純白の蜃気楼
◇
白靄に包まれた空間だった。
目覚めたロイは周囲を見渡す。
だが、白い霧に包まれた空間は全てを覆い隠していた。
ロイは複雑な感情で、首元のロケットペンダントを開く。
そこには、1枚の写真が納められていた。
艶やかな金色の長髪をなびかせた、一人の美しい女性。
ロイはロケットを閉じ、気を落ち着かせるようにゆっくりと息を吐く。
その時だ。
「また会えたね、ロイ」
白い霧が少しずつ開けていく。
そして、眼前にみえる一人の女性に、ロイの視線は釘付けになった。
金色の長髪を揺らし、優し気な笑顔を浮かべた彼女はまさしくロケットに映っていた女性だった。
20年前、この世を去った、ロイの最愛の人、エマ。
「エマ」
ロイはふらふらと歩みよると、静かにエマと抱擁を交わした。
成功への喜びと、解き明かすべき謎をその胸に宿しながら。
◆
エマとの馴れ初めは、ロイが8歳の時だった。
発育が周りよりも遅かったロイは、当時人の輪から外されることが多かった。
遊び相手のいない時はよく、
近くの畑の畦道を歩きながら、虫取りをして遊んだものだ。
そんなある日の夕暮れだった。エマに出会ったのは。
「わあ、かわいい」
花柄のワンピースに麦わら帽子をかぶった少女が、きらきらと瞳を輝かせて、ロイの前にしゃがみ込んだ。
彼女はロイの手元の小さなてんとう虫を夢中になってのぞき込んでいた。
夕日に反射する彼女の瑠璃色の瞳は、吸い込まれるように美しく、高鳴る心臓に息苦しさすら覚えたものだ。
同い年だという彼女は、それから毎日、ロイの家の前の畑に通うようになった。
ロイは、不思議と彼女の前では、今までにない胸の高揚を覚えた。
そしてその感情は、ロイに奇妙な行動力をあたえた。
エマに、畑に住まう様々な生き物を見せるようになったのだ。
誰にも見せたこともない、自分だけのとっておきの生き物もぜんぶ。
彼女が見せる驚きや喜び、そして小さな怒りでさえ、ロイを今までにない感情にさせたのだ。
それはきっと、初恋だった。
そしていくつかの季節を共に過ごしたとある日の夕暮れ、ロイとエマは唇を重ねた。
―――
「30歳までしか生きられないの」
エマの体のことを初めて聞いたのは、ロイが14歳の頃だった。
西日のあたる見晴らしのよい丘の上で、海を見ていた時だ。
彼女は、話したいことがあると神妙な顔でロイを見つめたのだ。
そして、自身が抱える心臓病のことを告げた。
「別れたくなったら、いつでも言って」
「ばかなこと言うな」
ロイはエマの瞳を真剣に見つめる。
彼女がどこか体が悪いことには、薄々気がついていた。
彼女が、何種類もの錠剤を飲んでいるのをある日見てしまったのだ。
けれどそんなことはロイには関係がなかった。
「大人になったら、結婚しよう。そして、盛大な式を挙げるんだ。
エマ、絶対にキミを…幸せにする」
エマは、困ったような笑みを浮かべながら「ありがとう」と告げた。
ロイはその時ようやく胸をなでおろした。
けれど、その言葉はおそらく半分も実現することはなかったかもしれない。
◇
20年ぶりに再会したエマは、変わらぬ美しさだった。
亡くなった30歳の時の姿で、この不可思議な白い空間にいた。
抱きしめたエマの体を、ロイはゆっくりと離す。
少し熱を帯びた彼女の肩への違和感は、たちまち再会の喜びに覆い隠された。
気づいた時には、瞳から涙があふれていた。
「いつまでも…ここにいられたら」
彼女が亡くなって20年。どこかぽっかりと空いたような心が満ちていくのを感じていた。
エマは何も言わず、ロイに微笑むのみだ。けれど、その無言の抱擁がロイには心地よかった。
その時、ロイはこの空間の奇妙さに気づく。
周囲は白い霧で、どこにいるかもわからない。
「ここは…一体」
「教会よ」
エマがそう告げると、少しずつ白い霧が晴れる。
そして、長椅子がならぶ礼拝堂が姿をあらわした。
ここは、教会だった。
ロイとエマが暮らしていた地域の権力を司っていた、ある教会である。
そしてなにより、ロイとエマに奇跡的な慈悲をあたえてくれた、大恩ある教会だった。
