◆4-22:メラン アトラス号艦内(1)
それから五分近くのぼっただろうか。メランは身体を上に押し出すために必要な力が軽くなるのを感じた。チューブの先がほぼ直角に折れ曲がり、そこに頭を打つ。
前後を行く男たちから身体の向きを返すように促され、今度は足から先に梯子を下りるようにしてチューブの中を進むようになる。
それから先はあっという間だった。肉体を構成する質量が真下に引っ張られ、メランはチューブの中を滑り落ちていった。最後は子供の頃に遊んだ遊具のスライダーのように勢いを付けて着地する。
そこには確かな重力があった。入口と出口で上下が逆転したような居心地の悪い感覚。三半規管が、よくも騙してくれたなと抗議するようにぐわんぐわんと揺れていた。
胃の奥から込み上げてくるものをどうにか堪えながら平板な床の通路を歩いていくと、二つのドアが並んだ場所にたどり着く。
手前のドアが先に開き、メランはそちらに入るように促された。
「ケネス。お前はこっちだ」
振り返るケネスに対し、一つ先のドアの側からアキラが手招きをする。
メランの前のドアからはイザベルら女子たちの賑々《にぎにぎ》しい話し声が漏れだしていた。
反対に、今しがた開いたドアの向こうには、ドッドフやタウネル=バッハなどの男子の姿があった。
どちらの部屋も和やかな、いやいっそ喧しいレベルの陽の気で溢れている。
アキラに促されるままケネスがその男子用に割り当てられたと思しき部屋の中に入ろうとしたとき、その背中にメラン(ユフィ)が抱き付いて引き留めた。
身体を後ろ向きに捻じり、無言でユフィを振り返るケネス。
思わず抱き付きはしたものの、その先を考えていなかったメランもケネスを見上げる格好のまま口ごもる。
潤みを帯びた紅い瞳が二人の新たなラグランジュ点であった。
互いに秘密を隠した二人の錯綜する思いが、その一点で拮抗し、見えない力で引き寄せ合う。
「え、えっとぉ……」
メランは内心で酷く慌てていた。いや、内心のみならず、その動揺は外見にも漏れ出ていた。自分の意思で取ったはずの行動に、後付けで説明を求められる。
一体自分はどうしてしまったのだろうか。
何故こんな行動を取ったのだろう。
合理的に考えられる理由は一つしかない。ケネスと離れると、今のこの自我が再び喪失してしまう恐れがあるから。自己保存の本能に従い、ケネスに密着しようとしたのだ。
些か強引で不器用な手段には違いないが、それで全て説明が付くはず。そのはずなのだが、上手く言葉にできない、それとは別の不合理な感情のせいで、メラン自身、その合理的な説明に納得することができずにいた。
「大丈夫。彼はどこにも逃げたりしないわよ。またすぐに会えるから」
メランの側には、いつの間にか年配のフィライド族の女性が立っていた。彼女はそっとメランの手を取り、ケネスから引き剥がす。
背中から支えられ、介助されるようにして女子用に用意された部屋のドアを潜るメラン。
思わぬ醜態を演じた(と当人は思っている)メランは、そこから立ち直ることに必死で、どのようにしてそこに立ったかは覚えていなかった。
気付くとメランは長い毛足の絨毯が敷き詰められたラウンジバーのような内装の部屋にいた。先ほどまでいた通路の無機質さとは一変した、シックで華やいだ雰囲気の部屋だった。
部屋の中央にはイザベル、セス、ネムリという馴染みの三人がいて、何やら興奮した面持ちで立ち話に興じている。ヘルハリリエら、他の女子の姿はなく、女子部屋かと思いきや、ここにいるのはその三人だけのようだ。
三人はまだユフィの到着に気付いた様子はなく、メランはどうやって声を掛けるべきかと、ここでもまた逡巡を強いられた。
「ヨオ。俺、記憶が戻ったんだ。今まで世話になったな」だろうか。それとも、身元を伏せるために、これまでどおりのユフィを演じるべきだろうか。
──と突然、メランの視界に若い女性の顏が割り込んできた。
燃えるように鮮やかな赤い髪に赤い瞳。
真ん丸に見開かれた瞳がきらりと光り、満面の笑みを蓄えた口が大きく開かれる。
「うーわ、ほんとそっくりぃ。完全に若い頃の私じゃん!」
爪先が交差するほど間近に寄られたせいで、メランは彼女を見上げざるを得ない。
かつてこんな角度から見下ろされた経験などなかったはずだが、メランが彼女のことを見忘れるわけがなかった。
「ユフィか!? い、いや、ミリィ。なんでお前がいるんだよ!?」
メランにとって、それは全く予期せぬ再開であった。
驚きのあまり、メランは自分の正体を取り繕うことも忘れ、大声で問い返していた。
二人の声でイザベルたちもユフィの存在に気付き、揃って振り返る。
「うおー、ちっちゃーい。可愛いー」
ミリィはメランからの問いを完全に無視して、自分の幼少期と瓜二つの少女に正面から抱き付いていた。
遍く銀河を駆け巡るスーパーアイドル。ミリィ・クアット(本物)が突然子供のようにはしゃぎ出したのを見て、彼女の後ろからイザベルたちがおそるおそる近付いてくる。
「ミリィさん。これは? やっぱり二人は……お知り合いで?」
憧れのミリィと対面していることに恐れ入っているセスの声は、普段の彼女の声より何段階も小さく、絨毯や壁紙の中に吸い込まれ消えてしまう。
「ユフィ? ユフィ、ユフィ。ねえ、……記憶が、戻ったの?」
対してイザベルは物怖じというものを知らない普段どおりの大声である。彼女はミリィにではなく、三日間同じ船内で過ごしたユフィの方に説明を求めていた。
「あ……、あぁ、そのぅ……お、お陰様……で?」
自分を抱き締めるミリィの腕の間からもがき出てメランが答える。
部屋中の視線がメラン(ユフィ)に集中していた。
ユフィという少女として彼女らと過ごした記憶を思い出すと気まずいことこの上ないが、彼女らに対し謝意と誠意を示す気があるのなら、これは有耶無耶にしてはおけない問題だろう。ちゃんと、説明をしなければ。
「や、やっぱり、ユフィはミリィさんのクローン……だったんですか!?」
セスがもう辛抱堪らないとばかりに声のトーンを上げた。
「クローン? いやぁ、それは、なんていうかぁ……」
これ、話していいのか、という顔でメランがミリィを見上げる。
対するミリィは、えっ、私が言うの? という顔でそれを見つめ返す。
メランは一度小さく息を吐き、気持ちを落ち着けてから話し始めた。
「俺はミリィの双子の兄。ユフィっていうのはデビューする前のミリィの本名なんだよ。俺の本名はメラン・ミットナー。ベルゲンの農場で会った赤髪の。覚えてないか?」
短い沈黙のあと、イザベル、セス、ネムリはそれぞれに虚を衝かれた朧げな表情で一斉に問い返した。
「俺?」「兄?」「双子……」




