◆3-10:ケネス 倉庫
ケネスが探していたのは、この艇から姿を眩ますための上手い方法だった。
一時的に命令に背いたとはいえ、ケネスには最初から自分の組織を裏切るつもりなどなかった。
子供たちの安全が確保された以上、今の彼が最も優先すべきは自分の痕跡を消してこの避難艇を去ることである。
ただしそれは、子供たちを連盟の人間に救助させること以上に、いやその何倍も困難なミッションだと言えるだろう。
帰りの足に関してはヴェエッチャから迎えの約束を取り付けてあるものの、脱出の具体的な目途は何一つ立っていなかった。
しかし……。あるいは、それぐらい不可能じみたオーダーの方が丁度よいのかもしれない。そんなふうにも思うのだ。
味方から照準を合わされていたときの(ケネスがそうだと思い込んでいたときの)絶望的な状況を見事乗り切ったという経験は、ケネスに新たな自信と余裕を身に着けさせていた。
全能感にも似た、〈F3回路〉に対する絶大なる信頼だ。
方法はどんな突拍子もない方法でもいい。
必要なのは物語である。
それも、劇的であればあるほどよい。
ケネスが今一番可能性を感じているのは、艇全体を覆うあの紫色の外殻の海に再びダイブすることであった。
一度あの海に身体を浸したときに感じた奇妙な感覚をケネスは忘れられずにいた。魅入られていたと言ってもいい。
あの不思議な海にもう一度身体を預けることができれば何かが起こるのではないかという根拠のない予感がある。
それは〈宇宙クラゲ〉の詳細なメカニズムを何一つ知らないケネスだからこそ抱く神秘性ゆえの強固な錯覚だった。
ケネスが打算するシナリオの一つは、例えばこうだ。
銀河連盟による救助隊が到着した際、何らかのトラブルで船外作業を行う必要が生じ、ケネスがその役を買って出る。
危機一髪、障害を排除し、子供たちの救助は成功するが、そのとき不慮の事故でケネスは宇宙空間に投げ出されて帰らぬ身に……。
実際には、ケネスの身体はヴェエッチャたちによって秘密裏に回収されるわけだが、銀河連盟の連中にとっては身を挺して子供たちを救ったのは一体どこの誰だったのか。真相は宇宙の闇へ。という寸法だ。
その筋書きをなぞるためにはまず、外に出るための気密服を調達する必要があった。偶然が向こうからやってくるのを待つのはケネスの性分ではない。幸運は最善を尽くしたのちに祈るものである。故に、ケネスはこの広大な区画の散策を続けているのである。
すでに船内は一通り回り切った後だったが、イザベルたちがシステムのコントロールを取り戻して以降、幾つか追加で開放された区画もある。
今、ケネスが足を踏み入れた場所もそんな区画の一つだった。
僅かな照明に、肌寒い空気。
コンテナのように見える金属製の大きな箱の一つに適当に目星を付け開錠レバーを探す。
縦長の棚が横にスライドして開いた途端、霜の霧が舞い起き、思わず顔を背ける。
用心しながら表面の白い粒を手で払うと、どうやらこれは食料品を収納したキャビネットだろうと当たりがついた。とは言え、このままでは口にできそうにない。自動化された調理設備用の中間加工品に見える。
引き出されたこれを、どうやって再び収納すればよいだろうかとコンテナの回りを観察していると──、ふと背後に人の気配を感じた。
それはケネスが久しく忘れていた鋭い感覚だった。
脈絡もなく、あの赤髪の男の顔が思い浮かぶ。
あれだけ探しても見つからなかったのに今になってか、という意外な思い。
いや、ずっとこの閉鎖区画に身を潜めていたとすれば、ここで出会うのは道理ではないか。
ケネスが反駁を繰り返す間に、背後の男がひたと距離を詰める。
不意を討たず、気配を悟らせたのはお前なりの矜持なのか──。
沸騰しそうなほどに熱く滾る血流を感じながら、ケネスが振り向きざまに手刀を放つ。
水平に薙いだ一閃は、しかし虚しく空を斬った。
下に沈み込む気配。
いや、右か?
目で追えないほどの相手の動きに危機感を募らせ、ケネスが堪らず身体を横に躱す。
どこから来るとも分からない追撃を前に、同じ位置で立ち尽くす愚は犯せない。身体がそんな直感を働かせたのだ。
無重力状態で組み合ったあのときとは比較にならない動きの切れを感じる。
やはりお前は凄い奴だった。
頭の中で何倍にも膨らませていた期待を易々と上回ってきた。
ケネスは浮き立つ手足を宥めて身体を内に絞る。
とにかく相手の姿を視界に捉えねばならない。
臨戦態勢を整えたケネスの視野が、ゆっくりと瞬きをするように明滅する。
一瞬の困惑。
ケネスが立ちすくむ間に倉庫内の照明が今度は完全に消灯する。
ケネスは周囲の時間が弛緩し、自分のささくれ立った神経が暗闇に向かって拡がっていくのを感じた。
左前方に息を吸う僅かな気配。
床を後ろ向きに蹴って距離を取ろうとしたのだが、その考えが甘かった。
相手はケネスのぬるい判断を諫めるように、彼の動きを正確に追尾し猛然と突っ込んで来た。
低い!
ケネスは堪らずそこに肘を打ち下ろす。
だが不十分な体勢で苦し紛れに繰り出された技は速さも威力も不十分で、手練れの戦士には届かない。
肘を前に出したのは、あわよくば相手の攻撃を牽制する目論見もあったのだが、躊躇いのない相手の速さはそんな小細工に些かも怯まない。自分の迂闊を悟ったときには既に懐深くまで潜り込まれていた。
真下からせり上がってくるような角度でタックルが入り、ケネスの身体が浮き上がる。
肘打ちのために横に捻られた身体は、倒れ込む衝撃を殺すことの方に役立った。
マウントを取られたとしてもまだ終わりではない。
冷やされた肝に闘志の火をくべて腹筋に力を込めたとき、今度は上から、顔全体に予想もしない感触が襲ってきた。
細かな糸状の何かが大量に降り注ぎ、ケネスの額や頬を優しく撫でていく感覚……。
そこに纏われていた甘い空気の層が雪崩を打って押し寄せ香る。
丁度そのとき、天井の辺りから唸るようなモーター音が起こり、暗闇に覆われていた視界が晴れた。
ケネスは唐突に毒気を抜かれ、裏拳を振るおうとしていた拳を緩めた。
背中の後ろにその手を突いて上体を起こす。
下腹部にぐりぐりと頭を押し当て蠢いていたのは──、これは赤髪のあの男ではない。ライムグリーン色の髪をした少女であった。
ユフィは、ケネスの戸惑った視線に気付くと顔を上げ、少し気恥ずかしそうにして笑った。




