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◆3-5:ケネス WC個室(2)

「コール。ケネス175182。俺だ。ヴェエッチャ、聞こえるか? コガネイでもいい。応答してくれ」


 応答までにはたっぷり時間があった。その間にケネスは個室内に設置されたパネルを手探り、厳重に音を遮断する。

 やがて風切り音のような鋭いノイズを挟んでデバイスが応答を返す。

 最初に聞こえてきたのは大音量の音楽だった。ヴェエッチャが好んでよく流していた大昔のロックバンドの。エレキのむせびとボーカルのロングシャウト。


『ケネスか? 生きてやがったかこの野郎! ……オイ待て、録音はするな。それよりダミーの環境音に差し替えろ。早くっ!』


 途中から遠くなって聞こえた声は、相棒のコガネイに向けての指示だろう。

 そのやり取りだけでケネスは自分の作為がヴェエッチャに伝わっていることを確信する。

 少しして向こう側のBGMが収まった。


『ケネス。お前。どうやって直接ここにコールできた? いやぁ愚門か。取り返したんだな?』

「ああ」


 ケネスがやったのは手首に埋め込まれた生体チップに標準装備された短距離通信機を起動させたこと。その出力をデバイスのアンプで増幅させただけのことだった。

 アナクロなテクだ。惑星の地表からその裏まで繋いで通信する程度は造作もないが、それが互いに亜光速で移動する艦をまたいで通信を確立できる手法かと問われれば当然そんなはずはない。

 それこそ真面目に実現の可能性を議論することも愚かしい、極限に歌舞カブいた綱渡りのセッションである。

 故に、ヴェエッチャにも、ケネスが何をしているのか、そして何を意図して連絡してきたのか察しが付いたということだ。


『でかした小僧。これで首の皮一枚繫がったぜ。……それで?』

「きっとまだこの宙域に留まってるだろうと当たりを付けた」


『ああ、そうだよ。紛失の責任を取らされて無期限の居残りだ。それより何だ? ビーコンを鳴らさず、わざわざ迂回して連絡を寄こした理由を話せ』

「子供たちを救いたい」


『まだそんなこと言ってんのか。俺たちに迎えに来いってか? スクールバスの運転手じゃねーんだぞ』

「いや、逆だ。何もしないでくれ。彼女たちを〈接触派〉に引き渡すつもりはない」


『待て。ちゃんと話せ。話が見えねー』


 ヴェエッチャの声のトーンが下がる。

 ヴェエッチャが頭を掻きむしっている仕草が目に浮かぶようだった。


「簡単な話だ。今から多分シグナルが流れる。連盟のプロトコルの救難信号だ。捕捉してもそれを無視して欲しい」

『まさかお前、奴らに救助させるつもりか? 子供だろうが関係ねえ。生存者どころか、たとえ艇の残骸ひと欠片でも奴らに情報を与えるわけにはいかねーってのは、絶対の大原則だ。分かってんのか?』


 ヴェエッチャの反応はケネスにとって予想どおりのものだった。

 その後ろからコガネイの差し迫った声が続く。


『兄貴! 兄貴、信号だ。奴らの信号を捉えた。進路逆。(-11,3,-4)方向。畜生ぉ、随分前に追い越してたみたいだ』


 ヴェエッチャが沈黙する傍ら、コガネイが忙しなく指示を仰ぎ続ける。


『撃っていいのか? 十分狙える距離だぞ? どうする?』

『聞こえたか、ケネス? そういうことだ。フェイズが変わったんだ。俺たちは別に無理に回収しなくても任務を達成することができる。号令一つ。ボタン一押しで完了の簡単な仕事になった』


 ヴェエッチャの発言は、上が、最早自分たちの痕跡を残すこともいとわずに、デバイスごと消滅させる決断をしたということを意味していた。

 自分の乗る艇が味方の照準に収まっているというのは心臓に悪い想像だ。

 だが、通信を繋ぐ前からケネスの腹は据わっていた。


「できると思うなら試してみたらいい。俺はなんだか良くない予感がするからお薦めしないけどな」

『おい、調子乗んなよ? 今はこっちにもデバイスがあるんだ』


「それは良かった。なら是非聞いてくれ。ビーム照射は明後日の方向に外れて、エネルギーの残響が連盟の奴らに観測されるだけの結果になる。何故なら、さっきの救難信号で、すでに連中の注意がこの宙域に向けられているからだ」


 その不吉な考えがヴェエッチャの頭にこびり付くように、できるだけ呪詛じゅそめかして言ってやる。


『馬鹿言うな。半径10光時ばかし。〈認識阻害ベール〉の真っ只中だ。連中のちゃちな信号が届くかよ』

「…………」


 おそらくヴェエッチャは撃たないだろう。

 そんなリスクは侵せないはずだ。

 言い返す自分の言葉が、すでに盛大なフラグになっている。

 そのことに気が付いた声をしていた。

 離れていても、顔を合わせなくても、それくらいのことは分かる間柄だ。


 だが、想定外のことはケネスにも起こる。

 一人の若造の考えで何もかも思い通りにできるほど、〈F3回路〉が作り出す〈場〉とは単純なものではないのである。


『──駄目だ兄貴。上からだ。何故撃たないのかってっ突いてきやがった。個人端末の通信記録ぐらいいくらでも改竄かいざんできるけど、枝付きのライヴは無理だぁ。てか、もう何をやるにも手遅れだ。知られちまったぜ』

