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◆1-21:ドッドフ ダイナー大展望窓

 一方ここは黒スーツの男ケネスが姿を消したドームの内側。E16区画のショッピングモールで一番の眺望を誇るダイナーデッキである。

 大人たちから孤立した子供たち十五名は艦の外側に向かって開けた大窓を見上げていた。彼らはベルゲンの居住部を構成するモジュールが次々に剥がれ、崩壊していく様を為す術もなく見守っている。


「あ、今度はあそこ」


 ドッドフが毛むくじゃらの指を窓の外に向ける。濡れそぼっていた彼の体毛はもうすっかり乾燥し、本来のフワフワの姿形を取り戻していた。

 指された方向を追って、皆が窓の下方へと視線を移す。

 そこで起きていたのは、終始起きている艦構造の崩落ではなく、避難艇の離艦であった。その違いは周囲に生じる発光現象によって区別できた。光点は徐々に大きくなり、その周囲で紫色の原形質が激しく泡立ち始める。


「駄目だ。()()失敗だ」


 近地球人種の少年アキラが呟く。

 その言葉のとおり、光は避難艇全体を包み込んだかた思うと、次の一瞬で全てを跡形もなく消し去ってしまう。

 ありえざる神の如き視座においては、この一瞬で〈宇宙クラゲ〉の土手腹に巨大な砲弾で穿うがたれたように巨大な空洞が開き、後方の何千万㎞にも渡って膨大な量の宇宙塵がたなびくこととなる。

 ただしそれは、ダイナーデッキの窓から人の身の丈で観察する子供たちにとっては直接視ることのできないこと。人知れず繰り広げられる宇宙規模の壮大なスペクタクルであった。

 彼らが見たのはまばゆい光。それだけだ。


「来るぞ、つかまれ!」


 アキラが叫ぶと、皆が窓に沿って設置された手摺りにしがみ付いた。発光があったのとは逆向きに、爆風のような衝撃がダイナーを襲い、子供たちの身体が斜め上方に吹き流される。

 アキラの警告のお陰で多くの者はどうにか持ち堪えられたが、そんな中、ドッドフの小さな手が手摺りから離れ、その身体を宙に浮かび上がらせる。


「うわあ……たっ、助──」


 吹き抜けの高い天井に向かって今にも転落しそうになるドッドフ。

 そこへ伸びてきたのは琥珀こはくのような輝きで薄っすら透き通った長い腕だった。長い。腕にしては長過ぎる腕だ。

 その腕は熱したての飴のようにその形状を柔軟に変えると、毛むくじゃらの身体に巻き付いて支える。かと思えば、次の瞬間には思いがけない強靭さでその腕を縮めて引き戻し、マダグ族の彼、ムンドーの胸元へと抱き寄せていた。

 ドッドフのくりくりの丸い瞳が、ムンドーの一見冷淡にも映る無表情の顔を見つめる。


「シッカリツカメ」

「うん。ありがとう」


 彼らの身に降りかかったのはイメージとしては爆風に近いが、しかしそれはイメージ通りの爆風ではなく、人工的な重力によって生まれる激波浪の余波であった。

 〈宇宙クラゲ〉による緩衝がなければ、今頃はE16区画のみでなく、ベルゲン全体が巻き添えで甚大な損害を被っているところだ。

 重力を自在に操る〈サブヒッグス粒子〉とそれを制御する無数のナノマシン群が分散して混ざり合った有機の海。統一銀河連盟の科学の粋を集めた超常的な物質が、内外から加えられる力を柔軟に受け流し、変換し、内殻部に居住する人々を護るようにできているのだった。


「いってー」

「あ、あんたどさくさでどこ触ってんのよ!」

「否。タウネルとしては純然たる事故を主張するのである」

「やっべぇやべー。今のはデカかったなー」


 何度も寄せては返す予測不能のGに振り回されながらも、仲間同士頭や手足をぶつけ合う程度で済んでいることに、彼らは重々感謝をすべきであろう。

 乱れていた艦内の重力がゆっくりと元に戻り始める。

 元に、とは言っても、どの方向にも引っ張られることのない、極めてニュートラルな状態のことである。ダイナーに備え付けてあるイスやテーブルなどの調度品を目印にして自分たちの頭の向きを上に揃える子供たち。

 度々繰り返されるその一連の流れによって、彼らはこんな異常な状況にも慣れてしまいつつあった。


「アキラ、なんで今のが失敗だって分かったの?」


 スペースヴァンパイア種の少女イザベルが、衝撃に先んじて発せられたアキラの呟きを思い返して質問を投げかけた。


「なんでって、気泡が出てたからだよ。そんなことも知らないのか?」

「私はまだ習ってない」


「え、習うっていうか常識だろ」

「いいから教えてよ」


 手摺りを離れて跳んできたイザベルの身体がアキラにぶつかりそうな位置まで来て止まる。

 間近に迫ったイザベルの顏に怯み、アキラは手摺りを掴む腕をいっぱいに伸ばして彼女が立つ空間を空けた。


「……この艦が宇宙を光速で飛んでるのは分かるだろ? 普通そんな速度で動いたらこんな質量の物質は耐えられない。この弱っちい鉄の箱と、中にいる俺たちを護ってくれてんのがこの周りにある紫色の〈宇宙クラゲ〉なんだよ」

