01 これが噂の婚約破棄
「よって……レティシア・ルブラン、君との婚約を破棄する!」
婚約破棄宣言を聞いた瞬間、天から降る雷に打たれたかのようにして、私の頭の中には、三十路恋愛経験なし喪女だった時の記憶が一気に流れ込んで来た。
はわわわ!! こ、これが、異世界転生ー!!
いけない。憧れの異世界転生にテンションを上げている場合でもなかった。これって婚約者から、婚約破棄されている最中……だよね。
つまり、この状況から見て私は悪役令嬢に転生してるって、そういう事ですね。全てが出揃った状況証拠による、完璧なる推理です。どうですか。
現代日本から転生して記憶が戻ったのが、婚約破棄される最重要場面……なんなの。嘘でしょう?
もっとこう……こうなる運命の婚約者の心を掴む努力をするために、幼い頃から色々動きたいなんて贅沢は言わないから、断罪フラグを一本だけ折るために、せめて、一年前に戻して欲しかった。
先程呼ばれたのは、私の名前のはずだけど、全く聞いたこともない名前だし、それを言うなら目の前の男性にだって見覚えはない。
だって、私を高い壇上から見下ろしてくる男性は、ひと目見れば必ず記憶に残りそうな人。いかにも王族っぽい華やかな服を纏った、金髪碧眼を持つ超絶美形だった。
こうして目の前にしても、嘘みたい……まさに、乙女が夢見る通りの王道タイプの王子様! びっくりするくらいに美形。
というか、私は数秒前に婚約破棄されたから、この彼とは恋に落ちないことは、確定しているけど……なんだか、正直残念かもしれない。
大体の悪役令嬢って、こんな素敵王子様相手に嫉妬して強がったり、恋敵に嫌がらせしたりしちゃうの? なんだか、変な意味でメンタル強過ぎない?
私だったらこの王子様に絶対嫌われたくないから、もし彼に好きな人が出来て、婚約破棄したいと言うのなら、相思相愛の二人の邪魔したくないし、どうぞどうぞしてフェイドアウトの方向性を選ぶ。
だって、恋愛関係で嫉妬して恋敵に嫌がらせして、一番大事な好きな人に嫌われるって、どう考えても本末転倒過ぎるもの。恋愛って嫌われさえしなければワンチャンあるって、おじいちゃんが言っていた。
けど、私、落ち着いて。今こそ、現代知識チートが輝く時よ……!
異世界転生婚約破棄ものなら、前世で数え切れないほど読んで来たから、そんな私はここで生還ルートを間違いなく選ベるわ。
ハッピーエンドルートへの初手は、間違いなくこれよ。
「……はい。わかりました」
婚約者に婚約破棄された私は、とりあえずここは大きく頷き、抗議することもなく、すんなりと了承することにした。
「レティシア……?」
壇上の王子様は婚約破棄された私の反応を見て、どうしたのかと言わんばかりに不思議そう。
……ええ。王子様は自分に婚約破棄された私が、ここで何か言い訳などすると思っていたことでしょう。
言い逃れようと醜く騒ぐとか……はたまた、悪事は私の仕業ではないと、断罪されるとわかっていて、準備していた証拠を並べたりなど。
そんな良くある反応を示さずに、さぞ不思議だと思います。ええ。無理もないです。断罪されている私本人だって、そう思いますからね。
けど、私はさっき、前世の記憶取り戻したところで、婚約破棄されるような悪行の経緯を説明して、何か弁明しようにも自分が何して婚約破棄されたかわからないから、こうするしかないんですー!
ごめんなさい! 意図せぬ時に前世の記憶が蘇ったために、予想外になってしまって!
けど、婚約破棄されるほどに嫌われてしまっている女は、目の前から今すぐ消えます。だから、どうかご安心ください!
「そ、それでは、失礼します……っ!」
貴族令嬢に見えるようにそれっぽくスカートを摘まみカーテシーをして、後ろを振り返ろうとして完全に失敗して転んだ。
……もうっ……! もうっ……なんなの! はっ……恥ずかしいー!! 嘘でしょう。
これまで、着たこともないから、知らなかった。貴族令嬢の着ているドレスって、重くて驚くほど動きにくい。
床スレスレまで長さのあるスカートなんて、これでまでに一度も履いたことないから、見事に内側にある裾を踏んでしまった。
高いヒールにも慣れていないし、こうした服を着ている時の足さばきなんてわかるはずがない。
ついさっきまで完全体の貴族令嬢だったんだから、体が覚えていないものなの?
不幸な要因が重なり転んでしまって、沢山の貴族たちが集まった断罪の場で、どんな顔をして起き上がれば良いか、床に伏せたまま暫し悩んだ。
どんなに悪事を重ねた悪役令嬢だとしても、断罪として婚約破棄された直後に、みっともなく転んでしまうなんて、あまりにも可哀想すぎる。
ええ。それって、まぎれもなく、この私のことなんだけどね。泣きっ面に蜂で、全異世界が涙するしかない。
そんな私の現状を思えば無理もないけど、すぐに助け起こしてくれる人もおらず、その場に居る誰もが反応を迷っているようだ。
さっきまでの断罪シーンの緊張感は何処へやら、貴族が集まる大広間は、くすくすと密やかな笑い声が重なり合って聞こえてくるだけだった。
早く立ち上がらないと……私は全方位にモテるヒロインではない憎まれ役の悪役で、誰にも助けてなんて貰えないんだから。
起きあがろうと力を込めた私の身体は、唐突に力強い腕にふわりと抱えられた。
「……リアム殿下。久しぶりの登城時に、このような場に立ち会うことになり、非常に残念です」
「お前。どうして、ここに居るんだ……?」
「幼い頃から婚約をしていたか弱い女性に対し、貴族を集めた夜会でわざわざ婚約破棄を宣言するとは……信じ難い。僕の爵位に付された権限を持って、厳重に抗議します」
整った顔がっ……! 顔が近いー! 凛とした声で放たれた言葉は、耳には入るものの、頭には入ってこない。
誰っ……誰、この人。顔が好み過ぎて、視線が吸い付いて離れない。とても間近にある、美しい金目。黒い髪を持つ彼は、逞しく長身だ。力強い腕で、私のことを横抱きにしている。
というか……この人、私が婚約破棄されたことを、怒っているの? もしかしたら、悪役令嬢ではあるけど、実は全ては濡れ衣パターンなのかな……?
完全な悪役だとしたら、こんな男性の助け舟は入らないはずだもの。
私の身体は貴族令嬢らしく細いとは言っても、数え切れないほどに薄い生地を重ねたドレスは、それなりの重さになるはずだ。
けど、危なげない動作で、彼は横抱きにしていた。そして、婚約破棄した王子様と同じくらい素敵な男性だった。
え……誰?
一生懸命記憶を探ったところで、貴族として育った記憶は全くないから、わかるはずもないんだけど。
あ、もしかして……ここは、乙女ゲーム世界な感じです……? それならば、納得する。わかる。だとすると、登場人物の顔面偏差値の高さに、理解しか示さない。
王子様もこの騎士っぽい男性も、現実に居るには格好良過ぎて、もし、私が現代に居て彼らが乙女ゲーム攻略対象者なら、スチルコンプの上、満足するまで何周でもする自信ある。
え……私ってリアム殿下に断罪されたから、この人と恋に落ちるってこと?
……わっ……悪くなくない? むしろ、伏して婚約破棄後のお相手をお願いしたいんですけど……!