傾国の美女
残酷な描写を含みます。苦手な方はご注意ください
「ここは…………どこだ………?」
光の一切届かない暗闇で目を覚ました男は、誰に言うわけでもなくそう呟いた。誰かが応えてくれることを願ったのか、それとも自分の考えをまとめようとしたのかは定かではないが、果たしてその言葉は虚空に消えた。
男は混乱していた。
自分がどうしてこのような場所にいるのかが思い出せないからだ。今朝はいつも通りの朝食を済ませ、腹ごなしに護衛と共に散策をしていたはずだ。しかしそこから後の記憶がすっぽりと抜けている。自分に一切知覚されることなく護衛を倒して拉致するなど不可能なのではなかろうか。
「誰かいないのか!助けろ!」
力いっぱい叫ぶも返答は当然ない。そもそも窓がないのだから外に聞こえていないだろう。誰か人がいるとしたら男を拉致誘拐した犯人のみだろう。
いったい、誰がしたのだろうか。
恨みを持たれている自覚はある。ありすぎるくらいにある。貴族という立場を利用して下賤な民衆を虐げるのは趣味であったし、今の立場を確保するために同じ貴族相手にも汚い手を何度も使ってきた。
しかし、それが何だというのか。生まれた時に地位が決まるのは当然なのだから、それを十全に使って何が悪い。私に負けた貴族にしてもそうだ。負けたのが悪い、最善を尽くさないのが悪いのだ。それを憎んで私を誘拐するなど見当違いも甚だしい、男は本気でそう思っていた。
さて、男は助かる方法を探していた。手足を拘束している鎖は解けそうにないが、犯人と交渉することが出来れば助かることなど容易だ。それであるならば犯人は下民と貴族、どちらであるかが重要だ。前者であれば金を渡すと言えば解放してくれる可能性が大いにある。不作が続いた現状は民衆にとっては相当苦しいらしく、それと共に男が税率を変えないのだから金は喉から手が出るほど欲しいはずだ。
問題なのは後者、貴族だ。あの連中が満足するほどの金額など出したくないし、出せる可能性も低い。そうなれば他の要素で交渉する必要がある。面倒な話し合いがあるのだ。手持ち娼婦で済めばいいのだが。
ギィィィィィ…………
男が思考を巡らしていたその時、不気味な音が静かな部屋に響き渡った。古びた扉を開けて入って来たのは長い金の髪を下ろした絶世の美女であった。
「ぁ……」
男はその瞬間思い出した。忘れるわけがない、こんな美しい女を忘れることができるだろうか。確かに少し前よりはその表情に陰りが見えるが、その美貌は一切の衰えを見せていない。
この状況においても彼女に見惚れないことは叶わなかった。
「ごきげんよう、オリウス子爵。お久しぶりですね。覚えていらっしゃいますか、ヒステリアと申します」
女――ヒステリアはスカートの裾を優雅に持ち上げると、場にそぐわない礼を行った。
そのヒステリアの声で現実に引き戻された男――オリウスはヒステリアの登場にひそかにほくそ笑んだ。
ヒステリアは貴族である。いや、貴族であった。2年前に彼女の両親が野盗に惨殺され、同時に彼女自身も家を追われて既に家名はなくなっていた。2年もの間、彼女の行方は知れず、どこかで野垂れ死んでいるかまたは他国に売られているのではないかと噂が飛び交っていた。そんな彼女とこのような場所で会ったのは、オリウスにとって幸運であった。
理由など簡単だ。彼女が自分をこのような目に遭わせたとは考えたくないが、今や貴族ではない彼女にとって金はいくらあっても足りないであろう。それならば交渉など簡単にできるだろうし、使用人として雇ってやってもいい。誰も抱けなかった女を自分の物にできるだけでなく、この場も乗り越えられる。想像しただけで股間が膨らんでくる。
「お、覚えているとも、ヒステリア。そちらこそご機嫌はいかがかな。して、この鎖を外してはもらえないだろうか」
「あら、それは出来ませんわ。だってあなたへの仕置きが終わっていないではないでしょう?」
――やはり。
やはりこの女が仕立て人であったか。今の言葉から彼女自身がオリウスをこのような目に遭わせているのは間違いなく、それを隠す気もないようだ。
だが、それも想定内。金で何とかなればいいのだが。
「はぁ、いくら欲しいのだヒステリア。金ならいくらでもやるから早く解放してくれ」
