◆2-6:イザベル コントロールルーム
油がよく効いた金属同士が、滑らかに擦れ合うようなレトロな音が響く。
連盟の直轄設備にありがちな、機構的には本来鳴るはずのない効果音付きのドア。それをくぐって現れたのはスペースヴァンパイア種の少女イザベルだった。
相変わらず大きなドワーフスーツを同伴しての移動だが、今は胸の前で抱えるのではなく、両腕を自分の喉元で交差させて背負い持つという彼女なりの最適化がなされていた。
アキラたちの話していた説明を頼りに進み、ここだと確信してドアを開けたのだが、部屋の中は最低限の誘導灯が灯るだけで薄暗い。
間違えたのだろうかと思って回れ右をしかけたところで、宙に浮かぶホロの明かりが目に留まった。物陰の、それも思いがけず低い位置だ。
回り込んで近付くとエルフセイレーン種の少女ネムリが床の上に広げた書類を睨みながら、直接そこに座り込んでいた。大人向けに書かれた書類を読み解くために呼び出した辞書のホロ画面。ついでにその光を照明代わりにしているらしかった。
「暗っ。せめて明かり付けなよ」
イザベルは、床からのそりと顔を上げたネムリに溜息を吐いたあと、「オラクルゥ」と気だるげな声を薄暗い天井に向かって投げかけると、瞬く間に部屋中のコントラストが明瞭となった。
ちなみにこういうときに子供たちが名前を呼ぶ〈オラクル〉と、実際の〈オラクル〉は同一ではない。
細々とした命令を実行しているのは単なるローカルAIなのだが、そんな違いは子供たちにとっては(……のみならず、大人も含めた大抵の連盟人にとっては)さほどの意味を持っていなかった。
明るくなった室内を改めて見渡すと、なるほど、艦のコントロールルームらしい無骨な面構えである。
正面の壁一面全てを使った巨大モニター(電源は入っていない)に、それに向かって一方向に並ぶ椅子と操作端末。一段高い奥まった場所には艦長席のようなものまで見える。
ぐるりと見回して満足すると、イザベルは再びネムリと目を合わせて言った。
「こうしたほうが読みやすくない?」
「思い付かなかった……」
ネムリが床の上から一抱えほどもある大きさのリーフファイルを持ち上げ、自分の膝の上に置き直す。
「それは?」
「この艇のマニュアル」
「避難艇の? わざわざ紙で用意されてるなんて、この艇って相当な年代物ね」
「……端末にはアクセスできなかったから──」
「ああ、やっぱりネムリでも無理だったんだ」
「──代わりに見つけた」
ポツポツと話すネムリの言葉に忙しなく相槌を打ちながら、イザベルは背負っていたドワーフスーツを椅子の上に行儀よく座らせる。そうして、自分もその隣の椅子に掛けてネムリに向き直った。
「非常事態なんだから、大人とか子供とか関係なくアクセスさせてくれたっていいのに。ねえ?」
「…………」
「マニュアルが見つかったら自分が読むって、アキラが言ってたわよ? あいつに読ませた方がよくない?」
「私が間違えたから」
「何? 責任感じてんの? そんな必要ないって。ここが避難艇なのは間違いなかったんでしょ? それにオラクルが答えたことなんだから、オラクルの責任だよ。……馬鹿っ! 馬鹿オラクル!」
椅子にもたれて天井を向き、姿なきオラクルを罵倒する。イザベルのそんな言動は歳相応に幼く見えた。
「それに、あのとき大人のいる避難艇を目指してたら逆に危なかったかも。ねえ、一番近くであった爆発憶えてる? ここ以外の避難艇目指してたとしたら、私たちあそこに乗ってたかもしれないよ?」
「…………」
「そう考えたらネムリは私たちの命の恩人なんだって。あ、だとしたらオラクルもか。……ありがとおオラクルーっ!」
芝居がかったイザベルの大声に驚きネムリが両手で耳を塞ぐ。その拍子に膝の上のリーフファイルが閉じて床に落ちた。
「ああ、ごめん」
「大きな声。苦手なの」
「ごめん。そうだよね」
「……起きた?」
「え?」
突然何の話かと戸惑いつつ、ネムリの視線の先を追うイザベル。
二人の視線が、椅子の上で両脚を投げ出し鎮座するピンク色のドワーフスーツの上で重なり合う。
「ああ、一瞬ね。少し話したらまたすぐに寝ちゃった」
「大丈夫だった?」
「どういう意味?」
ネムリが無言で自分の手首の端末を手早く操作すると、彼女の手元にあったドキュメントのホロが拡大されて二人の中間に投射された。
