「婚約破棄された」と泣いていた頼りなさげな魔法使いを拾いまして…
柴野いずみ様主催「#ヘタレヒーロー企画」参加作です。よく泣いています。
夜の間降り続いた雨も止み、太陽がまぶしい朝だった。
リゼの自宅を兼ねる魔導具店の前は王城に続く大通り。開店前の掃除をしようとドアを開けたリゼは軒先にうずくまる人影に思わず飛び跳ねた。
「おぉぅ!? び……っくりしたぁ」
そこにいたのは長い手足を折りたたむように座り込んだ金髪の男性。しかしリゼが驚きの声を上げてもピクリとも動かない。もしや酔っ払いだろうかとリゼはげんなりと肩を落とした。
「おーい、朝ですよー」
早いところどいてもらわなければ営業妨害だ。ただでさえ二軒先にできた魔導具店のせいで商売あがったりだというのに。なかなか動き出さない男の様子に業を煮やしたリゼは、手にしたほうきで脇腹をツンツンとつつく。すると――
「う、うぅ……」
男の体がもぞ、と動いた。どうやら目を覚ましたらしい。追い打ちをかけるようにほうきの先でツンツンつつき続ける。
「おーい朝ですよー! 店を開けたいんですけどー!」
「うっ、うう、ずび……ご、ごめんなさい。すぐ退けます……」
「――っ」
涙交じりの鼻声が聞こえてきた。
男はごしごしと袖で顔を拭くと、ずずっと鼻をすすりながら顔を上げた。現れたのは涙でむくんではいるものの綺麗な顔立ち。肩にかかるほどの金色の髪に宝石のような紫の瞳。ごく平凡な栗色の髪と瞳のリゼとは似ても似つかない青年の姿に思わず言葉を失った。
しかし青年に見とれたのは一瞬。すぐに切れ長な瞳からぼろぼろと大粒の涙がこぼれ出す。
「う、ふぐぅぅ……」
「わっ、泣いちゃった。ちょ、ちょっとつつきすぎたわよね。ごめんなさい」
さすがにやりすぎたかとリゼが謝ると、青年はぶんぶんと首を振った。
「ちが……っ。ぼ、ぼく……こ、こっ――」
「はぁ? 何、聞こえないわ!」
「う、あ、あの、ぼく……っ」
泣きながらしゃべるせいでよく聞き取れない。
思わず音量を上げて聞き返したリゼに応えるように青年は声を張り上げた。それこそ、通りに響き渡るほどの声で……。
「こ、婚約破棄されてっ……ううぅっ、わぁぁぁぁ……っ!」
◇
町が夕暮れ色に染まり出した頃、リゼは再び店先に出た。二軒先にある魔導具店はまだ客足が途絶えないようで、店頭には煌々と明かりが灯っている。
魔導具、それは火を起こす、水を出す、風を起こす――そういった日常生活に必要な魔法の力を閉じ込めたものだ。
この国では魔力を扱える者――魔法使いが少なく、魔導具が必需品となっている。「人々の生活を便利にするのが魔導具と魔法使いの役目だ」が口癖だったリゼの父が興したこの魔道具店は質が良いと評判で、細々ながらも商売を続けてこれた。
数年前に両親が事故で亡くなると、リゼはこの店を継いだ。ただし父と比べてリゼの魔力量は少なく魔導具を作るにも時間がかかるせいで、商品の補充が追い付かない。
二軒先の魔導具店の店主はレジットという。彼はリゼの兄弟子だった男だ。レジットは仕事は早いが粗が目立つ。しかし人々が選ぶのはすぐに手に入るレジットの店だった。
両親が亡くなった後、リゼは彼と共にこの店を続けるつもりでいた。しかしいつまでも独り立ちさせてくれない父に不満を持っていた彼はこの店を去り、しばらくして対抗するように二軒隣に魔道具店を開いた――その瞬間、リゼの淡い初恋は幕を閉じたのだが、それはまた別の話だ。
リゼはため息を飲み込み、店の看板を「閉店」に変え、扉に鍵をかけた。
(人を雇って魔導具を量産する方法も考えた。けど、魔法使いを雇って給料を払ったらそれだけで破産しちゃうわ)
はぁ……と今度こそ深いため息をつき、リゼが店内に並んだ棚をすり抜け奥の作業部屋に入ると、マグカップを手にした青年が勢いよく顔を上げた。その仕草がまるで飼い主の帰宅に気づいた子犬のようで、リゼは緩みそうになる頬を引き締めた。
「少しは落ち着いたかしら」
「はい……。取り乱してしまってすみませんでした」