◆
暗雲がたちこめたのは、ロイが25歳のときだ。
ロイは生物学者としての道を歩みはじめていた。
とはいえ、なかなか研究の芽が出ず、当時の稼ぎはたかが知れていた。
一方の、エマはというと近隣の花屋で働くようになっていた。
近隣で働くことを選んだ大きな理由は1つ。
馴染みの町医者がいたからだ。腕がいいと評判の女医で、エマとは親交が深かった。
彼女の心臓病も深く理解していた。
二人は結婚をし、同棲を始めていた。とはいえ、金銭事情を鑑み、式を挙げることはなかったのであるが。
そんな生活がしばらく続いたある日のことだ。
ある凶悪な疫病が、牙をむき始めた。
「また、新しい感染者が出たみたい」
ある朝、リビングのテーブルで、向かい合わせで朝食を取っていると、
不安げな表情でエマはロイに話しかけた。
「ゴルド病か?」
エマは、小さくうなずいた。
ゴルド病。
それは、ロイ達の住む地域に、突如として出現した疫病だった。
全身を襲う激痛と、肩に現れる高温を帯びた黒い班点が特徴だ。
健常者の生存期間が平均でたった1年程度という、凶悪な病だった。
「病院にも、患者が増えているみたい。ほとんど目を覚まさない人も多いって…」
「末期症状か」
ゴルド病には、もう一つ奇怪な症状があった。
症状が進行すると、感染者の睡眠時間が段階的に伸びていくのだ。
そして末期になるとほとんどの患者が目を覚まさなくなる。
その不気味さも、ゴルド病への懸念に拍車をかけていた。
当時ロイを悩ませたのは、治療薬がいまだ開発されていないことだった。
ロイの頭にあったのは、エマのことだった。
ただでさえ、彼女は30歳までしか生きることができないのだ。
彼女をゴルド病にかからせることだけは、絶対に阻止しなければならない。
そんな使命感がロイの胸のなかで渦巻いていた。
そして、エマに少し失笑されてしまうほどの感染対策を講じていた時。
教会からあるお触れが流れたのである。
『ゴルド病の治療薬の、支給を開始する』
「ロイ!これで一安心ね」
とある休日の午後。
ロイがリビングのテーブルに向かってくつろいでいると、
エマが教会からのお触書を嬉々として見せてきた。
しかし、ロイはその文字をいぶかしげに見つめていた。
「エマ、少し貸して」
ロイがそう言うと、エマは持っていたお触書をロイに手渡した。
預かったお触書は何枚かに渡っていた。
1枚目には、治療薬が完成し、その支給を開始する旨が記されている。
だがやはり、ロイの心は晴れないままである。
―なぜ、『支給制』なのか?
基本的に、薬は薬屋で購入するのが習わしだったのだ。
ゴルド病に限って支給制を取る理由がロイには理解できなかったのである。
だが、その理由は最後のページに辿り着いた時、判明した。
『なお、治療薬には非常に希少な動植物を使用しており、薬の量には限りがあります。そのため各家庭の地位に応じて、支給量を調整します。支給順に関しては…』
「ロイ…?」
その時のロイはきっとかつてないほど険しい表情をしていたのだろう。
当時のロイ達の地域は、教会への貢ぎ額によって、地位が決まっていた。
それはつまり、貧乏かどうかで地位が決まっていたということだ。
そして、当時のロイとエマの地位はお世辞にも高い方ではなかった。
ロイは、エマの体を引き寄せると、静かに抱きしめた。
もしも、治療薬が一つしか支給されなかったら…エマのために使おう。
そう固く誓っていた2週間後だった。
――
「マリアのところも、一つだけだったって…」
「そうか」
エマは、付き合いのある人たちから、治療薬の状況を聞いていた。
しかし、やはりというべきか、
自分たちと同じ地位の家庭は、せいぜい貰えても一つだった。
「ひとつでも、もらえたら感謝しないとね」
エマは、気丈な笑みを浮かべた。
ロイたちの番はまだ、回ってきていない。
だが、おそらくは一つ。
その使い道は慎重に決める必要がある。
「エマ、治療薬のことで話があるんだ」
「急に何…って、それどうしたの?」
「?」
その時、エマがロイの足首を見た。
「これは…」
