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異世界恋愛短編

モブになりたい悪役令嬢、本命の王子様からご指名入ります♡

作者: 待鳥園子

(ここに達するまで、本当に……本当に長かった)


 フラージリア王国の中でも未婚の令嬢としては五本の指に入るほどに身分が高いブライアント公爵令嬢オフィーリアは、艶やかな青いドレスに身を包み貴族学院での卒業パーティーが開催される会場へと一歩足を踏み入れた。


 重いドレスを揺らし踵の高い靴で一歩一歩歩く毎に、やり遂げたという達成感が心の奥底からじわじわと込み上げた。


 彼女が生まれ変わった世界の乙女ゲームが、やっと本日エンディングの場面を迎える。



◇◆◇



 オフィーリア・ブライアントが、前世で一周のみ全ヒーロー攻略をした事のある乙女ゲーム「ファーストキスの味を知らない」略してファ味の世界に転生した事に気がついたのは、八歳の時だった。何故一回だけかと言うと、そこで記憶が途切れている。


 階段の踊り場から足を踏み外して、頭を打った強い痛みよりも何よりも、膨大な知識が流し込まれてくる激しい勢いに耐えきれずに意識を失ってしまった。


 目を覚まして鏡を見て、お付きのメイドに名前を呼ばれ、自分が現在悪役令嬢に生まれ変わっていることは嫌々ながらも理解することは出来た。まだやり込んではいない乙女ゲームではあったものの、前世一番好きなヒーローの婚約者役であったから名前も覚えていた。


 しかも、今週末には破滅フラグの一番目となる王太子との婚約者になるために、その候補者の一人として集められた顔合わせの予定が入ってしまっている。


 ゲーム内でヒロインが王太子を攻略対象として選び、その婚約者オフィーリアが悪役令嬢として断罪されてしまえば、その行き着く先は投獄国外追放娼館行きなんでもありだった。


 ヒロインが選択肢をひとつ間違えてしまば、彼女を陥れようとするオフィーリアもバッドエンドへの道連れとなるのだ。


 そんな地獄への入り口とも言える王太子との顔合わせのお茶会は、行きたくないから行かないと言えるような生易しい代物ではなかった。下手すると何の罪もない父親が王家に叛逆の意志ありとして、失脚させられる危険性も秘めている。


 そのくらい重大な、王族の婚約者選びのお茶会だ。


 今回は幼い二人の王子に、年齢の近い貴族令嬢で見繕われた様々な条件を乗り越えた者のみが厳選されている。選ばれし者のみのお茶会への招待状だ。


 父は現王の片腕とも言われ、そんな父に養われている身分の娘が、何か理由をつけてそんな重要な顔合わせに行かない訳にもいかない。


 今日のために誂えた可愛らしいドレスを身に纏っているというのに鬱々とした暗い気持ちのままで、出席したお茶会ではあった。だが、自分の婚約者になるはずの王太子アンドリューとその弟の第二王子エリオットは、常に婚約者候補の可愛い女の子たちに囲まれている。彼らは華やかな一角で、和気藹々と楽しく過ごしているようだ。


 ちなみに二人の王子は、どちらも乙女ゲームの攻略対象であるだけに、双方共に素晴らしく目鼻立ちの整った美形だ。


 乙女の夢を体現していると言って過言ではないアンドリューは王子という身分らしく金髪碧眼で、今はまだ幼い可愛らしい顔には将来の王者たる者特有の余裕のある笑みを浮かべている。


 対して弟のエリオットは、黒髪金目で腕白そうな男の子だ。彼は成長すればワイルド美形枠になるのが今でもわかってしまうくらいに悪戯好きな様子で、自分に群がる女の子を冗談を言っては笑わせているようだ。


 彼らの様子を何の感情も持たず遠目に見ながら、王室付きのシェフが作ったというケーキを美味しく食べていたオフィーリアははたと気がついた。お茶会には全く乗り気ではなかったので、少し時間に遅れてしまい本来であれば彼らの程近くに座っている予定が身分上では下位の伯爵令嬢と共に末席辺りに座っていた。


(ちょっと……待って。これって、もしかして。私がぐいぐい押さなければ、アンドリュー殿下は私を婚約者に選ばないのでは……?)


