◆4-16:サラウエーダ アトラス号艦橋
『大丈夫ッスよ、局長。ほんと心配性なんスからぁ』
アトラス号の艦橋には、先ほどからやけに明るく、緊張感に欠けた男の声が響いていた。
正面のモニターには、発進シークエンス中のヴォーグのコクピットの様子が映し出されている。
ヒィッスホ族は概して陽気な性格で知られているが、彼──キケルクォも、その立派な鶏冠とツヤツヤに磨かれた嘴を裏切らない人物像であるらしい。
彼はそのことを盛んにさえずり、艦橋に詰めるスタッフたちに認めさせていた。
「局長。なんだってあんな奴をパイロットに選んだんです?」
この場に不似合いという点ではタメを張れそうなナパが、自分のことは脇に置いたヤレヤレ顔で非難する。
「彼が、研究局にいた中では一番いい性格をしてたからよ」
まさか自分たちの代で実戦投入されることになるなんて。それを知っていたらもっと慎重に人選してたでしょうけど。と、サラウエーダは口に出さなかった注釈を頭の中で捏ねてまとめて捨てた。
「なるほど……。そういえば局長。自分で言うのもなんですが、僕も性格の前向きさには自信があってですね。あまりそうは見えないかもしれませんが──」
「貴方はどんくさいから駄目」
これでもヴォーグは一応は兵器だ。
万が一の有事には、パイロットと併せて軍に徴用されることを条件として建造に漕ぎつけたという経緯がある。
パイロットには訓練された兵士と同等、とまではいかなくとも、作戦行動に支障がない程度には迅速に判断し命令を遂行できる能力が求められる。
それに、ヴォーグの機能によって、敵が操る力場の影響を回避できたとしても、ナチュラルに操作ミスなどをされたのでは何のための対抗兵器か分からなくなる。
半年前のパイロット選考時に、熱心にそう説いてナパを候補から外させたのは、サラウエーダ自身が自分の成し遂げた輝かしい功績の一つに数えるところである。
「それでも僕なら少なくとも指示に従おうとはしますよ。ほら」
ナパがモニターに映し出されている映像の一つを指差す。
ヴォーグはまだ起動シークエンスの途中だというのに、姿勢を変えてあらぬ方向に向きを返していた。
「キケルクォ君!? 制動不良なの? 機体が回ってるわよ?」
『ああ、スンマセン。なんかあっちの方にM値の上昇を感じたんで』
言われてサラウエーダとナパはそれぞれ自分の手元の端末にかぶりつく。
ヴォーグの向いた方向からキケルクォの言う〈あっち〉がどの辺りの宙域を指すのかを割り出すと、確かにダークマター帯の傍にM力場の活性と思しき有意な値の変動が見受けられた。
それを見たサラウエーダの顔色が変わる。文字通り血の気が引き、顔面を含めた体表全体が緑色を濃くして固まった。
「ナパ君、観測班の担当宙域を割り振り直して。それから他の宙域にも変化がないか調べ直して。シトロフロロさん、護衛艦に警戒宙域の伝達をお願いします」
矢継ぎ早に指示をするサラウエーダの視界の端に、ヴォーグが機体の再び向きを変え、降下を早める映像が映る。
「あ、ちょっと! キケルクォ君どこ行くつもり!?」
〈宇宙クラゲ〉の中では一般的な推進剤の類が使えない。そのため、人が遊泳するのと同じように手と足を用いた原始的な手法に頼るしかないのだが、それでもキケルクォの操るヴォーグは器用に粒体を掻き、みるみるうちに降下を始めていた。
『大丈夫ッス。任せてください。余計な茶々が入る前にサッと行って、チャッと済ませるんでしょ。聞いてますから』
彼女自身が下した指示ではない。おそらくナパか、他の誰か。M理研の人間が余計な気を回してキケルクォにそう伝えたに違いないが、そのことを糾弾している暇はなさそうだった。
「待ちなさい。君が発見した宙域の状況を確認してからよ」
『だぁぃ丈夫ッスよ。ほんとに局長はー。ちょっと気になっただけッス。反応があるっつっても、目標の反応とは全然、桁が違うじゃないッスかぁ』
キケルクォは、たった今自分が口にした情報がどれだけ重要な意味を持つかをまるで理解していないようだった。
