◆2-9:アキラ ショッピングモール(1)
嫌悪と恐怖。
姿形の異なる同胞と同じ宇宙で暮らすうえで、その二つのネガティブな感情を排除することは、彼らが奉ずる最も初歩的な決まり事であった。
典型的な銀河連盟民であるところのアキラにとっても、異種族に対する非差別意識は当たり前に備わっている、マナーと呼ぶのもはばかられるような常識である。
そう思っていた。このベルゲンの体験実習に参加するまで……、いや、真に空腹状態のマダグ族というものを初めて見るまではだ。
今、アキラたちの前に巨大な身体でそそり立つムンドーは、一週間に渡る合宿で寝食を共にしてきた彼とは明らかに様相が違っていた。
二本足で歩き、二本の腕で物を掴み、頭部にある口で理性的に物事を語っていた人型の姿は鳴りを潜め……、今の彼は、大まかに言ってしまえば全身の部位が食物を咀嚼する口や消化器官でできていた。
口で床の上を這い歩き、口で物を掴み、口で食べ(それは当たり前か)、そして体内に取り込んだ後は、同じ部位が肥大した胃袋のように変じて蠕動を繰り返す。
食物だけでなく、外装の容器諸共を飲み込んだ後、引き裂き、ねじ切り、すり潰し、消化している。
見えざる肉の内側でそんな饗宴が執り行われているであろうことは、遠慮のない音と動き、それから時折吐き出されるパッケージの残骸から推測することができた。
それが先ほどから、アキラたちが見ている前で休むことなく繰り返されている光景であった。
いつ、どこで見て、あるいは嗅いで、食物の在り処を探り当てているのか分からないが、ムンドーは全身で咀嚼しつつ、次なる対象を探しては捕食し、じりじりと移動を続けている。
弛みなく、執拗で、野放図な動き。そこには食べるという一事のみが存在していた。
アキラは呆気に取られてそれを見つめることしかできない。
面白がってムンドーに食べ物を与えていた者たちは、今もなお、嬉々として菓子の箱を抱えて運んできたり、ムンドーが進む向きを指差したりして、彼に貪食を促していた。
「すっげー、ほんとに何でも食うぞ」
「なあ、まだ食える? まだ腹減ってるか?」
声を掛けられてもムンドーは言葉を返さず、大きなゲップで応えるだけだった。
こんなふうになってからのムンドーは完全に知性を失くしてしまったように見える。アキラがこの避難艇の窮状について耳打ちしたときにはまだ意思疎通ができていたはずなのだが。
ダイナーでセスと口論になり喧嘩別れをした後のことだ。
多少気が立ってはいても、ムンドーの性格なら分別をもって暴食を控えてくれるだろうと期待し、子供たちだけで孤立した今の状況を説明したのだが、とんだ誤算だったとアキラは奥歯を噛み締める。
「おい! 気をしっかり持てムンドー! 馬鹿にされてるんだぞ? あいつらお前を知性のない原生生物か何かみたいに扱って遊んでるんだ。悔しくないのか? 理性で食欲を押さえてみせろ!」
今やどこにあるかも分からない彼の耳に向かってアキラが声を張り上げる。
マダグ族は全身どこでも耳になりえるという触れ込みだが、現状は食べることに忙しく、耳を形作っている暇もないらしい。まさに文字通り、聞く耳を持たない有り様だった。
そんな折、ムンドーの行く先で甲高い女子の悲鳴が上がる。
「みゃうっ!?」
「何!? なにこれなにこれ!」
「原生遺伝子生物!?」
反対側から歩いてきた女子の一団と出くわしたのだ。
成り行きを最初から見ていた者ならともかく、今の巨大で不定形な肉塊を見て、瞬時にムンドーだと気付くのは難しいだろう。何も知らない女子たちが怯えるのも無理のない話であった。
ほとんど条件反射のようにムンドーの腕──無数に生えているうちの一本が、立ち尽くしていた女子の一人に巻き付いた。それがショコーラ族のメルティであることに気付き、アキラは息を飲む。
彼女の放つ甘ったるい芳香に引き寄せられたのだろうか。
ときにアキラですらその褐色の肩をかじってみたいという誘惑を覚えることもある彼女である。理性を失くしたムンドーが何を思って触手を絡み付かせたかは火を見るより明らかであった。
──まさか、人まで食っちまう気か!?