 乙女ゲームで悪役令嬢として登場するオフィーリアは、王太子の婚約者であると言われれば自然と納得出来るような素晴らしい容姿の持ち主ではあった。


 輝く金属の滝を思わせるような金髪は焼きごてを使わなくても美しく整って巻いているし、海の青を思わせる瞳はまるで宝石のよう。腕の良い職人が丹精込めて造った人形のような顔を持つ、どこから見ても美しい令嬢だ。


 乙女ゲームのメインヒーローである王太子アンドリューの隣に立つのに、相応しいと言える。


 そして、オフィーリアは前世の記憶を取り戻すまで、自分が押しの強い性格であるということには自覚があった。


 年の離れた自分を猫可愛がりする二人の兄を持ち、遅くにやっと出来た女の子に対し両親も甘い。身分も気も強くて、我が儘放題になってしまう素地があった。


 そんなオフィーリアが自分より完全に下の存在に見ていたヒロインが、自分の婚約者に手を出しそうな場面を見て、いじめ役として逆上してしまうのはとても自然の事だったのだ。


(そうよ……! アンドリュー様に選ばれなければ、私は悪役令嬢ではなくてゲームの進行には全く関係のないモブになることが出来るわ。このまま、モブになりたい!)


 大人しい性格だった前世の記憶のあるオフィーリアは奥ゆかしさが美徳の日本人の民族性を遺憾なく発揮して王子たちが笑いさざめく華やかな一角になど、とても近づけない。


 公爵令嬢たる高い身分にある者特有の威厳なども今は失ってしまっていて、他の令嬢たちもこちらを窺ってプライドの高さを隠しもしなかった以前とは全く違うオフィーリアを見て、どう扱って良いのか判断しかねている様子だ。


「少し、席を外します」


 スっと姿勢良く椅子から立ち上がったオフィーリアは、黙って背後に立って居た若い侍従に声を掛けた。彼は少し戸惑いつつも、こくりと大きく頷いた。


 微妙な表情になっているのは、令嬢たちの将来の結婚相手として文句の付けようのない王子二人が出席しているお茶会を中座してしまうオフィーリアが信じられないからだろう。


(これで……良かったのよ。これで、私は悪役令嬢にならずに済むわ。要するに私本人が、どうしてもあの人……アンドリュー様に選ばれたいと動かなければ、婚約者にはなり得ないんだから)


 お茶会の会場を出て城の廊下を歩きつつ、オフィーリアは大きく息をついた。


 とりあえず、あのお茶会には出席したという義理は果たしているはずだし、王子たちの婚約者の椅子を狙っている彼女たちに中座した事を気にされることもないだろう。


 むしろ、身分も高く手強いライバルが一人減ったと、顔には決して出さずに喜ぶだろう。


 オフィーリアの父であるブライアント公爵は現王の右腕で親友で、政治的にも身分的にもオフィーリアが選ばれることが大方の予想ではあっただろう。


 だが、身分が釣り合い可愛いらしい婚約者候補があれだけ数多く居るのだから「どうしても、自分を選んで欲しい」とアンドリューにオフィーリア自身が言い出さなければ、美形の王太子にはいくらでも選択肢がある。


 婚約者を選ぶ権利を持つのは、彼だ。


 オフィーリアは人の少ない方を選んで城の中をうろうろと歩き回り、自分が迷子になったと認めることが出来たのは、結構な時間が経ってからの出来事だった。


 どこをどう曲がっても同じような風景で、出口を見つけることの出来ない巨大な迷路のような場所には、人が少ないどころの話ではなく人っ子一人誰の姿も見かけることが出来なくなってしまっていた。


(……どうしよう……このままだと、誰にも会えずに夜になっちゃう)


 誰もいないのだから、助けを求めることも出来ない。


 こみ上げる心細さを感じて、ふわふわしたドレスの裾を自分で抱き締めるようにして、廊下の隅でオフィーリアは座り込んだ。


 前世の記憶だって持っている自分が迷子になったことを認めたくなくて、かなりの時間をうろうろと歩き回ったので、足の先と踵には激痛が走る。とにかくこの小さな身体は強い疲労を感じていた。


