細野 秋子
「…たくっ、こんな時にすぐ行動に移せないと異能警察とは言えないぞ。」
後藤は異能者の男に強制リングをかけると後ろを振り返り、東堂に向かって悪態をつく。
「どうやらすぐに取り押さえられたようだな。さすがだ後藤。」
「あっ先輩! そっちは無事だったようですね。演説スピーチも何故だか続行されてるし。」
「…うん? まあ本人に中止する意思がないようでな。それよりも、俺はすぐにその男を連行して事情聴取をする。お前は、他の応援が来るまでここで安全確保の為に警備しておけ。」
「了解しました! 他にも異能者の残党がいる可能性がありますもんね。」
「お前一人いれば、どうとでもなるだろう。東堂、お前は俺に付いて来いよ。」
俺は怪訝な表情が崩れない東堂と一緒に犯人を署に連れて行った。
事情聴取の部屋はカビ臭くて湿気が強い。しかし、部屋の構造上、窓なんてものはないのだ。
カラカラと上で換気扇が回っている以外は、息苦しい部屋なので俺は無意識にネクタイの紐を緩めてしまう。
「…それで、お前はどうしてあそこを襲撃した?日上 明日香が目的か?他に仲間はいるのか?」
目の前の男はフードを被ったまま虚ろな目をしていて、何も答えようとしない。
「おい!!」俺は力強く机を叩く。壇上の周囲はほとんど人がいなかったとはいえ、後藤がすぐに取り押さえていなければ、かなり危険な状況だった。
おそらく今回、怪我人はほとんどいなかっただろう。しかし、俺達が駆けつけていなければ誰かが死んでいたかもしれないのだ。
「…。」
「黙っているな!何か言え!」
「…俺はどうしてここにいるんだ?」
「…?」
「…何もわからない…。」
男はか細い声で力なくそう呟く。
「言い逃れをしようと下手な嘘をつくのはやめろよ。みっともない。」
「違うんだ。本当に…。本当に…今、何で俺がここにいるのかわからない…。」
男は震えながら、自身の手を見る。
「…今、覚えていることを言え。」
男はサービス業の店員で今日は休日だった。コンビニへの買い物途中で、周りの景色が一瞬で様変わりし、サバンナの奥地に迷い込んでしまったのだという。
自身が異能を使えたことは、今まで自覚はなかったらしく、獣に襲われた時に発動できることを知ったという話だ。
男の証言を全て信じるわけにはいかないが、もしこの証言が事実であるなら、男は別の異能者に幻覚や錯覚を見せられていた可能性が高い。
まぁ、嘘ついていたなら心が読める異能持ちが署にいるからすぐにわかるんだがな。
俺は部屋の鏡に目をやる。
どうやら、男の証言は事実である可能性が高い。
トントン
事情聴取部屋の奥でノックの音がする。
「星野だ。入るぞ。」
「星野部長…。」
「その男の取り調べは俺が引き継ごう。それよりも、人手が足りない。お前たちは今すぐにB地区東12棟小学校へ急いで向かってくれ。」
星野部長は奥の方で壁にもたれながら椅子に座って眠っている東堂にも目をやる。
「どうかしたんですか?」
「どうやら、AIに不信感を抱く過激派組織の連中が動き出しているとの情報が降りてきた。今回、カリプソフィアに選別されたルチル アル・コーンの人間が狙われてるらしい。お前達は、小学校に向かって『細野 秋子』の身の安全を守ってやってくれ。他の連中にも命令を掛けてはいるが、大きな事件になる可能性がある。」
「わかりました。今すぐ学校へ向かいます!」
俺は東堂の横に懸けていた上着を羽織るついでに椅子を蹴り飛ばす。
「ほら!行くぞ!」
「はぁ!?」
無理やり東堂を車に押し込めて、B地区東12棟小学校へ向かう。
そう言えば、B地区東12棟小学校って歩君が通っている小学校だよな?
「なんで、おばさんの警護に回らなくちゃいけないんだ? 面倒だ。」
「お前、本人の目の前でおばさんとか絶対に言うなよ?」
運転席と助手席の間の前にテレビモニターの画面があって、ちょうどニュースで細野 秋子氏の顔がモニターに映り込む。
「この人は目が見えないんだ。生まれつき。ただ、両耳につけている大きなイヤリング、これがAIカメラとなっていて彼女の視界になっている。」
「ふーん。」
「福祉活動に勢力的で、各地の学校訪問でよく講演会やワークショップ等の活動を行なっていると聞いたことがある。今日もそれで小学校にいるのかもな。」
「心底、どうでも良い。」
「異能警察として、こういう情報を頭に叩き込むことは重要なことなんだぞ?」
「俺は怪物を異能でやっつければそれでいいんだろう? それ以外のことは俺の仕事じゃない。」
俺は車を走らせながら、深い溜息をつく。東堂に聞こえるように何度も。
「…本当に鬱陶しいな。」
「…さて、着いたな。」
小学校の体育館裏に駐車場をみつけたので車を停める。
外に出ると体育館からマイクに掛かった女性の声がかすかに漏れ聞こえる。
内容はわからずとも、落ち着いていて優しい声だというのはすぐにわかる。
周りには既に一般警察や警備員が集まってきているようだった。
俺たちは入り口の重い扉をゆっくり開けて中に入る。
体育館の中では何百人という生徒が体育座りをして壇上を見つめていた。彼らが顔を上げて見つめる先に細野 秋子がマイクを持って、穏やかな笑顔を浮かべながら話していた。
そこに俺達が扉を開いた微かな音のせいで、数人の子供達と細野氏の視線が少しこちらに動く。
「さて、それでは私たちの社会がどのようにして共生できるか、一緒に考えていきましょう。共生社会を実現するためには、お互いを理解し、助け合うことが必要です。そこで…。」
