お前のせいだ!」
声を震わせて怒るヨシノリの手にはナイフが握られていた。