 膝に顎を置いて、じっとして丸くなる。疲れからうとうととして目を閉じようとした時、まだ幼い男の子の高い声が遠くから聞こえた。


「っ……居た! 見つけたー! 見つけたよー! 兄様。迷子の女の子、こんなところに居たよ!」


 オフィーリアがビクッとして顔を上げれば、黒髪のエリオットが先行してアンドリューが後に続く。二人の王子が、廊下の向こうからこちらに向かって走って来る。


 傍近くまでやって来た彼らは、はあはあと肩を揺らして大きく荒い息をついた。その場に座り込み驚いていたオフィーリアを二人は真面目な表情で見下ろした。


「……ブライアント公爵令嬢。この神殿は、王族以外は、立ち入り禁止なんだ。知らなかったの……?」


 彼の年齢には決して似合わない威厳を持った落ち着いた声で、まだ幼いアンドリューはオフィーリアに向けて言った。だから、ここでは自分以外の誰も姿を見かけなかったのかとオフィーリアは瞠目した。


「ごっ……ごめんなさいっ……どうか、お許しください。私、知らなくてっ……ごめんなさいっ……」


 何も知らないとは言え、とんでもないことになってしまったと、じわっと目尻から涙が溢れそうになっているオフィーリアを見て二人は目を合わせた。


 アンドリューは大きく息を吐いて、弟のエリオットに意味ありげに目配せをした。


「……知らなかったことは、もう仕方がないよ。僕ら二人が黙っていれば、問題にはならない……泣かないで」


 そう言って、アンドリューは片手を伸ばしたので、誘われるままにオフィーリアは彼の手を取った。その手が柔らかくて温かいと思う間もなく、強い力で引っ張られ、なぜかオフィーリアは唇に何かが当たったと感じた。


 ただそれだけの、一瞬の出来事だった。


「あーあ。兄様。どうするの。兄様の婚約者、さっき決まったばっかりなのに」


 小さな舌でぺろりと唇を舐めたアンドリューの後ろから、彼を揶揄うようなエリオットの声が聞こえた。オフィーリアは、今のは何だったのかと何度も目を瞬かせた。


 心の奥底まで覗き込むようなアンドリューの青い瞳は、すぐ傍にある。


「仕方ないだろ。この子。泣き顔が信じられないくらいに、可愛かったし……ねえ。ブライアント公爵令嬢……いや、オフィーリア。意味は、わかってるよね?」


 天使のような笑顔でアンドリューはそう耳元で言い聞かせるように囁いたので、オフィーリアは何度も何度も頷いた。


(これってこれって……自分には、決まったばかりの婚約者がもう既に居るから。ここで、私にキスしたことは絶対に言うなって、そういう口止めよね? 良かった! もう私が悪役令嬢になるフラグは、完全に折られたわ!)


 破滅に向かうしかない悪役令嬢役になることを免れた事実を実感したオフィーリアは、両手を組んで神に感謝を捧げたい気持ちでいっぱいだった。


「……父様に、なんて言うのさ」


 何故か兄の言葉に呆れ顔のエリオットは、何かを思案しているようなアンドリューと喜びに顔を輝かせているオフィーリアの二人を見比べている。


「彼女ならば、文句は言わないだろう」


(文句なんか! 言いません! 絶対に、言いません!)


 そして、オフィーリアが歩き過ぎて足を痛めていることを知った二人の紳士に交代で背負われて、彼女は王族にしか入れないという巨大な神殿を後にすることが出来た。




◇◆◇



 あれから、約十年の月日が流れた。


 ちなみに、あの日王太子アンドリューに婚約者として選ばれていたのはバンクス侯爵令嬢だった。彼女は当たり前と言うべきか、何なのか。悪役令嬢らしく自分の婚約者の関心を奪った男爵令嬢でヒロイン役エリーゼを、順当に虐めていたようだった。


 彼女を助けるヒーロー役であるアンドリューが絶対に来ない場面と確認してから、オフィーリアはエリーゼを何度か助けてあげたことがあるが性格の良いとても可愛らしい女の子だった。


 流石乙女ゲームのヒロインだと、オフィーリアは一人で納得していた。


(けど……やっぱりさみしいわね。ゲームヒーローの中では、アンドリュー殿下が一番好きだったけど……仕方ないわ。投獄とか国外追放なんて、絶対嫌だもの)


 エリーゼと微笑み合うアンドリューを見るたびに、胸を針が刺すようなチクリとした痛みを感じていた。


 バンクス侯爵の娘がアンドリューの婚約者に決定したと聞いた時、オフィーリアの父は目に見えて落ち込んだ様子だった。アリアナの父親は彼の政敵と言える存在だったので、気持ちは複雑だったのだろう。