彼女は中央のホワイトボードに大きくマジックで『インクルーシブゲーム』と書き始める。
「今から、ゲームを行いたいと思います。このゲームでは、異なる能力を持つ人々が協力しなければならない課題が含まれています。
自然と助け合うことができなければ目標は達成できません。ゲームクリアのポイントはお互いを理解し、支え合うことです。皆さん、一緒に楽しみましょうね!」
彼女の説明に対して、子供達はざわざわとお互いの顔を見合わせていく。
「ふふ。それではわかりやすく大人の方にお手本を見せて貰いましょうか。」
彼女は壇上にあった椅子を少し動かすと、俺たちの方を向く。
「ちょっとそこの若いお兄さん方、二人ともこちらの壇上に上がって来てくれますか?」
「…えっ?」予想だにしていなかった彼女の突然の提案に俺は目が点になってしまう。
彼女は動揺する俺たちを他所に、ニコニコとした表情を浮かべたまま手招きをし始める。
東堂を見ると明らかに焦っている表情を浮かべていた。
その間にも、何百人という子供達の視線が痛いほど俺たちに突き刺さる。
「仕方ない、いくぞ。」俺は東堂を引っ張り上げながら、壇上を登って行った。
壇上を登りきると何百人という子供達の中から「誠司さん!!」という歩君の叫び声が聞こえた気がした。
「…ええっと、それで俺たちは何をすれば…?」
「それでは、そこのお兄さん。」
細野氏は東堂の方を見ると、アイマスクを手渡す。
「大丈夫ですよ。リラックスして楽しんでくださいね。それでは、このアイマスクを付けてください。」
東堂はおずおずしながら、アイマスクを付ける。
「あなたは私に付いてきてください。」俺にそう言うと細野氏は手早く、後ろに積んであった椅子を東堂の目の前に適当に並べていった。
興味津々といった様子の子供達の視線が右へ左へと移動する。
「こちらは盲目の迷路と呼ばれているものです。あなたは上手くアイマスクを付けている彼を言葉で誘導し、私というゴールまで連れてきてください。」
「あっはい。」
「ここで大事なのは、信頼とコミュニケーションとなります。それではスタート!」
「面倒くさいな。さっさと終わらせてやる。」
東堂はスタートと言われた瞬間に歩き出す。
「おい!ちょっと待てって!」
東堂は目の前にあった椅子に足をつまずけて、盛大に転ぶ。
子供達の笑い声がどっと上がった。
「くっそ!」
「アイマスク外そうとは考えるなよ。子供達にもっと笑われるぞ。」
「…くっ。」東堂の顔がこれ以上ないほどに歪む。
そして、しばらく間を空くと諦めたのか、東堂はゆっくり立ち上がる。
「よし!右だ。左には椅子があるからな。」
東堂は俺の言った通り、右へ行こうとするが今度は右に大きく行きすぎて、また椅子にぶつかってしまう。
また、子供達の笑い声が聞こえてくる。
「おい!もっとどのくらい右に曲がるのか正確に教えろよ!」
東堂は恥じらいながら俺に悪態をつく。
「えっと…。」
「ふふ。もっと想像して考えてあげてください。彼が見ている世界を。」
細野氏の凛とした声が聞こえてくる。
「まず、慎重に左に向け。そう!その方向!それで…。」
俺は言葉を選びながら慎重に東堂を誘導する。
細野氏の所まで、あと半分を切るというところで俺は一直線に並んだ椅子とテーブルを見て、どう伝えたら良いものか言葉が少し出てこなくなる。
どうやって進ませたら良いんだ? 椅子を越えるように誘導した方が早いが、怪我をしてしまうかもしれないしな。
「早くしろよ。本当に説明が下手クソだな。」
「このお兄さんはあなたが怪我をしないように考えてくれているんですよ。あなたも相方のお兄さんが何を考えているのか想像してあげてください。相手が説明してくれることが当たり前だと思ってはいけませんし、焦らせてしまってはあなたも、いつまで経ってもゴールへ辿り着かないかもしれませんよ?」
「…。」
「よし!東堂、右へ2歩進んでくれ。そしてそこで屈め。」
匍匐前進で椅子の下を潜った東堂は、なんとか細野氏の前まで辿り着くことができた。
東堂はアイマスクを外すと後ろを振り返り、溜息をつく。
「こんな感じだったら、椅子の上を越えるように誘導してくれた方が早かっただろ。わざわざ匍匐前進で進ませやがって時間掛かったし、みっともないじゃないか。」
悪態をつく東堂の頬に細野氏は手を当てて、自身に顔を向き直させる。
「お疲れ様でした。盲目の迷路はいかがでしたでしょうか? 物事は3次元で出来ていて立体的です。テストの答案用紙のように正解、不正解はありません。あなたは相方と協力して、怪我をせずに私の元へやって来れた。目的を達成できればそれで良いのです。」
細野氏は東堂の頭を柔らかく撫でる。
「想像力、考える力、そして他人の力を借りなければ、問題解決できないこともあります。あなた達は見事にそれを駆使して障害を越えました。大変素晴らしいことです。」
そう言うと細野氏は何百人もの子供達の方へと向き直る。
「協力してくれた二人のお兄さん達に拍手!」
大きな拍手が俺と東堂を包みこむ。子供達の拍手は純粋無垢で無邪気なものだった。
あんな感じでも、子供達は楽しんでくれたんだなと伝わってくる。
東堂は照れ臭そうに頭を掻いていた。
「それでは、皆さんもゲームを始めましょう。ゲーム内容はもう少し簡単にして、まずはグループ分けをします。」