「おい、お前らも手伝え! 引き剥がすんだよ!」
青ざめた顔でアキラがムンドーの腕に取り付くと、もともとアキラに付き従っていたオーダズマに加え、これまで面白がってムンドーの暴食に加担していた他の男子たちも事態の深刻さに気付いてショコラ族の女子の身体から触手を引き剥がそうと群がった。
何人かはメルティの身体を引っ張り、また何人かはムンドーの身体の方を押して彼女から遠ざけようとする。
だが、このとき既にムンドーの体積は子供たちの何倍もの大きさに膨れ上がっており、その程度ではビクともしない。それどころか、次はセクティア族のズベイの身体が別の触手で絡め取られ、軽々と持ち上げられてしまう。
「お、おいムンドー! 俺なんか食っても美味くねーぞー!」
あの昆虫の甲殻のような硬い肢体の栄養価は如何ほどのものであろうか。
アキラは真っ先にそんな勘定をしてしまった自分の残酷さを恨む。裏を返せば、考えていたのは友だちの肉体を物差しとした自分自身の保身についてなのだ。自分だって、捕食の対象になり得るのではないかという恐怖。
今すぐこの腕を離したい。皆にも逃げろと呼び掛けよう。その声が喉元まで出かかっていた。
だが次の瞬間、不意に力が抜けた。
床に尻もちをついた拍子に、撤退の号令ではなく、グエッという無様な呻き声が漏れた。
太く長く伸びたムンドーの触手が断ち切られていることにはその後で気付いた。
アキラが抱えて込んでいた太く生命力に満ちた肉腫が見る間に萎びていく。
訳も分からず顔を上げると、ちょうどもう一本の触手が切り落とされる瞬間が見えた。
ズベイが、彼の種族がほとんど使わなくなって久しい翅を盛大に震わせながらゆらゆらとホバリングしたのち、両手両足を突いて着地する。
だが、アキラが焦点を合わせていたのはそこではなかった。彼が最も注意を引き付けられたのは、太く強靭な触手を一瞬で切り落としてみせた人影の方である。
その影が首だけを軽く曲げてアキラの方を振り返る。
「化け物。これは。何だ?」
この場にそぐわない落ち着き払った声。多少語順やイントネーションはおかしいが、はっきりと聞き取れる銀連語でアキラに問い掛けるのは、〈宇宙クラゲ〉の中から単身で少女を救い出した、あの黒スーツの少年だった。
「待て! 化け物じゃない。仲間だ。ムンドーだよ。マダグ族なんだ。殺さないでくれ」
アキラが慌ててそんな物騒な制止をしたのは、こいつならばそれをやってのけるという直感が働いたからである。
どんな仕組みかは分からないが、彼が瞬時に太い触手を切り払ったのは紛れもない事実であり、そうでなくとも、今ムンドーと向かい合っている拳法の形のような構えは、彼の実力を想像するに余りあるものだった。
「仲間……」
「そうだ! 友達。味方。家族だよ。ムンドーはいい奴だ。化け物じゃない」
どうやらあまり言葉が通じないらしいと分かっているので、アキラは矢継ぎ早に色々な言葉で言い換えて訴える。
黒スーツの少年が小さく頷くのを見て、どうにか自分の意図が伝わったらしいと胸を撫で下ろした。
「殺さない。しかし、殺す。以外。別の方法。何だ?」
黒スーツの少年はムンドーと対峙しながら少しずつ後退り、アキラの傍までやってくる。
言葉はやはり覚束ないが、状況とニュアンスで、殺さずに無力化する方法を訊ねているのだろうということは理解できた。
「マダグ族は生命力は強いけど、あまり小さく分割し過ぎるとすぐに個体の維持を諦めるって話だ。ほら、こんなふうに」
アキラは自分の手の中にある、かつてムンドーの腕だった物を掲げて見せる。
その先に絡み取られていたはずのメルティはすでに自力で抜け出し、十分な距離を取っている。他の女子たちも同じく、物陰に隠れてこちらの様子を窺っていた。
ムンドー本体の方はたったいま腕一本切り落とされたというのに、大して堪えていないようだった。
咀嚼のために揺れ動く胴の動きは、まだまだ食い足りないぞと喚いているように見えた。
「大きさ。大きさが重要なんだよ。一旦分離したら二度と元に戻らない。上手くいくか分からないけど、少しずつ削っていったらどうだ?」
ケネスは、身振り手振りを交えて懸命にするアキラの説明に黙って耳を傾けていた。そうしながら、うねうねと不規則な動きを繰り返すムンドーの動きをじっくりと観察している。
そんなケネスの視線の先を追ううちに、アキラの頭に一つのアイデアが浮かぶ。先ほどムンドーが床に転がる食料品を、触手を伸ばし拾い上げていた様子からの発想である。
「──とにかく今は大き過ぎる。普通じゃない。元と同じぐらいの大きさまで縮めば正気を取り戻すかも。少しずつだ。少しずつ。ちょっとずつ。……できそうか?」
「やってみる」
言うが早いかムンドーに向かって無造作に歩き出そうとするケネス。アキラはその肩を後ろから掴んで引き留める。
「待て待て。一人でやろうとするな。俺に考えがあるから、少し、待て」
「待て……。待て。……待つ。待機。分かった。理解した。大丈夫」
確かめるように何度か言葉を繰り返してから頷いたケネスを見て、アキラは他の男子連中を振り返って言う。
「よ、よし……。お前ら、急いで食い物探して来い!」