「うん。それで?」


「それでって……。だから、見てたろ? あの気泡。自機を包むのに失敗したんだよ。光速で動く艦から離脱するときには、外殻物質で綺麗に包まれた状態でないとすぐに自壊しちまう。十分な量の外殻物質を持ち出す制御が凄く難しいんだ」


「あら。船のことにお詳しいのですね」

「男子っぽーい。てか、オタクみたーい」


 二人の会話を聞いて他の女子たちもアキラの周りに集まってきた。


「はぁ? 常識だろ。逆にお前らはなんで知らねーんだよ。そっちの方が驚くぜ」


 意図せず女子たちに囲まれることになったアキラは、顔を赤くしながら語気を強める。


「え、だって興味ないんだもん」

「常識っていうほど常識かなぁ。ねえ?」

「生きてく上で何か必要あるかしら?」


 実はこれらの反応は、女子だから、子供だからという理屈だけでは片付けられないものだった。

 統一銀河連盟に属し、探査船団の構成員として生きる彼らにとって、何不自由ない住環境が整えられた艦内は彼らを取り巻く世界のほぼ全てと言ってよかった。多くの者は亜光速で航行する艦内で生まれ、そしてそれ以外の環境を知らないままに死んでいく。

 銀連には彼らの他に、居住に適した惑星の地表に生活の基盤を置く昔ながらの惑星人種プラネタリアンも沢山いるのだが、探査船団に乗り込んだ者たちはそういう生き方を選択しなかった者たちとその子孫である。

 彼ら彼女らにとっては、自分たちが宇宙空間を開拓し、常に亜光速で移動しているという感覚自体が希薄なのである。

 故に〈宇宙クラゲ〉に関する知識の格差の原因は、主として、将来は親と同じ操舵士になりたいという夢を抱いているアキラの方にあった。


「要するに無茶苦茶難しいんだよ。光速で動いてる艦から分離するってことが」

「んー、でもさー。じゃあ、減速したら? 光速じゃなきゃ安全なんでしょ?」

「そうよそうよ。なんでそんな危ない状態で急いで分離しようとしてるのよ?」


「知らねーよ。事情があんだろ? 減速するのだってそんな簡単じゃねーし」


 アキラが咄嗟とっさに言い返した説明もそこまで的を外したものではない。探査船団にとっては亜光速航行が常態であり、保全の一環で稀に減速する場合にも、通常は多くの安全手順を踏んで何日もかけて行うものだからだ。

 一基だけ残されたエネルギー炉もいつ暴走するかも分からないと危惧した者にとっては絶望的なほど遅いシークエンスである。先走り、宇宙の塵と化したのは、そんな恐怖に駆られた者たちであった。


「どうする? 誰か大人たち探しに行く? このまま発進したら危ないって伝えなきゃ」

「そうしましょう? このままじゃ次はこの避難艇が爆発しちゃうかも」

「やっ、待てよ。あんまり動くな。そんなの大人は分かってるって。こんだけ時間が掛かってるのはそれだけ慎重に準備してるからだ。……多分」


 ここにきて艦内放送の一つもなく、自分たち以外に誰の姿も見かけない状況である。様子を見に行きたいのはアキラとて山々だったが、子供がいても邪魔になるだけと心得ているアキラは皆を制止する役回りにならざるを得ない。

 そのとき再びドッドフが窓の外に指を差して大きな声を上げた。


「見てみんな。あれ! 人じゃない!?」


 全員が窓の近くの手すりに並んで身を乗り出し、同じ方向に顔を向ける。


「人!?」

「んん? どれぇ?」

「ああいたいた。あんた、あんな小さいのよく見えたわね」


 しばらく騒いだ後、一人の子供が取り出したズームカメラのデバイスに数人が群がる。

 そのホロ画面には先ほど爆発が起きた方角からゆっくりと回転しながら近付いてくる人型の物体が映し出されていた。倍率を上げて拡大すると、縦向きに回転する気密服の細部までが視認できるようになる。


「あれ? 子供?」

「このスーツ、こないだうちらが着てたやつじゃない? 船外活動の実習で」

「あ、ほんとだ。確かに」

「スーツだけじゃないよね、これ」

「うん」

「生きてるの?」

「いや無理でしょ」

「…………」


 明確に人だと分かるものを視認したことは、これまで彼女らにとってどこか実感を伴わない絵空事であった周囲の惨事に、生々しいリアリティを与えたようだった。


「どうしよう。通り過ぎちゃうよ?」


 紫色の海の底から上昇流に乗って上方へと向かう子供用気密服ドワーフスーツ

 付近の対流がいつまで同じ向きで続くかは分からないが、仮にこのまま流されるとすると彼女は(ピンク色のスーツを着ているということは、中身は女子なのだろう)、E16区画のダイナーデッキの正面を通り過ぎ、遥か上方へ運び去られるだろうと予測ができた。

 気まずい沈黙。やがて誰かが口に出す。

 俺たちで助けられないだろうか、助けてあげましょうよ、と。

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