しゅん、と頭を下げた青年の名はロイクというらしい。
号泣する彼を放り出すわけにもいかず結局閉店まで置いてしまったものの、事情を聞くになかなか複雑そうで……。
「とりあえず大変だったわね。その……婚約破棄されたり、とか」
空のガラス瓶がずらりと並ぶ作業台に向かいながら、リゼはおそるおそる話題を切り出した。また泣き出しやしないかとハラハラしていたものの、ロイクは意外にも落ち着いて答えてくれた。
「はい。もう誰も信じられません……」
ロイクが語ったことには元婚約者は同僚。一週間ほど前、職場で機密事項の漏洩があったのではとロイクが疑われたことが婚約破棄のきっかけだったらしい。
「そんな無責任な人間とは結婚できない、婚約破棄だ、と言われてしまったんです。でも僕は絶対にそんなことしていない、何かの間違いだって言っても信じてもらえなくて」
「ふうん……」
リゼは瓶に水魔法を封じ込めながら、ロイクの話に相槌を打った。
必死に弁明を続けたロイクの努力も空しく婚約破棄は成立。相手は職場を辞め、怒り狂った相手方の親が職場に乗り込む大騒ぎとなったそうだ。他の同僚にも迷惑をかける結果となり職場にも居づらくなったロイクは、昨日こっそり辞表を机の上に置き、家を引き払い、身を隠すように逃げてきた――というのがここまでの流れらしい。
(なかなか複雑そうね。でもこの気弱そうな人がそんな大胆な真似をするかしら。むしろその婚約者が……)
――パリン
「あっ!」
ガラスの割れる音にリゼの意識が引き戻される。
つい考え事をしていたせいで魔力の調節に失敗してしまった。この瓶は水魔法を封じ込めることで数日分の水が得られるようになるものだ。店の売り上げの大部分を占めるものだが、リゼの魔力では一日に二本ないしは三本作るのがやっと。しかし一度魔法を使うと、リゼの魔力量的に次の作業ができるようになるまで少し休憩しなければならない。
ふう、と肩でため息をつきリゼはロイクに向き合った。
「ひとまずあなたの話を信じるわ。あなたは誰かに濡れ衣を着せられてしまったのね」
「そうなんです!」
「きっと向こうの親には『娘を傷つけた責任を取れ』とか言われたんでしょ?」
「まさにその通りです!」
リゼが自分の味方だと認めたのだろう、ロイクがキラキラと目を輝かせる。しかしみるみる瞳が潤んできた。
「信じてくれてうれしいです。誰も僕の話を聞いてくれなくて、あなたが信じてくれた初めての人だ。ありがとう……うっうっ……」
「わ、また泣いちゃった」
どうもロイクはだいぶ涙腺が緩いらしい。そして無実の罪を着せられても立ち向かえないほど気弱だ。
(この人、こんなことでこれからどうやって生きて行くのかしら……)
子どもを心配する親のような感情が胸によぎる。
家も引き払ったというし、彼はいったいこれからどうするつもりなのだろう。尋ねようと口を開きかけた時だ。
――ドンドンドン! 店の扉が激しく叩かれた。
思わずロイクと顔を見合わせたリゼは、瓶をその場に置くと店に向かった。
「すみません、今日はもう閉店で――きゃっ!」
細く開けた隙間から声をかけると強引に扉をこじ開けられた。現れた赤毛の長身にリゼの頬が引きつる。
「ずいぶん早い店じまいだな。ようやく店を畳むのかと思ったぜ」
「レジット……」
招かれざる客というのはまさに彼のことだ。閉店後の店を訪れたのは二軒先の魔道具店の店主レジットだった。にやにやと笑みを浮かべたレジットは店内を見回すと、嘲笑うように鼻を鳴らした。
「ふんっ、相変わらず暗い店だな。俺に任せればもっと繁盛できていたはずなのに」
「余計なお世話よ。いったい何の用?」
「なんだよ、冷たいな。良い報せがあるっていうのに」
「買収の話なら答えは同じよ」
レジットは事あるごとに買収を持ちかけてくる。しかしそれはこの店を消したいだけ到底飲める提案ではない。いつも通り答えリゼが睨みつけるも、レジットは笑みを消さなかった。
「いや、今日は俺の結婚の報告に来たんだ」
「え?」
結婚?