艦橋に詰めているアトラス号のクルーたちとは明らかに吸っている空気が違う。
確かにキケルクォの言うとおり、M力場の強度を示す値は、先ほど彼が指摘した地点よりもE16区画の底部を中心とした空間の方が圧倒的であった。
アキラ少年から情報提供のあった二人がいる区画だ。
だからこそ、サラウエーダは対抗兵器であるヴォーグの投入を決めたのだ。
だが状況はその決断をしたときから大きく変わっている。いや、見落としがあったのだ。
それを観測するためにこの宙域に駆け付けたというのに、M理研の人間の悉くが、巨大な反応の方に気を取られ、すぐ近くにあった別の活性に今の今まで気付くことができなかった。
専門家である彼女らを以ってしてもまだ、M力場が人の認知に作用する力を甘く見積もっていたのだ。それに、彼女らが選んだパイロットの空気の読めなさと融通の利かなさについても、これは過少評価していたと認めざるを得ない。
あるいはこの、狂気のように映る彼の躁的な言動自体、M力場の影響を受けた──精神汚染派の言を借りればマインドコントロールされた果ての──行動ではないかと思えてくる。
「貴方だけ先行しても意味がないの。突入部隊はまだここから出てもいないのよ!?」
目まぐるしく働く頭に反して、サラウエーダはただヒステリックに怒鳴ることしかできなかった。
「こちらからヴォーグのコントロールを奪うことはできないのですか?」
渋面を作ったシトロフロロが、彼に似合わぬ性急さで会話に割り込んでくる。
「次の汎用機の稟議が通ったらそのとき考えるわ」
答えながらサラウエーダは頭の中で自分のその言葉を即座に否定する。
ヴォーグの設計思想は周囲からの影響を排した独立性を根幹としている。いくらヴォーグ自身がM力場を無力化できたとしても、外部からのコントロールを許しては何の意味もない。
パイロットの独立した判断が、敵の計算を狂わせ、活路を見出す結果へと繋がるはずなのだ。故にパイロットがそれを必要だと思うならその判断に委ねるべき。
理屈の上では、そうだとは、分かっているのだが……。
キケルクォの独断専行に憤りを募らせるサラウエーダ。
その焦りは極みに達し、もしかしたら〈おかしい〉のは自分たちの方なのではという妄念が頭を過る。
彼はこの作戦行動が始まって以来、ずっとヴォーグの中で待機していたのだ。
〈見えざる者〉の力が人の認知判断にも容易に影響を及ぼすものであったとすれば、むしろヴォーグの外にいる自分たちの方が、何か考えも付かない思い違いをしているのかもしれない。
この場で正しく判断できているのは、キケルクォだけなのではないかという認めたくない考えに屈しそうになる。
そうこうするうち、モニターに映るヴォーグはぐんぐん下降を続け、E16区画の底部を臨む目標の位置に到達していた。
「あぁあぁ、局長。アイツもうおっぱじめる気ですよ」
ナパが自席からサラウエーダの方を振り返るが、警告にしてはそれはあまりに手遅れであった。
『歴史的瞬間に刮目せよ! なんてな。アンチMフィールド、展開するぜ』
精確を期すれば、ヴォーグのアンチMフィールドはコンテナに格納されていたときから展開済みであり、キケルクォがここで宣言するのなら〈展開〉ではなく〈拡張を開始する〉とすべきであったろう。だがこの期に及んで些事はよい。
M力場を平坦に均すアンチMフィールドは、ヴォーグの心臓部を中心に、不可視の球形空間を最大半径約2㎞にまで広げ、作戦予定領域をすっぽりと覆ってしまうことになる。
大事なのはその事実と、それが現実に及ぼす影響の方であった。
サラウエーダからキケルクォに下された指令は、ケネスなる敵の少年兵を捕獲する作戦行動前にヴォーグで先行し、〈見えざる者〉の科学技術が作り出したとみられるM力場を無効化、ないし減衰を試みることであった。
小さなカプセル内に拘禁され、昏睡中でもある敵の少年兵の身柄を確保する。イージー過ぎるそのミッションを遂行するうえでは、そのお誂え向きに仕立てられた状況こそが障害となる。
その確信がサラウエーダにヴォーグの強行使用を決断させたのである。