「お金が目当てではありませんわ。これは復讐、という事にしておきますもの」
「復讐?何の話だ?確かに君の両親は野盗に無残に殺され、君自身も貴族の地位を剥奪されたが、それで私を憎むのは筋違いだろう。私は真面目に仕事をしているのだよ。言い方は悪いが、君の親父さんはそこら辺が出来ていなかったのだよ。自業自得と言うしかないな」
状況に混乱しているのだろう、自分が助かるためしか考えることが出来ないオリウスにヒステリアの心境の変化には気づけない。死んだ父を貶める発言に彼女の心境が一切の変化を表さないという異常に気づけない。
「野盗に殺された、ことにしたのですよねオリウス子爵。もう隠さなくてもよろしいじゃないですか。あなたがわたくしの親を殺し、わたくしの人生をめちゃくちゃにした張本人ということなんて」
「ッ!!」
「ひどいことをしますよね。わたくしは親の死に目にも会えず、出来たのは逃げることだけ。そんなことをしたあなたに復讐をする権利はあると思うのですが、どうでしょう?」
薄く微笑みかける彼女の周囲に形容しがたい純粋な悪意と、自分に対する憐れみを感じ取ってしまった。
血の気が引いた。
鳥肌がブワァッと全身に駆け巡り、今自分が置かれている状況を再確認する。
今、自分は死にかけているのだ。
この美女に殺されかけているのだ。
何をされるのか分からない、どのように殺されるのか想像もできないが、これまでの生で随一の危機という事は間違いない。
加えて、彼女の言葉に間違いはなかった。ヒステリアという美女を抱えたルーデンベルク家は力を付けていっており、それにいい顔をしなかったオリウス含むいくつかの家が彼女の家を取り潰そうとして謀ったのだ。
作戦は半分成功した。ルーデンベルク家はなくなり、目の上のたん瘤がなくなった。しかし、オリウスの狙いであったヒステリアの行方が追えなかったのがオリウスにとっては残念だった。
家を失くした彼女を妾として性欲の限りを尽くそうとする策謀は失敗に終わった。
「な、何を言っているのだ!私にそんなことを言っていいと思っているのか!明らかな侮辱罪だぞ!」
「もう、はしたないですよ。大きな声をお出しになって。それにそれが真実であるとか、嘘であるとかどうでもいいんです」
「……………?」
むしろ一番の論点と思われる点を、どうでもいい、などと言い放ったヒステリアに疑問を感じるも、その感情も眼前の脅威にすぐに消え失せてしまう。
――何とかしなければ
焦燥に駆られたオリウスは唾をまき散らしながら口を開く。
「ま、待ちたまえ。仕事もやろう。私の使用人だよ。君を養子にしたい気持ちもあるが、分かるだろう、ずっと行方知れずだった君を養子にするのは難しい。その点使用人だったら無理も効くし、給料も弾もう。どうだね、悪くない条件だと思うのだが」
この期に及んでもオリウスの根底は変わらなかった。自分のことしか考えず目の前の存在を怒らせる可能性があることなど考えもしない。しかし、運がいいことに彼女の気持ちは変わらなかった。オリウスのバカにしたような言葉に、自分の両親を殺したことを認めた態度を見ても、一切の怒りを見せなかった。
そんな不可思議なことさえも愚者は気づけない。
「お断りします。さて、そろそろ復讐を始めましょうか。こういうのはテンポが大事ですからね」
無情にもそう告げられ、同時にパチンッと指を鳴らす。
それに疑問を覚えるよりも前に手足を縛っていた鎖に違和感を感じる。微かな、本当に微かな力だが引っ張られているのだ。
「話は変わりますが、オリウス子爵は牛裂きというものをご存じですか?日本という国の昔の処刑方法なのですが」
「しょ、処刑!?殺すのか、この私を!」
「やはりご存じないですよね。いえいえ、いいんです。今からよく知っていただきますから」
話が通じないと分かったオリウスは彼女に頼ることを止め、自分に繋がっている鎖に目を向ける。鎖の先には小さな魔法陣が描かれていた。
魔法に詳しくない彼にはどんな魔法が描かれているのかは分かりようもないが、どうしようもなく絶望的な魔法なのは間違いないだろう。
「あ、気づかれました?そうなんです。さすがに牛を探してくるのは面倒ですし、わたくしが得意な魔法を使って牛裂きを再現してみたのです。…………説明してほしいですか?」