 そして、ゲーム内のオフィーリアはきっとそんな父親に褒められたいという目的もあったから、王太子アンドリューの婚約者になりたいと強く思ったのかもしれない。


 だが、彼の婚約者でさえなければ家ごと破滅するルートは避けられるし、こちらが虐めてなくてもエリーゼと上手く行ったからと婚約破棄されることは避けたい。男性側から婚約破棄された令嬢は傷物と判断されるのが、フラージリア王国での当たり前のことだったからだ。


「今夜、僕はアリアナ・バンクス侯爵令嬢と婚約解消をする。その理由は、真実愛している女性を伴侶とするためだ」


(あら。破棄ではなくて、解消なのね。アリアナ様は私の知る限りは、それ程エリーゼ様に酷い事はしていなかったようだし……ゲームの中の悪役令嬢とはならなかったからかしら。長年共に居た婚約者への、最後の温情かしらね……)


 オフィーリアの目の前では、乙女ゲームの最大の見せ場である悪役令嬢の断罪劇が繰り広げられていた。これが終われば彼とヒロインエリーゼは、ヒーローと永遠の愛を誓い合うエピローグへと突入する。


 この大きな会場に居る全員が、息を詰めて壇上に居る王太子アンドリューを注目し見つめていた。


 アンドリューは、ここ十年で素晴らしい成長を見せていた。天使のようだった幼い時期を過ぎて、今はもう乙女ゲームのパッケージを彼の顔で飾るに相応しい輝くような美青年振りだ。


(さよなら……アンドリュー様)


 オフィーリアは、自分が婚約破棄される立場でもないと言うのに、じわっと涙を浮かべて感極まってしまった。


 一度しかプレイをしていないので、うろ覚えではあるものの、これから信じられないくらいの甘い愛の言葉をエリーゼに囁くはずだ。


 これでもう、乙女ゲームは華々しいエンディングを迎える。ヒーローとヒロインは、結ばれて幸せに暮らしましためでたしめでたしのはずだ。


 そのはずだった。


「それでは、オフィーリア・ブライアント公爵令嬢。こちらへ」


 アンドリューの声にザッと後ろを振り返る人々の目が自分に集まるのを感じて、オフィーリアは驚きに目を見開き、つい自分の事を指差した。


(ちょっと待って。今、私の名前、呼ばなかった? ……嘘でしょ!)


 思いも寄らぬ展開に唖然として立ち尽くすオフィーリアの近くに居た周囲の人々は、一斉に遠巻きになった。カツカツとした高い靴の音を響かせて、アンドリューが壇上からゆっくりと降りて来た。


「そんな! 何故ですか。アンドリュー様と、そちらのオフィーリア……いいえ。ブライアント公爵令嬢がお話している様子など……今まで一度たりとも……全く、見られませんでしたわ!」


 彼の婚約者であったはずのアリアナの怒りは、もっともだ。


 彼女が激しく警戒していた身分の低い男爵令嬢でもなく自分より格上の身分を持つオフィーリアに、自分が執着していたアンドリューを取られるなど考えてもみなかったはずだ。


 彼が近付いてくるのをただ見ているだけで動きは固まっているオフィーリアに対して、アリアナは憎しみの篭った眼差しを向けた。


「アリアナ。私が本当に愛しているのは、オフィーリアなんだ……本当に済まない。貴重な時間を無駄にさせてしまった事に関しては、これから出来るだけの償いをしよう」


「え……? ちょっと……ちょっと待って……私?」


 アンドリューは整った容姿を持つ彼でなければ滑稽に見えてしまうほどに芝居がかった動きで、完全に動転しているオフィーリアの前に彼女の手を取り跪いた。


「オフィーリア。僕は、君を愛しています。これでようやく僕たちは学園も卒業することも出来て、成人することになり、貴女をこうして迎えに来ることが出来た」


 オフィーリアは彼の信じ難い言葉を聞いても、狼狽えることしか出来なかった。何故なら彼とは幼い頃の一回しか面識もなく、学園に入ってからも特に声をかけられることはなかったからだ。


(アンドリュー様が、私を愛している? どう言うことなの。どうしたら良いの。どのように答えたら正解なの……?)


