◆3-9:イザベル 通用路(2)
突き当たって右、その先も、突き当たって右を二度繰り返すと、スタッフオンリーのホロサイネージを突っ切った先に、下の階層へと螺旋を巻いて伸びる階段が見えてくる。
階段を下りながら目を凝らすと踊り場の床に飛沫のような水滴が跳ねているのが見えた。やはり、こちらで間違いなさそうだ。
コントロールルームへと続く殺風景なこのエリアなら、誰かがいるとしてもネムリぐらいのものだろう。逃げた方向としては悪くない。
だがイザベルのその楽観はまたしても裏切られる。
階段を下り切り、右に曲がった先で、予想外の人物とバッタリ出くわしたのだ。
「タウネル=バッハ!?」
足元の床と会話するような謎の体勢からゆっくり上半身を起こしながら、しわくちゃの顔が振り返る。
普段に比べて三割くらい眉間に寄る皺が多い。一見して不機嫌そうに見えるが、あまりに皺の数が多過ぎて、その中からこちらに微笑み掛ける表情の線を探そうとしてしまう。
「なんだ。間の悪ぃ女だなぁ」
あ、違う。
不機嫌そうな感情がありありの声を聞き、これはバッハの方だわと咄嗟に心を身構えさせた。
どうやらあの表情は、第一印象どおり、デュオクト族のしかめっ面であったらしい。
「ユフィ……ここ通ったでしょ? 見なかった?」
タイミング的にはすれ違っているはずだ。半ばそれを確信しながら恐る恐る訊ねる。
「ユフィ? 誰だそれは」
タウネルの方なら彼女の紹介時に居合わせていたはずだが……。
デュオクト族の中の人同士がどうやって、どこまで情報共有しているのかは正直詳しくは知らなかった。本当に知らないのかもしれないし、意地悪なバッハの性格なら、知っていて敢えてとぼけている可能性もある。
「は、裸の女の子よ。緑の髪した」
「はあ? ふざけてんのか?」
目が吊り上がり、額にあった複雑な皺がまとまって一つの太い線になった。
あ、これは本当に知らない感じだ。
えっ、じゃあ、ユフィはどこに消えたのだろう?
イザベルは振り返り、上に戻る階段と、今いる方向とは逆の、左手に曲がる通路の先を見て首を傾げる。
「バッハ、貴方ここで何してたの? ずっとそこで俯いて床を眺めてたり、とか」
イザベルが話している途中でバッハがわなわなと震えだす。
「馬鹿にしてんのか! てめえ! てめえが命令したんだろうが!」
バッハが彼の膝頭くらいの位置で浮いていたフロートカートを両手で持ち上げ、イザベルに向けてずいと差し出した。これまで陰になってよく見えなかったが、彼は何も床と会話をしていたわけではなかったのだ。
「あっ、掃除してくれてたんだ。ごめんね」
見れば通路のそこかしこにショッピングモールから転がってきたと思われる商品が散乱している。
店舗群からの距離はかなり離れているが、無重力と横殴りのGの影響でこの辺りが吹き溜まりとなったのだろう。
「てめえ。こっちの弱みにつけ込んで、いい加減にしろよ?」
「ごめんて。けど、弱みって? 私、みんなで協力してやろうってお願いしただけだけど?」
「あー、やっぱり魔性の女だったぜ。タウネルの奴、可哀そうに」
「な、なんのことよ?」
ほんの少しだけ思い当たる節はあったがイザベルは知らぬ振りを決め込む。
「お前に気に入られようとして張り切ってんだよ。昨日の夜も一人で夜通し片付けて歩いてたんだ。それをお前、何してんの、とかないわー。労われよ」
「ごめん……。あの、ありがとね……」
「俺にじゃねーよ! タウネルに言ってやれ。俺的にはお前みたいな性悪女、どうでもいいんだ」
バッハはプイとそっぽを向き、通路に転がったごみの回収作業に戻ってしまう。
なるほど。バッハの方は私のことが気に入らないわけね。オーケー。それは分かった。けど、文句をいいながら相棒のタウネルの行動に協力してることはどう解釈すればいいわけ? それって私の気を引くためのアピールなんでしょ? それに、デュオクト族の人格交替周期からすると、夜通し片付けをしていたというのもタウネルではなく、バッハのときだったはずなのに。
イザベルは口に出せないモヤモヤを頭の中でワンワンと響かせていた。
「分かった。そうする。けど、今のやり取りって、次タウネルと交替したときの貴方は憶えてるわけ?」
「なわけねーだろ。俺がチクらなきゃあいつはなんも憶えちゃいねーんだ。お気楽なもんだぜ。ったく」
バッハはこちらに背中を向けたまま腰を屈め、フロートカートに向けてぽいぽいごみを放り込んでいる。
まったく。デュオクト族は自分の自己同一性にどう折り合いを付けているのだろうか。
イザベルは頭の中のもやもやを隅の方に押しやりながら、これ以上は構ってられないとばかりにピポットを踏んだ。
回れ右。
じゃなくて、回れ左だった。
下りてきた階段が左回りの螺旋だったせいで、きっと次に行き当たったこのT字は左に曲がったんだ。
彼女の中で芽生えた画期的なパラダイムシフト。
彼女はバッハか、あるいはタウネルが、ああやって背中を向けている隙に、その背後を駆けて行った……。まったく世話の焼ける。
足元の床にユフィの痕跡を探しながらイザベルが歩き出そうとすると、後ろから声が掛かった。
「ああ、そういや裸の女は見てねーが、あのエイリアンなら見たぜ?」
「エイリアン?」
「ほら。あの銀髪のお。昨日の夜もあちこちうろついてやがった。アキラから聞いてねーか? あいつには気をつけろって忠告しといたんだがなあ」
アキラに変なことを吹き込んで焚きつけた犯人が見つかった。
「ケネスでしょ? いつ頃? どこで見かけたの?」
「ついさっき。ここですれ違って、そっちの方に歩いてったよ」
イザベルは顔を引きつらせ、バッハが指差す方向を振り返る。
「大変……!」
彼女の頭の中には、一糸まとわぬ姿でケネスに抱き付くユフィのイメージがありありと想像されていた。