アンチMフィールドの内側は当たり前のことが当たり前に起こる──銀河連盟人の科学と、謂わば常識が通用する世界だ。
〈見えざる者〉が何を企んでいるにせよ、力場自体に影響を行使することは、彼らの計算を狂わせ計画を瓦解させる結果となるはずであった。だが──。
次の瞬間、ヴォーグの生み出したアンチMフィールドは、開発者であるサラウエーダすら予測のできなかった反応を見せる。
ヴォーグの内側から広がり、その外縁が〈宇宙クラゲ〉の原形質に触れたとき、互いの持つ場が干渉し合い、一方が他方を打ち消した。
ヴォーグを中心とした球形の外縁を境に、いや、唐突に空いた虚空に飲み込まれるように、〈宇宙クラゲ〉の紫色の原形質が次々と崩壊していったのである。
その浸食反応は人の身の丈ではとても認知できない寸毫の間の出来事であった。
気付けばE16区画とアトラス号、それにヴォーグを包んで取り巻いていた〈宇宙クラゲ〉の体は一瞬で消失していた。
泡のように。霧や霞のように。あるいは、かつてそこに在ったこと自体が壮大なペテンであったかのように、巨大な質量が一瞬で消え失せた。当然そこに働いていたサブヒッグスの均衡も諸共にである。
下方に働いていた1Gの力が突然失われ、直後に放たれた反作用がアトラス号の乗員たちを上方へと跳ね上げる。
ナパがその硬い頭を艦橋の天井に打ち付け、その身体の上にサラウエーダの身体が折り重なる。
サラウエーダは眩暈を堪えながらナパの身体を両手で押して体勢を直す。そしてすぐ、正面のモニターに釘付けとなった。
映像の前後関係が繋がらない。
この短い時間に何が起きたのか。それは本来は理論家の研究者に過ぎない彼女の理解の及ばぬところであった。
モニターに映し出されたヴォーグは、一瞬前までとはまるで異なる形状に変貌を遂げていたのだ。
左の肩口が、何か尋常ならざるエネルギーで抉られたと思しき大穴で穿たれ、装甲の過半を失っている。
真っ白だった体表は赤黒く爛れ、そこに加えられたエネルギーの凄まじさを物語っていた。
「──狙撃されたぞ! あのダークマター帯の裏からだ! 艦を回せ! 包囲して……、いや今すぐ撃ち返せ! 破壊して構わん! 絶対に逃がすな!」
耳鳴りがやむのに合わせて、大声で怒鳴るシトロフロロの声が段々と大きく聞こえるようになる。
自分には現場の裁量を許されていないと言った副官のあの言葉は何だったのかと可笑しく感じる。
それがサラウエーダの心の中である種のゆとりを生み、ようやく理解が追い付いてやってきた。
〈敵〉は証拠の隠滅を図ろうとしたのだと。
狙われたのはヴォーグではない。敵が隠れ潜んでいたダークマター帯の裏側と、ケネスなる少年がいたE16区画の底部。その二点を直線で結ぶ途上に、それを遮る位置に、たまたまヴォーグがいたのだと。
偶然か……、いや、こんな偶然はあり得ない。
偶然だとすれば出来過ぎた偶然。奇跡と呼ぶのが相応しいほどの超常の偶然だ。
大きく抉られ、内部が露出したミルフィーユ装甲の断面図。
鳥の巣か、はたまた脳細胞のように複雑に張り巡らされた有機の装甲は、あらゆる方向からの、あらゆる種類の衝撃を逃がし、吸収し、損害を最小にするはずであったが、未知なる敵によって放たれた強力な照射攻撃はその防壁を易々と突破し、装甲奥深くに位置するメインフレームにまで到達し、露出させていた。
だがしかし、仮にこれほどの破壊的なエネルギーの直撃を受けていれば、装甲らしい装甲を持たないE16区画などひとたまりもなかっただろう。
横付けしているアトラス号もまとめて今の一瞬で壊滅的な損害を被っていたはず。ヴォーグがその位置にあったればこそ、サラウエーダは今こうして、自分たちが選択した決断の結果を顧みていられるのだ。
人体であれば間違いなく絶命を免れない重症を負ったヴォーグの機体が宇宙空間を漂うように流れ、その背後に隠れていた景色が見えてくる。
E16区画はヴォーグの、計らずも行われたキケルクォの挺身により、無傷でその形状が保たれていた。