それはネズミの噛み跡だった。2週間前にはなかったはずである。
おそらく、寝ている間にかまれたのであろう。
「多分、寝ている間に…」
その時、視界が大きく反転した。
「ロイ!」
エマの声が遠ざかる中、ロイの視界は深い暗闇の底に沈んでいった。
――
「ロイ…」
「エマ」
何時間眠っていただろうか。すっかり辺りは暗くなっていた。
ベッドの横の丸椅子には、何かが書かれた紙が置かれていた。
「これは…」
「町医者さんが来て、あなたを診察してくれたのよ」
「…結果は?」
エマは、少し逡巡したのち、ぽつりと呟いた。
「ゴルド病…だって」
後から判明することになるが、それはネズミらしい。
彼らの噛み跡を通じてのみはじめて、ゴルド病は感染するのだそうだ。
その時のロイの動揺は、筆舌につくしがたい。
けれど、その後のエマの言葉は、彼の動揺をさらに強めた。
「大丈夫よ、もう少しじゃない」
「何が…」
「治療薬が、もう少しでくるわ」
「それは君の…!」
それ以上、ロイは何も言えなくなってしまった。
エマが、瞳に涙を浮かべながら、ロイの口元に指を添えていた。
「だから、安心して…?」
エマが微笑む。
ロイは、彼女に背を向けると、肩を静かに震わせた。
――
だから、といっていいかわからないが、あれは奇跡としかいいようがないだろう。
「ロイ!!見て!」
あの日のエマは、ロイが人生で見た中で一番といっていいほど輝いていた。
「二つもらえたの!!治療薬!」
その時の計り知れない安堵を、どう表現すればよいだろう。
この時ばかりは神を信じざるをえなかった。
「…ゆっくり飲んでね」
エマから渡された白く丸い錠剤を、ロイは水で流し込む。
この中に、希少な動植物が入っているらしいが、実感には乏しい。
「神様は、見てるんだな」
「あら、信じてなかったの?」
そんな軽口をエマと交わしながら、ロイは心地よい眠りについていったのだった。
――
それから、5年の時が経った。
ロイは一人、エマの部屋で彼女の遺品整理をしていた。
エマは…宣言通り、30歳という若年でこの世を去った。
しかし町医者の先生は、本来ならば普通の人よりも免疫が低いエマが、
ゴルド病含め心臓病以外の大病をわずらわずに寿命をまっとうできたことはとても幸運だと言った。
その言葉を聞いて、ロイは少しだけ報われたような気がした。
彼女とはついぞ結婚式を挙げることはなかった。
ロイは研究が軌道に乗り、学者としての地位も高くなっていたが、
エマが拒んだのだ。
『もしもの時のために、お金はとっておいて』
そういいながら。
そしてロイが、自虐的な笑いを浮かべながら、ある引き出しを開けた時だった。
ロイの心臓が激しく脈打った。
――もしも、この謎に気づかなければ、ロイはエマと再会することはなかっただろう。
その引き出しには、小道具などとともに、二つ目のゴルド病の治療薬が入っている…はずだった。
しかし、そこにゴルド病の治療薬はなかったのである。
◇
「あれから、20年の間にこんなことがあったんだ」
「ふふ」
ロイは、エマとの20年ぶりの会話を楽しんでいた。
自分の学者としての成長、研究中のある植物のこと。
だが、ゴルド病の現在の状況については、あえて触れはしなかった。
「はは、ふう。ちょっと話すぎちゃったね。」
そう呟くと、エマは、教会の長椅子の背にもたれ、天井を見上げた。
しばし、訪れる沈黙。
彼女の横顔を見つめる。その顔は何かを悟っているかのようだった。
だからこそ、ロイは今だと思った。
20年間抱えてきたその謎を、明らかにするのは。
「エマ、君は」
「…」
「嘘をついたね」
エマは何も言わず、宙を見上げたままだ。
ロイは一呼吸着くと、再び口を開いた。
「君がもらった治療薬は、本当は1つだった。違うかい?」
――
「キミがなくなってから、キミの部屋の片づけをしていたんだ。
でも、キミのための治療薬が入れてあったはずの引き出しには、治療薬がなかったんだ」
「…」
「町医者の先生に聞いたけど、キミはゴルド病にかかったことはないと言っていた。
