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◆2-7:イザベル 通用路

 イザベルがネムリとの相談を終え、再び廊下に出てすぐのことだ。

 背後から何かが駆けてくる気配を感じた。

 その何かは、息を切らせながら四つ足で床を蹴り、低い位置から勢いをつけて飛び掛かってきた。

 イザベルは身体をひねって半身でそれを受け止めるが、自分とほとんど変わらない質量に、これだけの勢いでぶつかられてはたまらない。たちまち仰向けに押し倒されてしまう。

 背負っていたドワーフスーツが、イザベルと床の間に割り込んだことで、衝撃を受け止めることになったのは幸いであった。


「やっと見つけた。探したんだよぉ? イザベルゥ」


 毛むくじゃらの顔につぶらな黒い瞳。愛嬌たっぷりにイザベルの顔を覗き込むのは獣人種のアーキテクトミュータント、ドッドフだ。


「こぉら、危ないでしょ。それにレディに抱き付くなんて無作法だわ」


 なおもし掛かって来ようとするドッドフと自分の身体の間に腕を挿し入れ、どうにかそれを持ち上げる。手指にフカフカの毛並みがまとわり付く。イザベルは言葉とは裏腹に、その心地良い手触りだけで今の無礼を許してしまいそうになる。そういう社会戦略で設計された種なのだ。獣人種とは。


「イザベルだって、いつも僕を撫で回すじゃないか」


 同い年の異性に抱き付いているというのに、ドッドフの方にそんなよこしまな気持ちはないらしい。少なくとも今のところは。

 無邪気な親愛の情を込めてスキンシップをしているだけ。彼の遺伝子に染み付いた生来の愛玩動物的な性格がそれをさせている。

 そのことが分かるだけに、ときにイザベルは彼の扱いについて困ってしまう。今はまだいいが、これから彼が異性を意識し、性徴が兆し始めると、今のような触れ合いの記憶は互いを気まずくさせはしないかと、それが心配だった。合同合宿に参加するような年頃の子供にとって、そのときはそう遠くない。


「悪かったわ。これからはお互い気を付けましょう? 私たちもう大人なんだから」

「ええー? まだ子供だよー」


 ほら、と言うようにドッドフが床に寝そべっていたドワーフスーツを拾って立たせる。

 ドッドフの重しがなくなったイザベルは、ことさら落ち着き払った仕草で立ち上がり、着衣を整える。背筋を伸ばすと三人の目線はほとんど同じ高さに揃っていた。確かに、どう割り引いて見ても銀連標準の子供サイズだ。


「身体じゃなくて心の問題」


 えぇっ、と不満げな声を漏らしながらドッドフがスーツを差し出す。

 イザベルは一旦受け取ろうと手を伸ばしたが「ちょうどいいわ。そのまま運んでよ」と言ってそれを突き返す。


「なんでさ。これって、イジワル?」

「違うわよ。私を押し倒した罰よ。それに、大人の男はレディに優しくするものよ?」


「まだ子供だって言ってるのにー」


 イザベルはそれを無視して颯爽と歩き出す。ドッドフは不承不承、スーツを背負い上げて彼女の後を追うことになる。


「それより、私を探してたって、どうして?」

「あ、そうだった。セスとムンドーが喧嘩してるって呼びに来たんだった」


「え、喧嘩? セスと、ムンドーが?」


 どちらも他人と争うような性格ではなかったと思うが。特に、達観した修行僧のような印象のあるムンドーが感情的になっている姿はなかなか想像しづらかった。


「うん。二人ともイザベルを呼べって怒ってたから、僕が探しに行くよって言って」

「喧嘩の理由は? 場所はどこ?」


「理由は分かんない。場所はあの大きな窓のある食堂だよ」


 食堂……、あのダイナーのことかと頭の中で地図を描いてイザベルが立ち止まる。


「てことはー、反対じゃない! そういうことは早く言いなさいよね」

「あ、ちょっと。これは? どうするの?」


 きびすを返し駆け出したイザベルの後ろ姿にドッドフが慌てて声を掛ける。

 手ぶらであれば追い付くのはわけもないが、くねくねと揺れる気密服を抱えたままでは難しい。


「そのまま担いで持って来てー」


 背走しながらイザベルが気軽に言い付ける。


「え、やだよ。僕、喧嘩してる人の側にいたくない」

「じゃあ、ちょっとそこで待っててー」


「んもー」


 曲がり角に消えるイザベルの姿を見送っていると、肩から気密服がずり落ちてきた。

 ドッドフの口元からブルルという犬のような溜息が漏れる。

 くてっと頭を垂れた気密服に正面を向かせ、脇の下に両手を入れて持ち上げてみた。

 ともにイザベルに置いていかれた身の上だと考えると、目鼻のない球形の顔が、なんだか寂しげなものに見える。その球面に反射して映るドッドフの表情もしょぼくれている。


 だが、そう見えたのはほんの一時のことだった。

 一瞬あとには、ドッドフの頭の中には素晴らしいアイデアがひらめき、そのクリクリの瞳にキラキラとした光が宿り始めたのだった。

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