オリウスは何も言えなかった。
既に自分の命は風前の灯火であり、訳の分からない方法で殺されつつあるという事を深く理解してしまった。
「まず、牛裂きですね。これは戦国時代から江戸時代にかけての処刑法で、罪人の手足に縄を括り付けて4方向に牛で引っ張る処刑法です。ものすごい力で一気に引っ張られるので、考えただけで関節が痛くなりますよね。これをわたくしが改良したのが『子供裂き』です。1時間に子供一人分の力が手足に繋がっている鎖に加わります。牛裂きのように一気に強い力は加わりませんが、代わりに長い時間苦しむことが出来ます。あ、安心してくださいね。餓死なんてさせませんから」
「…………な、なに…………………を」
「どのくらいで死ぬのかはわたくしも分かりませんのでゆっくりしましょうか。わたくしと一緒にいられるなんて、あなたが望んでいた通りになったじゃないですか」
ヒステリアの言葉がうまく頭に入ってこなかった。
理解したくなかったのだ。
自身に迫りくる絶望を直視したくなかったのだ。
しかし、皮肉にも彼の優秀な頭はこれからの苦痛を想像してしまった。
その悲痛で苦痛で絶望的な未来に彼の精神は一瞬、崩壊した。
「ああ…………………あ………、うあああああああああああああああああああああああ!!!!
」
絶望の声が暗闇に木霊した。
10時間が経過した。
手足に加わる力が段々と増えて来て次第に痛みを感じてきた。
しかし、問題はそこではない。今はともかく腹が減った。朝に少し食べて以来何も口に入れていないうえに、飲み物すらも与えられない。口の中は乾ききり、腹はしきりに音を鳴らしていた。
「なあ…………、ヒステリア。頼むから、何か食事を……………」
「あら、その程度では人は死にませんわ。わたくしも同じだけ我慢しているのですから一緒に我慢しましょうよ。困難を共に乗り越えるってかなりロマンチックではありませんか」
ヒステリアは彼女の言葉通りオリウスのそばを離れなかった。1時間が経過するごとに苦悶の表情を浮かべるオリウスを頬を赤らめてみるヒステリアに彼は再度、絶望していた。
彼女がこの拷問を止めることはないだろうという確信をしてしまったから。
「それにしても10時間が経過してもこれだけですか。この魔法、初めて使うので加減が分からなかったのですよね。思っていたよりも子供の力が弱いですし時間がかかりそうですね。わたくしも飽きてきたのでもう一度魔法をかけてみましょうか」
「まっ!!」
オリウスの制止など聞くわけがなくパチンッと指を鳴らせば手足がグンッと引っ張られ痛みが増す。
皮膚は伸び、骨が軋み、肉は悲鳴を上げる。
伸びた皮膚が赤を超え紫色に変色するも、それを止める術などあるわけもなく皮膚が裂け始めたのか、ブチ………ブチ…………といった音が響いた。
「わぁ!きれいな音色。やっぱりこうでなくっちゃ面白くないですよね。今は子ども20人分です。ちゃーんと時間経過も合わせておきましたよ」
人が人でない形になろうとしているというのに、ヒストリアは恍惚な表情を崩さず、身体中を走り廻る快感に身を悶えている。
その姿は天上の天使のようにも、地獄の悪魔のようにも見えた。
「さて、ただ待っているだけも暇ですのでお話ししましょうか」
ヒステリアがそう言うも、オリウスは耐え難い痛みに唇を噛んで耐えるのに必死で、話を聞く余裕もなさそうだ。
「まず、わたくしがこの魔法を考えた経緯ですね。フフッ、なんか伏線回収みたいで面白いですわ。もちろん牛裂きに習ったのはそうなのですが、他の理由もあるのです。…………本当は子どもっぽくて言いたくないのですが、特別ですよ」
まるで生娘のようにはにかみ、勇気を出すように口を開く。
茶番としか思えないその姿は、傍から見れば滑稽と深淵なる恐怖を感じる。
「わたくし、人がゴム人間になれるのかに興味があったのです。知りませんよね、ゴム人間。手足がゴムみたいに伸びる超人です。わたくしがいたところでは子供でも知っていたのですが、知りませんよね」
目の前で起こっている異常を関知していないのか。
いや、そんなはずはない。
苦痛にもがく姿を見ていて尚、絶叫を聞いて尚、このようなたわいのない言葉を口にできるのだ。
