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◆1-18:メラン 船外作業前室

 ベルゲン艦長からの最後の放送のあと、メランがどれほどの距離を歩いたのかは定かではない。

 メランの体感では、相当長い時間歩いていたことになるが、大量に失血し瀕死の状態となったメランがそれほど長い距離を動き回れたとも思えない。極限の状況が、メランの時間感覚を狂わせていた可能性もある。確かなのは、その間、彼が誰とも出会うことがなかったということだ。

 行き当たった先にある高速移動路やエレベーターはことごとく機能を停止しており、何度も道を折れながら進んだ結果、メランは自分が今どの辺りを歩いているのかも分からなくなっていた。もともとリューベックから赴任してきたばかりの彼は、このベルゲンの構造に不案内だったのである。


 左腕の端末が生きてさえいれば彼の行動や行先もまた違っていたのだろうが、気が付くとメランはこの巨大な艦に住まう全ての人々から忘れ去られたような、最果ての行き止まりに立っていた。

 無論だが、これはこのときの彼の心情を表した誇張表現であって、物理的な位置関係を正確に捉えたものではない。


 長い通路の突き当りにあったその場所は、船外作業を行うための出入口に接した前室ダグアウトのようだった。

 生活感溢れる雑然とした空間。個人用のロッカーは開け放たれたまま。ここが無重力であったときに飛び散ったと思われる飲食物の跡が床や壁、天井のあちこちに広がっている。

 きっと皆、艦内放送を聞き、取るものも取り敢えず避難してしまったのだろう。


 不意に視界に飛び込んできたその景観は、メランに、この広い艦内に自分一人だけが取り残されてしまったような錯覚を与えた。なまじっか人の臭いがあるだけに、その焦燥と孤独はより強くなる。

 頭蓋ずがいの内側から絶えず殴り続けてくるような頭痛はピークを過ぎていたが、その代わりに今は酷く眠い。


 どうにか意識を保ちながら、メランは作業場の情報端末を見つけ出しアクセスする。

 まず自分が所属するトライデンアッシュ社の統制ルームへコールを送ってみたが、応答を待つ間に意識を失くしてしまいそうになったので、その試みは最初の一回で放棄することに決めた。


 次に常時オープンにされている艦内の緊急チャンネルを開く。と、その途端悲鳴のような声が多重層で聞こえてきた。女性も男性も、中には子供のような幼い声も混じり、それぞれに自分たちの窮状を訴え、助けを求めていた。とにかく近くの避難艇へ急げと怒鳴り続ける声もあった。

 この艦の各所で繰り広げられている七万を超す人々、それぞれの物語を想像し、メランは堪らなくなってチャンネルを閉じる。


 皆が必死のときなのだ。助けは呼べない。自力でなんとかするしかない。


 今メランが意識を繋ぎ留めていられるのは、艦内放送で最後に聞いた艦長の言葉を聞いたからだった。あの言葉が、自分が生き残ることが同胞を救うことに繋がるのだと信じさせてくれていた。

 自分は奴らと直接戦った生き残りだ。しかも手元には奴らにとって重大な意味を持つらしい謎のデバイスもある。無法で残虐な、しかし、ただのテロリストに過ぎないだろうと見做みなしていたあいつらは、銀連も正体を掴めていない異星系種族だったのだ。何としても生還し、この貴重な情報を届けなければ。


 メランは不慣れな端末を操作して最寄りの避難艇の位置を探した。

 自分でマークした場所を目指して地図上に目線を走らせていると、その経路に赤いバツ印がともった。それも一つや二つではない。あらゆる場所が次々と隔壁でふさがれていく。まるでメランの現在地を取り囲むようだった。

 有害物質拡散防止のため、というハザード情報が表示されているが、それが現実のハザードなのか誤動作なのかはメランには判断の付かないことであった。

 隔壁を動作させた原因物質に思いを馳せるよりも先に、もしかするとこれは、奴らの仕業ではないかという直感が働いた。

 これは、あのデバイスを奪い返すため、奴らが自分を追って来ているということではないのか。これらの隔壁は、自分を閉じ込めるために奴らが下ろして回っているのではないかと。