 現在オフィーリアは悪役令嬢ではないはずで、ここで選ばれるはずのヒロインでもない。ただのモブだったはずだった。


 どう考えても、この状況はおかしい。


「え……? え? でも、え?」


 頭の中では断るべきではないかや、不敬罪に処されるのではなど様々な思いが渦巻いていた。もう脳の処理能力が追いつかずに、意味のある言葉を出すことすら難しい。


 アンドリューはそんな戸惑っているオフィーリアを見て、にっこりと微笑むと彼女の腰に手を回しその場に居る全員に宣言した。


「皆。驚かせてしまって済まない。だが、僕とオフィーリアの婚約は、王の許しも得ている話なんだ。今夜から、私の婚約者で未来の王妃となる女性はこのオフィーリアだ」


(ちょっと、待って……待って……私、ヒロインになっている……? ここで彼が腰に手を回して愛を宣言するのは、エリーゼ様のはずなのに……一体、どう言うことなの!?)


 わっと驚きと歓声に沸き立つ大きな会場の中で、呆気に取られたオフィーリアの隣には、ご機嫌で微笑むアンドリューが居た。


(私は、ただ……モブになりたかっただけなのに……ヒロインポジションなんて、全く望んでもいなかったし、誰かこの状況の説明をお願いします!)


 完全にヒロインの位置に居る自分を認めたくなくて、オフィーリアは涙目でアンドリューの事を見た。すると彼は思ったよりも近くに居て、流れるように手を取り歩き出す。


「ごめんね。こうして迎えに来るのが思ったよりも、遅くなってしまった。どうしても……政治的な問題で、アリアナから君へと婚約者を代えてもらうには、こうするしかなかったんだ」


「えっ……でもでも……私たち、一回しか話したこと……」


 二人は騒がしい大広間を出て、王族のみが使用することの出来る貴賓室へと進み、アンドリューに従うしかないオフィーリアはそうすることが当たり前のように彼にエスコートされて大きなソファへと導かれた。


(そうよ。絶対に絶対に、おかしい。アリアナ様は置いておいて、ヒロインのエリーゼ様はどうなったの!?)


 王太子アンドリューが男爵令嬢のエリーゼを特別扱いしていたことは、周知の事実だった。


 全年齢作品のために、恋愛を主題とした乙女ゲームとはいえ、そういった描写は健全な範疇なものだが、二人で仲良さそうに楽しそうに話をしている場面もオフィーリアは何度も目撃していた。


 だから、ヒロインエリーゼはアンドリュールートで間違いないと確信していた。


 にっこりと微笑むアンドリューはオフィーリアが彼から何かを言い出すのを待っているのを知りつつも、何故かお付きの侍従が粛々とお茶を出し退室して去ってしまうまで何の言葉も発さなかった。


「……そう。色々と……ややこしい事情があってね。どんなに僕が焦がれようが、君に近づくことは今まで叶わなかったんだ。でなければ、父は弟のエリオットに跡を継がせると脅して来たからね」


 彼の話の繋がりがよくわからずに、オフィーリアは出されたお茶にも手をつけずに眉を顰めた。


「エリオット様に……?」


「まあ……君の泣き顔が、あまりに可愛くてね。僕のファーストキスを捧げてしまうことになったんだが、あの時既に決まっていた婚約者アリアナの父親は君の父親の政敵だ。それは、理解しているよね?」


 それは、オフィーリアにとってはもう朧げな記憶の中の出来事でしかなかった。彼の唇に軽く触れただけの、何でもないおままごとのようなキスだった。


(ファーストキスを捧げる? 待って……もしかして……)


 オフィーリアは嫌な汗が身体中から噴き出すのを、感じた。


 乙女ゲームの「ファーストキスの味を知らない」では、各ヒーローそれぞれにキスには特別な意味があって、メインヒーローのアンドリューと彼の弟エリオットのキスの意味は、確かとんでもないものだった。


 彼はメインヒーローであったために特に難易度が低く、初回であっさりとクリアしてしまったために細かいゲーム内容をすっかり忘れてしまっていた。


「君も……知っているように。我が王家フェルナンデス家には、ファーストキスを捧げた女性と添い遂げねば国が傾くという言い伝えがあってね。その君と結婚するためには成人するまではアリアナや彼女の父親であるバンクス侯爵に、決して君の存在を悟られる訳にはいかなかった。政治的要因から君に危険が及ぶ可能性があったので、我慢を重ねて時期を待っていたんだ」


(知って……知っていた……? 貴族には常識なのかしら。いいえ。そうよ。多分もうアンドリュー様のことは関係ないと、私は思っていたから……彼の話題については、もう聞き流していたわ。それに、幼い頃の、あんな触れただけのキスに意味なんてあるなんて思わなくて……)