「わかった!話す!私の他に君の親を殺した貴族を!ミュルガルド子爵にウィステン伯爵、それから………」
「フェンディ伯爵にチュールリア侯爵、ですよね。知っていますよ。彼らもターゲットの1人ですから。ですから安心して今を楽しんでください」
「な………………」
ヒステリアの情報収集能力に愕然とし、そしてそれら全員を殺すと言い放った彼女の顔は笑顔だった。
それは復讐に駆られる悲劇の乙女ではない。
それはーー
「実際、彼らじゃなくてもいいのです。わたくしは人の苦しむ姿が好きなだけですから。わたくしは自分の考えた拷問が、どれだけ人を苦しめられるかを確かめたいのです。けど、復讐にした方が同情してくれそうでしょう?」
それはまるでーー快楽殺人鬼。
快楽のままに暴力を振るう、苦痛に悶える顔を愛する狂気の人間。
彼女の相貌は正にそれを体現していた。
「話を遮らないでくださいよ。さっきのゴム人間の話なのですが、皮膚と骨を伸ばすのが出来たら普通の人もゴム人間になれると思うのです。って、やっぱり子供っぽいですよね。夢を叶えようなんてのが理由だなんて」
――だめだ。
――この女だけはだめだ。
――生きていてはいけない。
何を言っているのかは依然として意味が分からないが、自分だけの理由を以って人の命を弄ぶこの女だけは生まれてはいけなかった。
もし、この女を創造した神がいるのなら、何をバカなことをしている、と無礼を承知で怒鳴り散らすだろう。
しかし、そんな妄想を叶えることなど出来るわけもなく、いやむしろ今の苦痛から解放されればその望みもかなうかもしれない。
死、という解放の後に。
「さあ、ゆっくり待ちましょう。あなたがこと切れる瞬間を」
美女は笑う。
頬を血に染め、爪を紅く塗り、肉体が変貌してく音色を聴きながら、嗤う。
「いだいいだいいだいいだいいだい!!やだやだやだやだやだやだやだ!!」
筋肉繊維がブチブチとちぎれていく音が空間に響き、股間の付け根からは血がぼたぼたと滴り落ちる。腕は当初よりも数センチほど長くなっているだろうか。それはもちろんゴムのように伸びているというわけではなく、皮膚が限界まで伸びたことに起因するだろう。
しかしその皮膚も既に限界まで伸び切り、脇からはそれを知らしめるように出血が見られる。
「うああああああああああ!!!」
叫びに呼応して出血するも、悲しいかな、それが死に至らしめることも気絶させるほども出てこない。
骨が聞いたことのない音を発てるも、すぐには死なない。死ねない。これがヒステリアが興味で作った残虐と残酷と絶望をブレンドした魔法の効果だ。
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すころおおおおおす!!!お前は絶対許さねえ!俺が死んだら俺の家臣があああああ、絶対にお前を殺す!」
「なんて美しい言葉をかけてくださるの!今初めてあなたにときめきました!もっと聞かせてくださいな」
「黙れええええええええ!死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」
もはや人の言葉も忘れたように唱える声も、狂気に堕ちた美女には届かない。
愚かな男は最期まで自身の行動を後悔することも、懺悔することもなく、結局は自身の利益のみを考えて死んでいくのであった。
―――バツンッ
耳を劈くその音は手足が外れる音だった。
身体は完全に5つに分けられ、それと同時に愚かな男はこの世を去った。
腕全体にかけられた魔法の効果か、普通ではありえない様に魔法をかけた張本人はーーー嗤った。
血液が流れ出るのが遅くなり、心臓が止まったことを知らせるも彼女の嗤いは深くなるばかりである。
「ありがとうございました。やはりこの世界は面白さで満たされていますね」
この世界は不幸に満たされた。
誰よりも残酷で、誰よりも残虐で、誰よりも人を愛する者を転生してしまったのだから。
死刑判決を受け、確実に殺された彼女は新たな地で新たな生を始めてしまった。
「フフッ、次はどうしましょうか」
美女は笑う。
貴族を殺すことを決意した彼女はまさにこの一言で表せた。
傾国の美女
もう少し拷問の描写を丁寧に描きたかったなと思います。