◆2-19:ケネス 展望ダイナー(5)
マヤアの期待の籠もった視線を背中に感じながら、ケネスは男子グループがゲームに熱中するテーブルへと足を運ぶ。
なるほど。マヤアという少女の観察眼はあの立派な水晶体に引けを取らない確かさであるらしい。
思いがけない成り行きではあったが、ケネスの心の奥底には確かに、あの真っ白で柔らかそうな毛を撫でてみたいという欲求があるようだった。
撫でてもいいんだよと、ある種の許しを得ることで、自分の中のその欲求をはっきりと自覚する。
本当はこんなことをしている場合ではないのだが、昨日から一睡もせずに捜索活動を続けているのだ。食事休憩がてら、少しリラックスするくらい罰は当たるまい。
ケネスは話し掛けるタイミングを見計らうため、ひとまず彼らの隣のテーブルに着き、未だ手に持て余していた昼食を片付けることにした。
食事をしながら彼らを観察していると、どうやら後から遊びに加わったドッドフにゲームの説明をしているところのようだった。
ゲームはダイスを使ったもので、シンプルに要約すると親が振るダイスの目を子が予想し、獲得した目で手役を作って競うというものだ。
ケネスが菓子の個包装をすべて開け、飲み物で胃の奥に流し込む間に説明は終わり、皆が真剣にボードを睨みながらの賭け手順タイムが始まっていた。
「えっ、みんなもう終わりなの?」
「そうだよ。確率的に言ったらこんなもんだよ」
「外したチップは返って来ないんだぞ。分かってるか?」
「ドッドフは既に危機的水準を超えていると、タウネルは指摘するのである」
「まあ、やってみりゃ分かるよ。こういうのは痛い思いして覚えるもんだ」
そう言って巨大なカマキリのような見た目の少年が机の上のダイスを攫ってカップの中に放り込む。
「え、待ってよ。5個まで置いていいんだよねぇ?」
ボードの上に目を向けると、ドッドフが賭けた黄色のチップは全て1の目に置かれていた。そこに加えて置かれようとしているのは4枚目のチップ。それも、またしても同じく1の目が出ることに賭ける枠内である。
それを見た途端、他の四人が声を合わせて笑いだした。
「やー、ごめんごめん。さっきのは特別だから」
「あんな偏った目はそうそう出ねーよ」
「だって二回も連続して出たんでしょ? だったら次も出るかもしれないじゃない」
馬鹿にされたと感じたのか、ドッドフはプーとむくれて手持ちのチップ全てを1の目のマスに置いてしまった。
「だー! そういうことされるとゲームが雑になるんだよなー」
「タウネルとしては、この回はデモンストレーションにすることを提案する」
「まあ、そうする? 一回やってみて次から本番ね」
ゲーム自体は馴染みのないものだが、使う道具が六面体のダイスであれば確率は容易に計算できる。端で見ているケネスにも、ドッドフの戦術が破れかぶれのものだというのは想像ができた。
「二回も連続して出たというのは、1の目が揃って出たということか?」
言い合いが小休止した僅かな隙を突いてケネスが口を挟む。
「そうなんだよ。1のゾロ目がさ、しかも2回連続」
「あんだけ1が出たらもう当分出ねーよ。なあ、お前もそう思うだろ?」
「それおかしい。前がどうだったかに関係なく確率は一緒のはずだよ」
「タウネルとしては、その考えには賛同するのである。1の目が出る確率は変わらない」
「でしょ? きっと1が出易いサイコロなんだよ」
「いや、変わらず、とても低いのである」
先に沢山1が出たから次は出ないという主張も、だから次も出るという主張も錯覚に過ぎないはずなのだが、強いて言うならケネスにはドッドフの言う〈偏りがある理論〉の方が、まだ幾らか論理的な思考であるように思えた。
そもそも〈六の五乗分の一〉が2度続けて出たという話からしてかなり胡散臭い。いや、端的に言って剣呑だ。見過ごせない。
テーブルの脇では、ごねるドッドフに言い聞かせるための試し振りが繰り返されていたが、そこで表になるダイスの目は至って平凡である。
何気ない素振りでそのダイスの一つを摘まんで確かめてみるが、ケネスが手に持ったり眺めたりする限りそこに細工があるようには思えなかった。
「あ、そうだ。お前。ケネス。ケネスが代わりに振れよ」
不意にカマキリ少年がケネスに代振りを要求してきた。
これも話の流れである。そう言えばおかしな目を出したときの親は二回とも彼であったことを誰かが指摘し、不正が疑われていたのだった。
「引き受けた。賭けはそのままでいいのか? デモンストレーションではなく、本番で?」
二つ返事でケネスが五つのダイスをジャラリと鳴らし、もう片方の手でカップを受け取る。
「うん。早く振って」
ドッドフは両手を顔の前で合わせ、念を込めるようにギュッと目を瞑った。
あのフカフカの毛に埋もれた手指は一体どうなっているのだろう。まさか本物の犬のように肉球になっているのだろうか。それは生活する上で不便ではないのか。……気になる。
