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◆4-15:イザベル 通用路

 ドレスを足下からたくし上げイザベルはひた走る。

 自分の髪の色に合わせて選んだ鮮やかな水色のドレスだったが、今は背中に(にじ)んだ汗を吸ってほんのりまだらの跡を作っている。

 同じく水色で揃えた靴はコントロールルームを出る前に、とうに脱いで裸足である。

 着飾っていた優雅さを置き去りにして、イザベルは長い廊下を全力で走り続けていた。


「あー駄目っ。ここも閉まっちゃう!」


 何度目かの角を曲がってすぐ悲鳴を上げる。

 足を止めた彼女の後ろから少し遅れて、息を上げたセスが追い付いてきた。

 彼女は閉鎖を告げる警告ランプに感謝しつつ、両手を膝に突き頭を垂れた。


「やめようベルッ。そっち行っても意味ないよ。戻って来れなくなる」


 返事はしなかったが、イザベルもその意見には同意だった。

 この隔壁が下りてしまえば戻って来るルートだってもう存在しないことになる。ユフィを見つけたとしてもあのコントロールルームには連れていけない。


 そのとき、点滅するランプを忌々《いまいま》しげに見つめるイザベルの視界にアキラの姿が映った。


「アキラ!? 早く早く。閉まっちゃう!」


 左右から迫る分厚い隔壁と、けたたましい警報の間を縫って、アキラがこちらに駆け込んでくる。

 アキラを招き入れた後もイザベルは完全に閉じ切る直前まで隔壁の向こう側を覗き込んでいたが、ケネスとユフィが走って来る気配はついぞ見られなかった。


「ユフィは?」


 振り返り、アキラに詰め寄る。

 無駄と知りつつも声が高くなってしまう。

 それまで壁の方を向いて肩で息をしていたアキラは、一度大きく咳き込んだあと、振り返りイザベルの肩を掴んで回れ右させようとした。


「戻ろう。ダイナーに集まるんだ。そこで話す」

「はあっ? なによ。触んないでよ」


 背中を見られたくない事情のあったイザベルは、アキラの手を振り解いて怒鳴り返した。

 とはいえ、ここに留まっていても意味がないのも確かだった。

 ちょっとしゃくだが、ここはアキラの言うとおり、ダイナーに皆を集めるのが得策だろうと考える。

 急にあちこちで閉まり始めた隔壁の向こう側に、他にも誰かが取り残されているとすれば事だった。

 点呼をして、混乱しているであろう皆を落ち着かせなくては。有能なリーダーとして。


「もう大丈夫だ。あとはサラウエーダさんたちが上手くやってくれる」


 来た道を二、三歩戻り掛けていたイザベルの足がそこで止まる。


「サラウエーダって。なんでアキラがその名前知ってんのよ」

「内線で話したんだ。俺じゃなくて、メランさんのアイデアで……」


「メラン!? ちょっと! どういうことよ?」

「ああまずっ……。これ内緒だった。今のは忘れてくれ」


「はあぁっ!?」


 未だ息を整えきれず会話の端々であえいでいるアキラよりも、イザベルの方が遥かに顔を赤くしていた。

 誰よりも自分が一番、いろいろなことを把握しているという自負のあったイザベルとしては、急に訳知り顔を始めたアキラが気に食わなかったのだろう。


 脇腹に手を当てながら、そんな二人のやり取りを見守るセス。

 自分がこれの仲裁に入らなければならないのかとうんざりしていると、先ほどイザベルと二人で走ってきた方向から、ドッドフが四つ足で駆けてくるのが見えた。


「大変だよイザベル。ダイナーに急いで。今すぐっ」


  *


 ドッドフに追い立てられ、疲れ切った三人がダイナーに駆け戻ると、そこにはネムリを除いた合宿参加メンバー全員が集まっていた。

 皆、一様に背中を向け、ダイナーの巨大な展望窓に張り付き、上の方を見上げている。

 今頃ミリィのツアーバスの存在に気付いたのだろうか。

 その光景を見て、イザベルは最初そんなふうに思った。

 そのために全力で走らされたのだとしたら、ドッドフに拳骨の一つも見舞ってやらなければ。


 息を整え、文句を口にするための息を吸い込んだ次の瞬間、イザベルはその息をごくりと飲み込み喉を鳴らしていた。

 十人からなる子供たちが横一列に並んでも、なおその倍ほども余る長大な展望窓。その窓を埋め尽くす、白くて巨大な何かが、上から下へとスクロールしていったのだ。

 ほんの一瞬だが、それはこちらを向いて、このダイナーの中をめるように覗いていった……ような気がした。

 何故ならその巨大な何かには顔があり、眼には紅い光を宿していたからである。


「いっ、今の何!?」


 何が起きているかを知っているであろうアキラの方を向いてイザベルが問い掛ける。

 だが、アキラはまごつくばかりで何も返事をしない。あれを見て驚いているのは皆と変わりないようだった。

 痺れを切らしたイザベルはアキラを置いて駆け出し、他の皆と同じく窓に張り付き、白く巨大な何かの姿を追った。


「で、でけー。ロボットだよなあ。あれ」


 今はこのダイナーよりも下方に位置するそれを見下ろしながら、誰かが言わずもがなの感想を漏らす。


 ──ロボット? ロボットってあれ? 大昔に流行ってたっていう二足歩行の人型兵器?


 イザベルは何かとんでもない冗談に付き合わされているような気持ちになっていた。

 巨大ロボットなんて、男子が喜んで見るアニメの中にしかない、子供だましの架空の兵器だ。上も下もない宇宙空間で運用される兵器が、人型でなければならない理由など何もない。ナンセンスな、地球時代のノスタルジーを引き摺っているだけの代物だ。そんなものが建造され、自分たちの目の前に現れたことにどんな合理的な説明ができるだろうか。


 イザベルが見守る前で、そのロボットはまるでそれが自分が人型である理由であると、誇らしくするように、器用に手足を揺らし〈宇宙クラゲ〉の中で姿勢を制御して見せていた。

 イザベルにその知識はないが、大昔に鎧兜を身に着けた侍が行ったと伝えられる古式泳法の立ち泳ぎのようである。


 ロボットは行き過ぎた深度から少し浮き上がり、こちらに向かい正対する。

 イザベルたちがほぼ真上からそのロボットの頭を見下ろす格好となったとき、ロボットの紅い眼が輝きを増した。

 その次に起きた変化は人間の眼には捉えきれないほど短い──マイクロ秒にも満たない反応で、イザベルたちには何が起きたのかを正確に知る術がなかった。


 彼女らに代わりそこで起きたことを伝えよう。

 諸々の経緯や要因、詳細な化学式などはさて置き、結果として生じた現象は〈宇宙クラゲ〉を構成する有機体の崩壊であった。

 紅い眼を光らせる巨大な白いロボット──ヴォーグを中心として始まった化学反応は瞬時に伝播し、紫色の広大な海を蒸発させたのだ。

 全長百㎞にも及ぶ質量が一瞬で真空の海に溶けて霧散する。

 当然の如くそれは、これまで〈宇宙クラゲ〉内に充填されるサブヒッグス粒子によってもたらされていた物理現象の消失へと帰結した。

 すなわち、E16区画内で働く1Gに調節された疑似重力の消失である。


 イザベルを始めとする子供たちがその一瞬で感じられたのは、せいぜいが身体が浮き上がる浮揚感。

 それに、その直後に展望窓を覆ったまばゆい発光程度のものであった。

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