キミと付き合いのあった人にも話を聞いた。でも、誰もキミから治療薬を貰ってはいなかった」
「…」
「そして、僕らの地位と同じ人たちに話を聞いて回ったよ。
でも、僕らと同じように2つ治療薬をもらった家庭は一つだってなかった。」
「…」
「だから、一つしか考えられないんだ。
治療薬は…本当は一つだったんだって。
そして、キミは亡くなる直前に、二つ目の偽の薬を捨てたんだ。
証拠を消すために。…違うかい?」
いくばくかの沈黙のあと、エマはぽつりと呟いた。
「ロイは、名探偵さんだ」
「それじゃあ…」
「ふふ、うん。大正解」
エマは、瞳を伏せて小さく笑った。
「なんて、危険なことを」
「だって、あなたはきっと飲まなかった。もし一つしか貰えなかったことを知ってしまったら」
「そうだとしても…。君はどうなるんだ、もしもゴルド病にかかってたら、キミはなくなっていたかも…」
その時はエマはロイの方を見る。
「私はよかったの」
「なに言って…」
そして、彼女は静かに微笑んだ。
「私は、30歳で死ぬんだから」
「そんなこと関係…」
「あるよ」
そして、エマは再び天井を見上げると、楽しげに肩を揺らす。
「私、好きだったんだ。ロイが夢を追いかけているのを見るのが。
…私はさ、30歳で死んじゃうから。大きな夢を見ることを…無意識のうちに諦めてたと思う。
だから、私は自分の夢をいつのまにかロイの夢に重ねてたんだ。
ロイが…研究者として、すっごく有名になってみんなからすごいって言われるようになること。
そんなロイが、研究をがんばってるのを見るの、私好きだった」
「君は…」
「だから、死んでほしくなかったんだ。ロイに。もしいつか、恨まれることになってもそれでも…あの時、ロイに死んでほしくなかったの」
ごめんね、と困ったような顔を見せたエマを、ロイはそれ以上追及することはできなかった。
その時だった。
どくん、と心臓が高鳴る。そして、こめかみから汗が流れる。
「…どうしたの?」
心配そうにロイをのぞき込むエマを見ながら、自身の胸に手を当てる。
…待て、まだ何かを見落としてる。
刹那、ロイは頭を懸命に動かす。
そしてその時、一つの疑問がロイの口をついて出た。
「エマ、最後に一つ聞かせてくれ」
「…?」
「二つ目の偽の薬を誰からもらったんだ?」
エマははっと息を飲んだ表情を浮かべた。
そして、躊躇いがちに瞳を揺らし、口をつぐむ。
「エマ、お願いだ」
彼女は、しばしの間、目を伏せたのち、意を決したようにロイを見つめた。
「…町医者よ」
「やはり、そうか」
ロイの疑念は、当たっていた。
つまり…エマと町医者は繋がっていたのだ。
瞬間、ロイの心臓が激しく脈打つ。
かつて町医者は『エマはゴルド病にかかったことはない』、と言った。
けれど、その発言の信憑性は今、大きく揺らいだ。
そして、その事実がエマと抱擁した時の、彼女の肩の違和感に結び付く。
彼女の肩は、少し熱を帯びていたのだ。
その時、ロイはゴルド病のある特徴を思い出す。
『肩あたりに出現する高温を帯びた黒い班点』――。
つまり――。
「エマ、君は…本当はゴルド病にかかっていたんじゃないか」
悲しげにうつむいたエマの沈黙は、限りない肯定を意味していた。
ゴルド病は、健常者で約1年しか生きられない。
まして、エマの場合は半年も怪しい…はずだ。
「一体…いつから…君は…」
エマは、静かに瞳を閉じると、ゆっくりと口を開いた。
――
…私は、ロイ、あなたに生きていてほしかったのです。
そのためならば、どんなことでもできる。そう心の底から信じていました。
そうでなければ、こんな行動はきっとできなかったと思います。
町医者の先生には、偽の治療薬を一つ用意してもらいました。
あなたに治療薬が二つあると思わせるためです。
その理由は、先ほどお話しした通りです。
ですが、この作戦には一つ、重大な問題がありました。
それは…私がゴルド病で死んではならない、ということです。
もし私がゴルド病で亡くなってしまった場合、
あなたに、二つめの治療薬が嘘であったことがばれてしまうからです。