予想もしなかった言葉に驚くリゼにレジットはにやりと笑った。
「そう驚くなよ。相手は素晴らしい魔法使いでね、彼女の家からの出資もあって店を拡大しようと思っているんだ」
「な……っ」
「リゼには申し訳ないが、この店を閉める時期が早くなるかもな。せいぜい頑張れよ」
それだけ言い残し、レジットは乱暴に扉を閉めて去った。
離れて行く足音が聞こえなくなってもリゼはしばらく動くことができなかった。
(レジットはこの店をどうしても消したいのね。そんなの許せるわけない……けど、私にはこの店を維持できるだけの力は――)
こうなる前にもう少しやりようがあったのではないか。自分の不甲斐なさに腹が立つ。
だがリゼがとぼとぼと作業部屋に戻ると、信じられない光景が広がっていた。
作業台に並べられたガラス瓶の前にロイクが立っていた。そして瓶はそのどれもがなみなみと水を湛えている。瓶が放つ魔力の輝きはこれまで見たことのないほど繊細で細密なものだった。この出来栄えなら王城に卸すことだってできそうだ。
「こ、これ……今、あなたが作ったの?」
「えっと、困っているみたいだったから。僕、水系の魔法が得意で……勝手にごめんなさい!」
ロイクは責められたと思ったのだろう。謝罪と共にガバッと頭を下げた。
しかしリゼは呆然と瓶を見つめることしかできなかった。ずらりと並ぶ瓶は十数本。ロイクはその全てに魔法を施した、しかもこの短時間で……。父ですらここまで魔法を扱うことはできなかったのに。
(この人、すごいわ……)
おどおどリゼの挙動をうかがうロイクは優秀な魔法使いだったのだ。しかし、いま彼は行き場を失ったただの気弱な無職の青年。もし彼の力があればこの店は――
「行く場所……無いのよね」
気が付けばリゼの唇が無意識に言葉を紡いでいた。
「私はリゼ。ねえ、あなたここで働く気はない?」
◇
一ヵ月後、リゼの店の売上は過去最高を記録していた。
質の良い魔導具が待つことなく手に入るようになったのだ。離れてしまっていた昔なじみも再び顔を出してくれるようになった。
「こっちの店が復活してくれてよかったわ。向こうの店、最近ガラの悪い人たちが多くて少し怖いから」
「そうそう、この前魔導具が発火しただかでボヤ騒ぎも起きていたみたいよ。大丈夫なのかしらね。まあこのお店の品は前から質がいいから心配はしていないけどね」
「それにリゼちゃんも良く笑うようになったものね。入りやすくなったわよ」
「そうですか? ありがとうございます」
客を見送り、作業部屋に戻るとロイクがランタンに魔力を注いでいるところだった。
ロイクは真面目で、そしてやはり圧倒的な実力を持つ魔法使いだった。彼の作る魔導具はそのどれもが最高品質。買っていくお客さんたちが驚き、追加料金はいらないのかと確認するほどで……。
(住まいと食事の代わりに働いてほしいなんて、かなり打算的な提案になってしまったのは申し訳なかったけれど、本当に彼が来てくれてよかったわ)
リゼはポットからお茶を注ぎ、ロイクの前に置いた。
「お疲れ様、少し休憩にしましょ。そういえばロイクのおかげで今月は何とか赤字脱出できそうよ。本当にありがとう」
「えっ、本当? 役に立てて良かった」
へにゃっと表情を崩したロイクにつられてリゼも笑顔になる。
ロイクが来てから余裕ができたせいだろうか、さっきのお客さんにも指摘されたように笑顔になる回数が増えた。確かにこれまでは店を守らなければという責任に押しつぶされそうだった。しかしロイクに頼れるようになってから、かなり気持ちが軽くなったような気がする。
ロイクの得意魔法が氷魔法だったおかげで食後の氷菓には不自由しなくなったり、目にかかって邪魔だというので前髪を切って失敗したり。両親を失ってからずっと単調だったリゼの日々が賑やかになった。けれどこの日々がそう長く続かないこともよくわかっていた。