他の面々もヤレヤレという表情ながら、ドッドフの好きにやらせる気になっているようだった。
それを確認し、ケネスはひと思いにダイスをカップに投げ入れた。
片手で蓋をした状態で数度シェイクする。そこに作為はない。
仲間内の賭博でヴェエッチャが器用にやってみせていたような、ダイス目を操るような技術もケネスは持ち合わせていなかった。
カップがテーブルを叩き、皆が固唾を飲んで開かれる瞬間を待つ。
果たして──。
「おわーっ!!」
「キィーーッ! キッキッキッ!」
「にょおお!」
「はははははは!」
「ウゥーッ! ワンッワンワンワンッ!」
意味を為さない奇声の数々がダイナーの端から端にまで響き渡り、別のテーブルにいた者たちも何事が起きたのかと席を立ってぞろぞろと集まってきた。
ケネスは皆が興奮の絶頂にある中にあって、一人顎に手をやり、1の目が5つ揃ったダイスを眺めていた。そうする振りをして、眼球だけを動かし、抜け目なく周囲の反応を窺っている。
この中に、何らかのイカサマを仕掛けた人間がいるのかどうか。いないとすれば、こんな偏った目が出ることで得や損をする人間は誰か。もしくは、ここでこの騒ぎが起きることの方に意味があるのかもしれない。
ケネスが最後にあのデバイスを触ってから、〈F3回路〉の設定が変えられていないとするなら、その出力は最大。そして、効果範囲は最小になっているはずだった。
そのことは、今あれを所持している人間に関わる事物に対し、ほとんど奇跡に等しい偶然をもたらす状態にあることを意味する。
作用する〈場〉自体の広さや距離にはほとんど制約がないため、不可思議な現象が観測された場所の近くに持ち主がいるとは限らない。限らないものの、主観的な因果が優先されるので、持ち主の意思とは全く無関係に、この極端に偏ったダイス目という事象が起きているとも思えないのだ。
これまでケネスは、あの赤髪の男が瀕死の身体をどこかに隠し、F3の作用で生き長らえているものと仮定していた。
だが、もしかすると、既に持ち主はあの男ではなくなっているのかもしれない。
彼の死後、あのカード型デバイスは数奇な運命により誰かに拾われて。それこそ今、この奇妙なダイス目に沸く面々の中に、密かにあれを隠し持っている者がいると考えられはしないだろうか──。
「ところで、今の勝負には何か賭けられていたのか?」
勝った勝ったと喜び飛び跳ねるドッドフを横目に見ながらケネスが訊ねる。
「タウネルの知る限り、そんなものはないのである」
「名誉かな。あと、自分は他の人より賢くやれるという満足?」
「あれ? 勝った奴ぁ、次の配給の菓子を好きに選べるって決めなかったけか?」
「それはドッドフが加わる前の約束であったとタウネルは主張する」
「なんだ? 難しい顔して。分け前でも貰えると思ってたのか?」
「いや、そういうわけでは……」
「いいよ! 君のお陰で勝てたんだし。ご褒美に僕のことモフモフさせてあげる!」
「ばぁか。そりゃお前がして欲しいご褒美だろうが」
妙な流れになった。
断る間もなくドッドフが勝利のテンションのまま身体を寄せてきて、ケネスの鼻先に白い柔毛が突き付けられる。
「…………」
断じてこんなことをしている場合ではないのだが……。
そうだな。変に怪しまれても困るだろう。
ケネスは彼らを取り巻くギャラリーの中に立つマヤアの姿にチラリと目をやり、そして目の前に迫るふくよかな毛並みへと手を伸ばした。
「これは……。フカフカだな。想像以上に」
「えへへ。でしょー?」
二人の様子を見て「ケネス君可愛いっ」と黄色い歓声を上げる女子らの声も気にならないではなかったが、恥ずかしさよりも今はこの感触を堪能したいという衝動の方が勝った。
初めは恐る恐るドッドフの頬を両方の手で挟むように優しく撫でていたケネスだったが、指の先から伝わる感触を味わうほどに、もっとそれを全身で知りたいと思うようになる。
「もっと、強めにしてもいいか?」
「いいよ。もっとモフモフして」
「抱き締めても?」
「うんっ」
ドッドフの尻尾がピンと立ち元気に左右に振れる。
このときを待ちわびていたと言わんばかりにケネスがドッドフの正面からひっしと抱き付く。腋の下から通したケネスの両腕が、真っ白で長い毛足の中にどこまでも深く沈み込んでいく。
毛の中に匿われていた空気の層を鼻に吸い込み、ケネスはその香ばしさに思わず恍惚となる。
女子たちの悲鳴のような声が上がり、それはケネスの耳にも届いていたが、すでにまったく気にならなくなっていた。
「こら、調子のんな!」
「すぐ離れて!」
「羨ましい? じゃあ後で君たちにもモフモフさせてあげるよ」
「そっちじゃねーよ、馬鹿犬!」
女子たちの口汚い言葉もドッドフは意に介していない。そもそも彼は自分が話題の中心になっていることが嬉しいらしかった。