「これは……? 〈宇宙クラゲ〉の……、遊泳中の事故事例?」
イザベルが顔を近づけてトピックに目を走らせる。
当然ながら記事は高等教育を受ける前の学童向けには書かれていない。難しい単語は的確に読み飛ばし、イザベルの目は文字と文字の隙間を軽快に疾走する。
8割がたは意味不明であったが、イザベルは持ち前の要領の良さと想像力を駆使し、そこに書かれているのが、サブヒッグス粒子の不規則な挙動が人体に及ぼした悪影響に関する記事であることを読み解いていた。
周囲で立て続けに爆発が起きていたあの状況である。イザベルとて楽観していたわけではなかったが、その危険は物理的な面に限られていると思っていた。実際、突発的な重力浪に煽られたせいで、命綱が切断され、危うく帰還できなくなるピンチを招きもした。
だが、二人とも艦内に帰って来られた以上、それはもう終わった話だと認識していていたのだが……。
ドキュメントに示されていたのは、イザベルが危惧していた種類の危険ではなく、目に見えない超自然的な力に曝露されることによって生じる後遺症のリスクだった。主に中枢神経に作用したと思われる症例が目に付く。
「こんな……。私たち、こんな危険な場所を泳がされてたっていうの? 一昨日……、や、三日前だっけ? 私もネムリもあのなか泳いだじゃん」
「基本的には安全。けど、運用期間は途方もなく長いし、分母が増えれば事故も増える」
「なら──」
そんな稀なケースなら心配する必要ないじゃない、と言おうとしたイザベルを遮ってネムリが続ける。
「ナノマシンの制御が十分に働いている平常時はそんなに心配じゃない。けど、ここにあるのは全部、〈宇宙クラゲ〉が異常な反応を見せていたときの事故。もしくは後から調べて異常な状態にあったことが分かったもの」
珍しく多弁なネムリの話を上の空で聞きながら、イザベルはドキュメントの字面を追っていた。そこに、言語障害や記憶喪失といった文字が強調されて踊っていたからだ。
どうしても医務室で話したミリィの──もしくはミリィのクローンの──要領を得ない反応が思い出されてしまう。その不安が分かり易く表情に現れてしまう。
「やっぱり、何か心配……あった?」
「う、うん……。や、分かんないよ。ほんの一言二言しか話してないし。あ、けど彼。助けに潜ってくれた彼は平気そうだったじゃない?」
イザベル自身はあれから直接話してないが、女子たちに囲まれているという話を聞くに、黒スーツの彼については心配なさそうだと考える。
「二人の条件は一緒じゃない。中にいた時間も全然違うし、種族による生態差も調べてみないと分からない」
「うん。確かに、そうだね」
銀河連盟は多種多様な種族の寄合所帯だ。外見的に近縁に見えても、生体内部の、遺伝子レベルでは驚くほど異なっているケースもある。連盟の総意として進められた人工的な混血政策によって、遺伝情報が思わぬ変容を見せ、こんにちでは親子でもまったく異なる星系種族の表現型を獲得する場合もあるのだ。
たとえ同じ環境に晒されたとしても、それによってどれほどの影響を受けるかは、個人ごとに異なる。それは今更確認し合うまでもない常識であった。
「どんな症状なの?」
「すごく眠そうだった。記憶も不確かな感じ。けど……」
けれど、それには別の説明を当てはめることも可能だ。
彼女がミリィ・クアットの予備素体だから、元々彼女自身に記憶というものが持たされていないという可能性である。
ただし、そのことを詳しく相談するためにはセスと二人で示し合わせた秘密の共有相手を増やす必要があった。
「……とにかく、まだ分からない。ちゃんと話ができるようになって、それからだよ」
自分自身にそう言い聞かせるように言い切って、ミリィに関する話題はそこで終わりだと宣言する。
しかし、このときの会話で思い描いたミリィの症状に関する推測は、イザベルの頭の中で暫しの間、わだかまることになる。
ミリィ──もとい、メラン──の中で起こりつつあった変化をイザベルが敏感に感じ取っていたのか。それとも、イザベルの抱いた予感がその変化を引き寄せたのか。このとき、この〈場〉で起きていた出来事の因果を正確に知り得たものは誰もいないのである。