(ロイクはきっとここにいるような人物じゃないわ。ロイクの魔法技術はきっと国でも最高の水準だもの。すぐにもっと良い条件で仕事が見つかるはず。それまで――)
下がりそうになる口角を無理矢理持ち上げ、リゼは話を続けた。
「そう言えばこの前レジットの店で魔導具が発火する事故が起こったらしいわよ」
「発火?」
「ええ。いったいどうしたのかしらね」
火を起こす魔導具はあるものの、火を閉じ込めるものではない。火が燃え上がるよう弱い風魔法がかけられた火種と同時につかうことで初めて火を起こすことができる。魔導具単体で発火することは既存の魔導具では考えられない現象だ。
「火種と炎魔法を同時に封じ込めたとか? まさかそんなわけないわね」
「……」
属性の違う魔法を同時に封じた魔導具はまだ実現していない。もし実現すれば魔導具はもっと便利になるだろう。しかし考えられないほど高度な魔法技術が必要となるはずだ。国王直属の魔法研究機関――王立魔法研究所の魔法使いならまだしも、一般的な魔法使いにそんな芸当ができるとは思えない。たまたまだろうと話を終わらせてしまったリゼは、ロイクの表情が消えたことに気づかなかった。
その夜、自室で寝ていたリゼは階下の店舗から聞こえる物音に気付いた。
初めはロイクかとも思ったものの、彼が勝手に店の物に触れるとは考えづらい。起き出したリゼは足音を立てないように階下に向かった。
一階に近づくほどに音が大きくなっていく。こそこそと話す男女の声も聞こえる。
(間違いないわ、泥棒ね。でもこの声、どこかで――あっ……)
一瞬ロイクを起こそうかとも思った。しかし聞こえる声の主に気づいてしまったリゼは一刻も早くその人物の正体を確かめることを優先した。非常用の光源魔導具を手に取ると、リゼは出力を一気に全開にする。
「何をしているの!」
「うっ、目が……!」
一瞬で店内が光で溢れる。すっかり油断していたのだろう。赤毛の男性が顔を覆った。
「……レジット」
リゼの嫌な予感は当たってしまった。光の中、現れたのはレジットの姿だった。彼が手に持つ袋は大きく膨らんでいる。きっとその中には魔導具が押し込められているのだろう。
落胆――ただそれだけだった。リゼの中に残っていたかつての頼もしい兄弟子レジットの姿はすでに思い出でしかなかったのだ。
「通報するわ。逃げても無駄よ」
「くそっ、見つかったか! こうなったら――」
リゼの言葉に反応したレジットは、見慣れない筒のようなものをリゼに向けた。しかし――
「待って、レジット!」
聞き覚えのない女性の声に、レジットが動きを止めた。
長身のレジットの後ろからゆっくりと姿を現した女性は、にっこりと場にそぐわない笑顔を浮かべた。
「初めまして、リゼさん。私、レジットの妻のクレアです」
「あなたが……」
華やかな美しさの女性だ。ちょうどロイクを拾った日、訪ねてきたレジットが結婚すると話していたのを思い出す。その相手こそ目の前の女性・クレアなのだろう。
クレアはピンクがかった長いブロンドを揺らし、大きな青い瞳を数度瞬かせた。
「私たち、あなたの店の魔導具の事を少し知りたかったの。泥棒なんて言わないでちょうだい」
クレアは眉を下げ、庇護欲をくすぐりそうな表情を浮かべ申し訳なさそうに謝る。しかし彼女の言葉のどれもが癪に障るものだった。
「あまりに都合良い理屈ね。知りたければ家主に断りもなく入り込んでいいと思っているの? 泥棒には変わりないわ」
きっぱりと言い切るとクレアの顔から媚びるような色が消えた。その代わりに挑むような眼差しがリゼに向けられる。
「ふんっ、お利口さんでよろしいことね。でも、あなただって同じことしているじゃない」
「え?」
「急に魔導具の質が上がったと聞くわ。王城に卸してもいいくらいの高品質に……ねえ、いったいどうやったの?」
「そ、それは……」
「どこかから盗んだのよね。でも仕方ないわ、お金のためですもの」