 メランは首を返して作業場の正面にある巨大な隔壁に目を向ける。

 手元の端末を操作すると、作業場を囲う外壁に下りていたシャッター群が一斉に開き始める。

 ガラス質の透明な壁一枚を隔てた先には艦外殻を構成する〈宇宙クラゲ〉の紫がかった原形質が満たされていた。

 青や赤の濃淡がまだらうごめく混合有機体は、それ自体が僅かに発光しており、凸状に張り出したこの前室の窓から、艦構造の遥か先までを目視で見通すことができるようになっていた。

 これは生まれたときから探査船団社会で暮らすメランにとっては今さら珍しい光景ではない。が、昵懇じっこんという程の間柄でもなかった。特にこれから自分が為そうということを考えれば、どうしても対面には気構えがった。


 メランは現在地から連なる構造体のうち、足元に覗いた窓の下方に見える一隻の避難艇に目を付ける。

 トライするならアレだと思った。船外遊泳活動の免許はないが、あそこであれば真っ直ぐ降りていくだけで辿たどり着けるはず……。


 どのみち今の自分の状態では、遠く離れた避難艇まで歩いてたどり着けるかは極めて怪しかったのだとメランは自分に言い含める。

 無論、危険な賭けには違いないが、敵が待ち構えているかもしれない艦内を彷徨さまよい歩くのはそれより遥かに無謀。それに、この場所に留まる選択は、無策を通り越し、進んで自殺を図るに等しかった。ならば、無理を通すしかない。


 決意を固めたメランがしばらくぶりに椅子から立ち上がる。

 手足の感覚はほとんどなくなっていた。寒気がするようでもあり、汗が吹き出るほど暑いようにも感じられた。自分の身体が死に瀕していることが肌身で感じられる。もう幾らも力は残っていない。次に動きを止めたとき、そのときが自分の人生が終わるときだと叱咤しったし、気力を振り絞って身体を動かした。


 だが、船外作業用の気密服が格納されているはずのロッカーを開けるたび、メランは落胆することになる。生に執着する気力が確実に削がれていく。そしてそれを何度か繰り返した後でようやく、ロッカーの上部に表示されたインジケーターの赤色が、持ち出し中を意味していることに気付くのだった。

 実はこの時この場所に、気密服が残されていないという事象にも、その背後に様々な不運の連なりがあったのだが、神ならざるメランにはその因果の悪戯を知る術はなかった。


「検索だ〈オラクル〉。一番近くに残っている気密服の場所を示せ。無傷のやつだ」


 最初からそうすべきだったと自分に失望しながらメランは天井に向かって声を投げ指示をする。

 〈オラクル〉自体は随分前から機能を停止していたのだが、高度な思考や予測を伴わない単純な処理であれば、〈オラクル〉を介さずとも艦内各所に分散された小型AIだけでユーザーからの命令に応えられるようにできていた。


 返ってきた応答に従いメランがドアの一つへと向かう。

 その途中で足がもつれた。咄嗟に腕を前に出そうとするが反応が間に合わず、硬い床に頭突きを食らわすこととなる。

 自分の体力が限界に近付いたのだろう。ほとんど痛みを感じない身体を起こしながら最初はそう思った。だが、部屋全体に鳴り響きだした警報と、これまでに感じていなかった息苦しさによって、それとは違う可能性に思い至る。


『付近で有毒物質を検知しました。直ちに気密服を着用し内循環モードに切り替えてください』


 先ほどここの端末で艦内の見取り図を表示させたときに見たハザード情報を思い出す。自分があのとき、有害物質拡散という情報を何故あれほど軽んじていられたのか分からない。


 ──とにかく気密服だ。いずれにしろ気密服が必要だ!


 メランは最後の気力をふり絞り、懸命に床を這い進んだ。

 ドアが開く。

 そこは、今朝メランが初仕事の興奮で胸を躍らせていた警備隊の控室に似た、狭い部屋だった。その小部屋に身体を滑り込ませドアをロックする。

 背中をドアにもたれさせて座り込み、肺にあった空気の在庫を一切合切払い出すようにして叫んだ。


「コマンド! ロッカー開け。全部だ!」


 霞む視界の中、左右にズラリと並ぶロッカーの扉が一斉にスライドする。

 絶望。最早そんな感情を顔に表すだけ余力も残されていなかった。まるでロッカーを開くための、それが対価であったとでも言うように。入れ替わるようにしてメランのまぶたは無抵抗で陥落し、彼の視界を深い闇が覆った。

 開いたロッカーの中に収められていたのは全て、どう見てもメランの体格では着られそうもない子供用の気密服(ドワーフスーツ)だったのである。

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