そして、あなたはきっと罪悪感に苛まれるでしょう。
自分のために嘘をつかせた上、私を死なせてしまったという罪悪感に。
それだけは絶対に阻止しなければなりませんでした。
そんな時です、私がこのアイデアを思いついたのは。
私の寿命…30歳という寿命を利用させてもらうことにしたのです。
もし私が30歳まで生きることができれば、
そして先生にも協力してもらえれば、
私がゴルド病で亡くなったとしてもその事実を隠すことができると思ったのです。
つまり、私が。
ゴルド病に5年耐えることができれば、すべての真実を闇の中に隠すことができると思ったのです。
私はあなたとほぼ同じ時期に、つまり、25歳の時にゴルド病にかかってしまったのです。
馬鹿げた行動だと、不可能だと、きっとあなたは笑うでしょう。
けれど、私は、私ならできると信じていました。
ロイ、あなたのことを。
不器用で頑固で、でも誰よりも私を愛してくれたあなたを。
私も、心より、愛しておりました。
ーー
「エマ、キミは…」
「ロイ。もう、時間はあまりないはずよ。あなたの意識はもう少しでゴルド病に飲まれてしまうはず。」
「気づいていたのか」
「あなたと、抱き合ったときに、あなたの肩に違和感があったの」
彼女の言う通り、ロイはゴルド病に再びかかっていた。
ロイの地域では、変異したゴルド病が再流行していたのだ。
再び、治療薬が開発が開発されたものの、
やはり原料には希少な動植物が使われたため、教会による支給制が取られた。
ロイは、既に支給薬を貰っていた。しかし、その服用を拒んでいたのだ。
それは、ゴルド病のある症状を利用するためだ。
ゴルド病は、進行すると、睡眠時間が伸びる。
その理由は、願いを叶えるとも言われる夢にあった。
その夢を見続けたいがために、睡眠時間が伸びるというのだ。
それは例えば…亡き恋人と再会する夢。
ロイは、この夢を利用して、エマに会うことを決めたのだ。
それは、二つ目の治療薬の謎を解き明かすため、そして…最後の時間をエマと共に過ごすためだった。
しかし、もうロイには迷いはなかった。自分のやるべきことに気づいたのだ。
その時、エマがロイの手を両手で包み込んだ。
「ロイ、あなたは選ばないといけない。
このままここで、私と共に命を落とすか、それとも目覚めるか。」
ロイは、まっすぐにエマを見つめ、言い切った。
「目覚めるよ」
一瞬、エマの瞳に悲しみの色が浮かんだ気がしたが、すぐに元に戻る。
「またいつか…」
「ああ、必ず」
そして、ロイが意識を集中する直前、ここが教会であることを思い出す。
「エマ、その最後にしたいことがあるんだ」
ロイが頬を赤らめながら、エマに耳打ちする。
エマは一瞬、呆気にとられながらも、くすくすと笑った。
「そういえば…やり残してたね」
そして、ロイはあるものを取りに駆け出したのだった。
――
…数年後。
ロイは、教会に訪れていた。
今日は、ある功績に対する勲章を貰う日だった。
ゴルド病の夢から目覚めたロイは治療薬を飲んだ。
そしてその後、研究していたある植物が、ゴルド病に有効であることを突き止める。
この事実は、治療薬の量産化につながった。
つまり、支給制がなくなり、より多くの人々の命が救われたのだ。
その功績が教会に高く評価されたのだった。
ロイは思う。
この功績は、きっとエマと再会することがなければなしえなかっただろうと。
だが、時々不安になるのだ。
あの日の出来事は、ただの夢で、あそこで起こった出来事は、自分に都合のよい妄想に過ぎないのではないかと。
その時、ふとロイは首に下げたロケットに視線を傾けた。
生前のエマの写真が収められた、あのロケットだ。
ロイはその時、操られたかのように、ロケットの留め具を外した。
そして、中に収められた写真を見て、ひとり涙した。
そこには、エマと夢で別れる直前にした、ある儀式の写真が収められたのだ。
これは…現実なのか。それとも、幻だろうか。
ロイの視線の先。
そこには、純白のドレスに身を包み、こちらに微笑むエマが写っていたのだった。