まるでリゼが罪を犯していると決めつけるような言いようだ。しかしリゼは答えることができなかった。ロイクがここで働くようになったことは誰にも話していない。彼自身が誰にも会いたくないと外に出たがらなかったこともある。けれど――
(私が彼を誰にも知られたくなかったから……)
従業員として? それとも……。
リゼが答えられずにいると、クレアが勝ち誇ったように口を開いた。
「ねえ、リゼさん。私たち人手が欲しいの。あなたの事は黙っていてあげるから一緒に働かない? 実はすごい計画もあって、儲けは倍増する見通しよ」
「すごい計画?」
リゼの問いかけにクレアの形の良い唇がきゅうっと持ち上がる。
「ええ、これのことよ」
そう言ってクレアが見せたのはレジットの手にある筒と同じものだった。パッと見る限り何の変哲もない黒い筒。よく見ると小さな引き金のようなものもついている。
「あなた知ってる? 異なる属性の魔法を同時に発動すると攻撃魔法になるのよ」
「攻撃、魔法……?」
「そう、これはその攻撃魔法を封じ込めてあるわ。炎魔法と風魔法を同時に発生させることで、この筒の中に小さな爆発を起こすの。その衝撃でこの先から火球が飛び出すのだけど、なかなかの威力よ。もうすでに注文は殺到しているわ、内緒だけどね」
リゼは耳を疑った。まさかそんなものが存在するとは。しかし本当であればすべてが繋がる。攻撃魔法と呼ばれる新しい魔法技術、そしてレジットの店で起きたボヤ騒ぎと、最近変わったという客層――。
(これは武器ね。この人たちは魔導具を武器として売り出そうとしているんだわ)
恐ろしいことが起きている。生活を便利にするはずの魔導具を、人の命を奪うための道具に変えようとしているのだ。
クレアとレジットが固まるリゼをにやにやと見つめてくる。
「あなたもこの店のことばらされたら困るんじゃない?」
「どうだ。クレアもこう言っていることだし、俺らの計画に加えてやるよ」
「……お断りします」
リゼは震える拳を握りしめ、二人を睨みつけた。
「魔導具は人の生活を便利にし、守るための物よ。人の命を脅かすためのものじゃないわ!」
「ははっ。魔法使いの出来損ないみたいなお前が何を偉そうに」
「それでも! 私は魔導具をそんなことに使いたくない」
「あら、そう。それは残念ね」
怒りの眼差しを向けられたクレアは「ほぅ」と息をつき肩を落とした。しかし再びにっこり笑うと、腕を真っ直ぐリゼに伸ばした。
「じゃあこれは知ってる? 秘密を知られたら生かしてはおけない、ってこと」
クレアの手の先には攻撃魔法が封じられたという黒い筒。指は引き金にかけられている。そして筒の先が向けられているのは――リゼだ。
「じゃあね」
「あ」と思う間もなく、クレアの細い指が引き金を引いた。
筒の先が光る。同時に真っ直ぐ向かってくるのは赤い火球。もう避けられない。リゼはきつく目を閉じた。瞬間、瞼の裏をよぎったのはめそめそと泣く彼の姿で――
「――ロイク!」
その時、思わず名前を叫んだリゼの頬をふわりと冷たい風が撫でた。
パリン……。
薄いガラスが割れるような音が響く。ハッと目を開くと、リゼの目の前に浮かんでいた氷の玉がコツンと床に落ちた。
「氷……?」
戸惑うリゼの肩がふわりと温もりに包まれた。弾かれたように顔を上げると金色が目の前で揺れる。大きな手がリゼの肩をぎゅっと抱いた。
「ロイ、ク……」
「攻撃魔法の魔導具化は禁止事項だ。あの情報を持ちだしたのはやっぱり君だったんだね、クレア」
これまで聞いたことのない厳しい声。それは目を見開くクレアに向けられていた。ロイクの柔らかな眼差しは影をひそめ、突き刺すような冷たい視線が動きを封じている。
「魔法は人々の役に立つ道具として使うべきなんだ。なのにどうして人を傷つけることに使おうとするんだよ……」
リゼの父を思い出させるロイクの言葉は湿り気を帯びていた。
しかしその声を聞いたクレアの目が輝く。