『馬鹿野郎。〈悪い予感がする〉って言って待たせとけ』


『えぇえー!?』

「外れる……。もしくは原因不明の故障」

『もういいからお前は黙れ!』


 ケネスが放った追い打ちの呪詛はヴェエッチャ個人には効いていそうだが、遥か彼方におわします御歴々にまで伝播することは期待できないだろう。

 ケネスは狭い個室でまんじりともせず沈黙に耳を傾けた。

 やがて間合いを測るようにしてヴェエッチャが切り出す。


『ケネス。お前裏切ったのか?』

「いや、そのつもりはない。俺はここにいる子供たちを救いたいだけだ」


『逃げ伸びた奴がいることが分かれば、どのみち次は船団全部が標的になるぞ。いや、船団規模で収まればいいが……、正直どう転ぶかは想像したくもねえ』

「彼らは何も知らない。ただの子供なんだ」


『お前もな! ガキが! そんな青臭い理屈が通じるわきゃねーだろ!』


 ヴェエッチャの激した声が再び沈黙を作り出す。

 ヴェエッチャにケネスを説得する手立てがないのと同様に、ケネスも手詰まりだった。

 相手の照準に捉えられている以上、この艇にそこから逃れる術はない。

 ヴェエッチャの慈悲にすがる以外に手がなかった。


 狭い個室で一人、耳を澄ましながら、ケネスはやはり自分の行動は楽観──いや、自暴自棄に過ぎたのだろうかと後悔の念を湧き立たせ始める。

 僅かな時間で様々な感情の機微が胸中で複雑な幾何を為して渦巻く。次にそれが、絶望の一色で塗りたくられるまでさほど時間は掛からなかった。


『……悪いなケネス。タイムアップだ。上が最後通牒を送ってきやがった。読み上げてやろうか? “貴君の任務が極めて困難であることは我々が認識した。全ての責任は同胞全員で負うことを約束するので気兼ねなく撃ち給え”……だと。この文、誰が考えてんのかね? オペレーターか、それともあの爺様たちか?』

「…………」


『それと、さっきの救難信号な。やっぱり外には漏れてないらしい。安心しろ。お前は任務をやり遂げたんだ。そこにいるっていうガキどものことも……、まあなんだ……。始末書の端くらいには、書いといてやるよ』


 およそ、らしくない湿った物言い。

 聞いている相手が、次の瞬間にはこの世からきれいさっぱり消えてなくなることを知っているからこそ衝いて出た言葉なのだろう。ケネスにはそれがよく分かった。ヴェエッチャとは、彼が物心付いた頃からの仲である。


 今にもヴェエッチャが合図を送り、コガネイの指に掛けられたトリガーが引かれるはず。

 自分たちが乗る避難艇が一瞬で融解し、宇宙の塵と化す瞬間を、ケネスはありありと想像した。

 ──だが。


『おい……。おい、コガネイ。撃ったんじゃねえのか? ……なんだよ、パクパクしてねーではっきり喋れ』

『やられた! やられたって言ったんだ! 畜生。どうも奴らにしては航跡が直線的だと思ったんだ』


『外したのか!? 慌てんな。すぐに二射目を──』

『そうじゃない! デコイだよ。あーもうっ! 未開のエイリアンめ。こっすい真似しやがってぇ』


 二人のそんなやり取りを聞くうち、ケネスの視覚に色彩が戻ってきた。

 手足の重さを、そこに巡る血の熱さを思い出す。

 麻痺していた四肢の感覚が戻って来る。

 身体を支えておくのが困難なほどの重い虚脱感。

 裏を返せば、今の今までケネスは五感を失くした、息も絶え絶えの状況にあったのだ。

 そのことを、精神と肉体が回復を始めた今になってようやく自覚する。

 押し殺した声で激しくあえぎながら、ケネスはようやく自分の生還を信じる気になった。


『おい。ケネス。聞いてるのか? これも全部お前の計算のうちなのか?』

「……っ、馬鹿言え。死んだと思ったぜ」


 そうだ。絶対に助からないと思った。

 ケネスの主観では、そう、()()()()()助かる目のない窮地だったのだ。


「連盟の奴らが……、いや、子供たちの方が一枚上手だったんじゃないか?」


 自分を鼓舞するようにケネスの口から衝き出た軽口は、事の真相を実に的確に言い当てていた。


 もしも始めにネムリがそうしようとしていたように、元々このE16区画に備え付けられたマニュアルに従って、型どおりの救難信号を発信していたとすれば、先ほどの攻撃でケネスたちは間違いなく宇宙の塵と化していたことだろう。

 だがこのとき、あのレトロなコントロールルームでネムリたちが参照していたのは、ベルゲンの艦長が全ての避難艇に送付していた緊急マニュアルだった。

 40年前の苦い経験を糧に、次の遭遇を見越して銀連政府が予め策定したマニュアル。その正体も、本当に実在するのかさえも定かでなかった〈見えざる者〉を出し抜き、何としても同胞へ情報を届けるため、様々な妨害や障害を想定して練られたプラン。その中の一つが功を奏したのである。

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