◆1-14:フリードマン 管制室
ベルゲンの管制室はずっと、オペレーターたちの声が多重に重なり合う無秩序な喧騒で覆われていた。
艦内の重力制御が失われる前も後も、彼らは変わらず現場と連絡を取り合い、避難誘導や人員の再分配などの業務にあたっている。
皆が必死の中にあって、それぞれが最善を尽くしている。尽くそうとしている。
人口七万人余りの命を預かる管制官たちの職業的道義心の賜物だと言えるだろう。そのことは間違いない。だが、その職務に忠実で、真剣で、適切な判断のもとに下される指示のほとんど全てが裏目に出るか、それよりマシな場合でも、効果の見られない徒労に終始する。
およそあり得ない確率での機器の故障、クリティカルなヒューマンエラーが重なり、徐々にではあるが確実に、艦全体が深刻な機能不全に陥っていく。
ある現場ではベテランのエンジニアが心不全を起こし病棟に搬送される。それを見た他のスタッフも不安に駆られたのか、連鎖するように失神する者が出始める。この管制室も、同じような理由で既にいくつもの空席が生じていた。
「落ち着け! それは典型的な過呼吸の症状だ。浄化装置が全て停止してもこの艦の広さですぐに酸欠や中毒になることはない! 慌てて息を吸うな。むしろゆっくり吐き出すことを意識しろ」
全体を俯瞰して指示を出すべき艦長のフリードマンにしてからが、目の前にいる管制官の回復を促すために、大声を張り上げざるを得ない状況であった。
「艦長、もう一度〈オラクル〉を立ち上げてみてはどうでしょう?」
現場への指示や状況を報せる声が飛び交う中、主任の立場にいる年かさの管制官が進言する。それは不安を抱えながらオペレーションを続ける他の管制官たちの気持ちを代弁したものでもあった。
だが、それを聞いたフリードマンの返事はにべもないものであった。
「駄目だ。あれは敵の論理ウイルスに犯されている可能性が高い。エネルギー炉すべてを直ちに停止しろなどと言い出す御神託を信用できるか」
全部で三つあるエネルギー炉はこの艦の心臓に等しい。そこからほぼ無尽蔵に湧き出るエネルギーを外殻に──通称〈宇宙クラゲ〉と呼ばれる巨大な人工生物に供給することで、この艦は光速の97.85%という速度を実現しているのだった。
無論、エネルギーの使い道はそれだけではない。何をするにも動力は必要だ。艦内の重力を回復するにも。浄化装置を復帰させるにも。あるいは仮に、この艦の維持を諦め、避難挺を発艦させる判断を下すにしてもだ。エネルギー炉を放棄することは、今の困難に主体的に立ち向かう術を自ら放棄することに他ならなかった。
「操舵室との通信はまだ繋がらないのか? 直接向かわせた隊からの連絡は?」
「復旧まだです」
「隊からの連絡ありません。10分前の交信が最後です。先ほど……、2分程前に第二陣と第三陣が別々に出発したところです」
「クソッ。その部隊との音声通信は常時繋げたままに……実況でもさせておけ。そっち、中継ポッドの射出機の方はどうだ?」
「復旧の目途なしだそうです。進展があれば連絡するからもう問い合わせてくるなと、酷い剣幕で」
艦の外へのエマージェンシーコールを担当させていたオペレーターが、そう言って泣きそうな声で返してくる。
さほど期待していたわけではなかったが、想像よりも酷い返答に、フリードマンは堪えきれず、疲れた息を吐き両目を覆った。そのまま片手を広げ、両側のこめかみを指圧する。
現在艦内で起きているトラブルは多種多様だが、その中でも外部との通信に関わる部門は取り分け丹念に潰されている感がある。さらに操舵室や機関室など重要施設に通じる区画のモニター類も軒並み沈黙。ということはやはり……、つまりはそういうことなのだろう。
フリードマンに限らず、この管制室にいる者たちはすでに今の異常事態群を敵による破壊工作であると感じていた。そうとでも考えなければ、これほどまで種々の異常が連続して引き起こされることに説明が付かないからだ。
共鳴短距離パルス通信の途絶が、何らかの未知の技術を用いた敵からのジャミングだと仮定すると、付近の味方艦に対しては当艦の正常を報せるダミー信号が飛ばされている可能性は高い。受け身でいても外からの救援は期待できない。
いや、もっと悪い想像を働かせるならば、襲撃はこのベルゲンだけではなく、同時にハンザ艦隊全体に及んでいる可能性も十分にあり得ることだった。それこそ、40年前のリョウザンパク艦隊と同じように。
『艦長』
フリードマン直通の音声チャンネルに女性の声で連絡が入る。
「どうだ?」
『〈宇宙クラゲ〉から応答あり。サブヒッグスの指向性制御、復旧します。約3分後です。』
「そうか。よくやった」
『はい。ですが……』
居住区棟への事前アナウンスを忘れるな、というお定まりの言葉を続けようとしていたフリードマンの顔が曇る。
「どうした? 問題か?」
『いえ。これまで何を試しても応答を示さなかったものが急に正常な応答を返したものですから……』
正しい手順で試みて正しい応答が得られたのなら上々である。むしろこれまでが異常に過ぎたのだ。不具合が解消されたことを何も殊更訝しむ必要はない。
だが、その話を聞くフリードマンにしても、彼女の抱いているであろう違和感には大いに共感するものがあった。
人が当たり前に期待する常識的な挙動。言ってみれば計算どおりの結果が当たり前に得られる世界。そのことが、今は何故か無性に懐かしく、頼もしく、縋りつきたい気分にさせられるのだった。
もしかしたら……、とフリードマンは思う。
もしかしたら、40年前に謎の存在と会敵したと思しき同胞が受けた攻撃も、今我々の身に降りかかっているこれも、そういう類のものではないのだろうかと。
広大な宇宙全土に版図を広げる統一銀河連盟が初めて出会った敵。
自分たちとは異なる存在。
謎に包まれた彼らが仕掛ける未知の攻撃について、そのとき彼の頭に浮かんだ閃きは、実は事態の全体像を的確に捉えていたのだが、目の前で絶えず湧き出し続ける緊急課題に忙殺され、その僅かの間に煌めいた閃きは一瞬のうちに掻き消えてしまうのだった。




