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◆3-17:メラン 船外作業前室(1)

 見慣れぬ、とある場所でメランは自我を取り戻す。

 赤や青のグラデーションに煌めく外殻の海が見えているのは、展望ダイナーでよく見る景色と同じだが、ここはもう少し殺風景な空間だ。

 窓があるのと同じ壁面に等間隔で並んだ丸いくぼみがあるのを見て、メランはここが船外活動用の(おそらくは客向けの遊泳ショーを行うための)簡易デッキであろうと当たりを付ける。


 その頃には眠っていたときに見聞きした情報が頭の中にすっかり納まっていることにも気が付いている。

 まるで自分自身が考え、選択したように思える無邪気で幼稚な行動の数々。それらは今のメランには責任を負えない行動である。

 だから、そんなふうに感じる必要などないはずなのに、思い出されるそれらが妙に気恥ずかしい。


 一旦視線が足元へと向かい、それから自分が寄り掛かるものの形に沿って頭が持ち上がる。

 見上げた先には銀髪の少年の無防備な素顔があった。

 こうして見られていることに気付いていない、あるいはそれを気にしていない素の表情。

 彼は自分に抱き付いている少女の存在を意識の外に置き忘れてきたように、どこか遠くを見据えていた。

 首の角度からして窓の外を見ているのだろう。

 〈宇宙クラゲ〉の原形質が織り成す複雑な光の屈折に見入っているようだ。


 その真剣な目からユフィは──メランは目が離せない。

 何かが胸を締め付ける。

 それはメランが確かにメランであった頃も含めて、かつて感じた覚えのない不思議な痛みであった。


 首筋に吹き当たる微かな吐息によってケネスの集中が途切れた。

 彼の目線が下がり、下方から自分を見つめる少女と目を合わせる。


「どうした?」


 穏やかな声でケネスが言った。

 その真剣な瞳に見据えられることが堪らなくなりメランは思わず目を伏せる。

 視界に再び二人の足元が映った。

 二人の、互いに支え合うようにして寄り添って立つ四本の足。

 それを意識してさらに気恥ずかしさが募る。


「──ここはいいだろお? なあんもねーよ」


 唐突に背後のドアが開き、誰かが大声で話しながら入ってきた。

 驚いて咄嗟とっさに飛び退く。

 両手でケネスの胸を押して距離を取った。


 焦り。動揺。後ろめたさ。羞恥心。困惑。


 これは誰の感情だろうか。

 ユフィが見せたその反応を、ケネスが少し意外そうな顔で振り返っていた。


「なんだ。いたのか」


 入ってきたのはアキラを含む二人組だった。

 肩に清掃用の吸着スティックを立て掛け、足元にフロートカートを連れている様子からして、艦内の清掃の途中でここに立ち寄ったものと見られる。


「お前らもちょっとは掃除手伝えよー」


 アキラではないもう一人の男子がぼやく。

 名前はオーダズマ。だが顔に見覚えはあってもメランはその名を知らない。緑に近い灰色の鱗を持った典型的なドゥルパ族の少年だ。


「すまないが俺は免除されている」


 普段どおり、落ち着き払って応対するケネス。

 この銀髪の少年は、他の子供たちと同じ年頃のようだが、物腰や話し方の印象から彼だけ一段大人びて見えた。

 扱う銀連語にはイントネーションに少し不自然なところがあるものの、それは彼の見た目から、綺麗な標準語を話しそうなイメージを先行させてしまうためのギャップのせいだろう。


「知ってるよ。イザベルから聞いてるし」


 アキラが歩み寄り、ユフィの正面で立ち止まる。

 ケネスはユフィの記憶の回復を促すため、できるだけ多くの刺激を与えて欲しいと頼まれている。だから、こうして艦内のいろいろな場所にユフィを連れ回しているというわけなのだ。


 だから、そうだ。何もやましいことはない。二人きりでいることをとやかく言われる必要はないのだと、メランは心の中で抗議の声を上げていた。


「でぇ……、進展は?」


 アキラの態度はどこかぎこちない。

 何も知らないメランでも、二人の関係があまり良好でないことが分かるくらいにはよそよそしかった。


しゃべるようになった」

「は? マジかよ」


 アキラが急に色めき立ち背筋を伸ばす。

 その背後でゆっくりと倒れそうになる掃除用具をオーダズマが慌てて受け止める。


「俺、アキラだ。アキラ・マルティネス。準純地球種族だ。認定番号もある。君は?」


 差し出されたアキラの右手。注視するユフィは硬直して動かない。

 アキラの笑顔が少し引きる。


「喋るって言わなかったか?」

「難しいことはまだ無理だ。あと……、今はなんだか恥ずかしがっているように見える」


「はあ? 恥ずかしい? なんで?」

「分からない。アキラを見たせいかも」


 そうなのか。こいつも恥ずかしがったりするのか。

 と、ケネスの言葉にメランも何故かそわそわと思いを巡らせる。


 先ほどメランがケネスとの身体的接触を恥ずかしく感じていたことは間違いない。大の大人が、年端もいかない少年に抱き付いて甘えているような錯覚をしたせいだ。

 しかし、自分の感情が、もう一人の自分に伝わって影響を与えたりするのであろうか。


「お、俺を見て?」

「さっきまではこうじゃなかった」


「アキラのことが好きなんじゃないか?」

「え、えぇ……? 逆じゃねーの。嫌われた方なのかと思ったけどなー」


 横合いからオーダズマが無責任にはやすのを、アキラはまんざらでもなさそうに頭を掻いて否定する。


「変わった反応を見せたら、似た刺激を与え続けてみて欲しいと頼まれてるんだ。もう少し話し掛けてみてくれないか?」

「えー? しょうがねえなあ」


 これは少々おかしな、困った展開になった。

 このままではユフィの子守役がケネスからアキラに交替してしまうことにもなりかねない。頼むから今はいつもどおりの馬鹿っぽい──無邪気な反応に戻ってくれ。


 メランは届かぬ声を喉の内側で張り上げるが、ユフィは先ほどから棒立ちになったまま動こうとはしなかった。

 先に意を決して動き出したのはアキラの方だ。

 強引にユフィの手を握って窓際へと誘う。

 手を取られた瞬間、メランはそこにじんわりとした人の熱と湿り気を感じる。


「場所が原因だって可能性の方が高いかもなあ。自分が助けられたときのことを思い出したのかも」


 ほら、というようにアキラがポッドの一つを指差した。

 そうしてそのままユフィをその窪みの方へと引っ張っていく。


 身体が前につんのめる。

 倒れてしまう前に片足を前に出して支える。

 それでもさらに前へ前へと行くので次々と足を踏み出す羽目になる。

 パタパタと、不器用な足取りでアキラの後を追った。


 ──あ、あれ? これは……?


 足の裏やももに伝わってくる、身体の重みや筋肉の張り。

 それに、左手の指先に感じる汗ばんだ感触も先ほどから妙に生々しい。

 立ち止まったアキラの腰に添えられた自分の右手を──アキラに握られていない、自由になる方の手を──メランは信じられない思いで見つめていた。


 転ばないようにここまで足を前に運んできたのも。ぶつからないようアキラの腰に添えた手も。今のこれは、()()()そのように身体を操ったのではなかったか?

 いつからだ? いつから、何が切っ掛けで?


 唐突に取り戻された身体感覚にメランは困惑する。

 すると、この右手の所在はユフィではなく、俺自身の責任なのかと要らぬ考えが思考の邪魔をする。

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