「ご、ごめんなさい! 私、この人に脅されて……結婚も本心じゃないの!」
「クレア!?」
突然の変わり身にレジットが困惑の声を上げた。
「研究結果を渡さないと家族を傷つけると言われて……。許して、ロイク。本当はずっとあなたを愛していたわ」
「信じるわけないじゃないか……」
「信じてちょうだい。ほら、いつものように頷けばいいのよ」
クレアの大きな瞳から涙がはらはら流れている。リゼは涙を流すクレアの姿に確信した。
(間違いない。この人、ロイクの元婚約者だわ)
ロイクに濡れ衣を着せ、居場所を奪った張本人。
気づけばリゼの肩に置かれたロイクの手がカタカタと震えている。
「うっ、うう……」
「っ?!」
何ということだろう。ロイクの紫の瞳からボロボロと涙がこぼれ落ち始めた。まさかクレアの言葉を信じてしまったのだろうか。しかしロイクが激しく首を振ったことで、リゼの焦りが杞憂だとすぐに分かった。
「信じない……」
「ロイク! 早く『はい』って言いなさいよ!」
激昂するクレアの声にロイクの体がびくっと揺れる。しかし彼は大きく息を吸い込むと――
「い、言わない! 僕が信じるのはリゼだけだ!」
「――っ!?」
ロイクの叫びと共鳴するように、凄まじい冷気が宝石の破片のような氷の欠片が噴き出した。体中が凍ってしまいそうな冷気の中で、固く抱き寄せられたロイクの腕の中だけが温かかった。
◇
後に知らされたことだが、ロイクは王立魔法研究所の筆頭研究員――つまりエリート中のエリートだった。クレアはロイクの肩書に目をつけて強引に婚約したものの、ある時魔導具店のレジットと出会う。クレアはレジットと共謀し、攻撃魔法の技術を利用することで武器を開発。秘密裏に販売することで、多額の利益を得ようと目論んでいたらしい。ロイクとの婚約破棄騒動は情報漏洩がバレることを恐れた結果だそうだ。
リゼの店内で足下が床に凍りついてしまった状態で確保されたクレアとレジット夫婦は、同じく凍り付いた黒い筒と共に魔法特別管理局の役人に連行されていった。二人の罪は重く、厳しい刑が科せられると予想されている。ちなみに店に忍び込んだのは武器の開発で普段販売する品物まで手が回らなかったからという、なんとも本末転倒な理由だった。
そしてどうやらロイクも身柄を捜索されていたそうだ。重要な研究に関わっていた人間が突然いなくなったのだから研究所としては焦っただろう。情報漏洩に関しては端からロイクは無関係だと認識されていたものの、クレアの対応に追われロイクのフォローができなかったようだ。
クレアとレジットと共にロイクも研究所に運ばれていった。
けれど別れ際、何か言おうとしているロイクから目を逸らしたのはリゼの方だった。別れの言葉を聞くのが怖かったのだ。
その日も太陽がまぶしい朝だった。店はあの一件以来、人足が途絶えてしまった。とはいえまだなんとか営業できるだけの蓄えはある。それにリゼ自身が何かせずにはいられなかったのだ。
開店前の掃除をしようとドアを開けたリゼは、軒先にうずくまる人影に思わず飛び跳ねた。
「うわぁ! び……っくりしたぁ」
「ごめん、リゼ……僕のせいで、うっ、ううう……」
しゃくりあげながら顔を上げた金色の髪越しに、紫の瞳が涙で濡れている。
「ロイク?」
「どうしても君に会いたくて……。僕、またここで働くこと……できますか?」
ずず、と鼻をすすりながら立ち上がったロイクの顔は、いつかと同じように涙でむくんでいた。
「……行く場所がないなら、ぜひ!」
目が赤くなっていたことに気づかれなかっただろうか。いや、多分大丈夫だったはずだ。
飛び込んだロイクの胸の中でリゼは久しぶりに笑顔になれた。
お読みいただきありがとうございます。
よろしければ★~★★★★★やいいね等、反応いただけると励みになります!
※針山糸さまよりロイクのFAいただきました。活動報告にてご紹介させていただいております。ありがとうございました!