「今までほったらかしにして、済まなかった。これからは君だけを見て、一途に尽くそうと考えている」


 アンドリューのような美男子にそう謝罪されて、嬉しくない女性も珍しいかもしれない。そして、学園で繰り広げられる乙女ゲームは今夜でエンディングを迎えて終わったはずだ。


 だから、これからオフィーリアが彼の婚約者として生きても、もう悪役令嬢になることもなく何の問題もないはずだ。


「あっ……あのっ……エリーゼ様は? 良くお話されていましたよね? あの、平民出身でスチュワート男爵令嬢でいらした……」


 オフィーリアの疑問に一瞬不意をつかれた表情を見せたアンドリューだったが、エリーゼの存在に思い至ったらしい。


「ああ……彼女は聖魔力の持ち主でね。神殿に仕える、聖女候補の一人なんだ。だから、僕やエリオットが、周囲と馴染めるようにと王家の守護があることを示すために何度か話しかけた。感じの良い女性で、オフィーリアのことを素晴らしい女性だと褒め称えていた。僕にとっての君との関係は明かすことが出来なかったが、とても誇らしかったよ。そして、何度か話す内にオフィーリアの素晴らしさについて、二人で意気投合してね。僕も楽しくなって、彼女の話を聞いていたんだ。すまない。もしかしたら、嫉妬させてしまっていたかもしれないが、彼女とは誓って何もないよ」


(エリーゼ様……確かにアリアナ様から理不尽な嫌がらせを受けているところを何度か助けてあげたら、やたらと懐いて来ていたと思っていたけど……)


 まさか自分のことが話題でアンドリューとエリーゼが楽しそうに話していたのかと思うと、オフィーリアはどこか遠い目になった。


 自分や自分の家族可愛さに悪役令嬢には絶対なりたくないとは思っていたものの、やはりアンドリューは何もかも兼ね備えた素晴らしい男性だった。だから、もしかしたらその彼と自分が並び立っていたのではと、心の中にはずっと複雑な思いを抱いていたからだ。


「オフィーリア。エリーゼ嬢のことは、誓って何もない。信じてくれるかい?」


 過去を思い出し物思いに耽っている間に、アンドリューが隣の席へと座っていた。ほんの少しの距離を置いて顔が近づいていたので、オフィーリアは顔を真っ赤にして慌てて横へと動いた。


「しっ……信じるって、いうか……本当に……本当に、アンドリュー様は私の婚約者なんですか?」


「そうだよ。幼い頃に婚約者となったアリアナには悪いが、あの時は正直誰でも良かった。押されるままに、頷いてしまったんだ。だが、可愛い君の泣き顔に勝るものはない。今までもこれからも、そうだろう」


(アンドリュー様って、泣き顔フェチだったっけ!? そんな公式設定、ゲームの中で見た気がしないけど……)


 戸惑っている間にまたより迫って来ていた彼は、より顔を近づけてオフィーリアに軽い触れるだけのキスをした。驚きに目を見開いたオフィーリアに、優しい響きを持つ低い声で彼は言葉を重ねた。


「離れていた間に、変な虫がつかなくて良かったよ。美しく身分を持つ君は真面目で品行方正で、広く知られていたからね。方々から縁談が来ていたのは知っていたんだが……万が一の事も考えて、心配はしていた」


 彼の吐息すら感じられそうな近い距離の中に居て、オフィーリアは戸惑いの表情を隠せなかった。そんな様子を知ってか知らずか、アンドリューはにっこりと微笑んだ。


 そして自分に縁談が来ているとは知らなかったオフィーリアは、自然に首を傾げた。


「……そうなんですか? 私、何も聞いていなくて」


「王太子の僕に勝る嫁入り先は、この国ではあり得ないからね。君の父だけは、この事を知っているよ」


「お父様が……」


 そういえば、父が用意してくれたと勝手に思い込んでいた卒業式用の豪華なドレスの色は、アンドリューの瞳の色とそっくりだった。


「もうそろそろ、この事についての説明は良いかな?」


「……はい?」


 オフィーリアは、彼の言葉の意味がわからずに首を傾げた。


「……美しく、純粋なオフィーリア。君はもう僕のものだよ」


 乙女ゲームのメインヒーローらしからぬ、彼の強い執着を示す言葉にオフィーリアは無意識に喉を鳴らした。


「あのっ……あのっ……私」


 近づいてくる彼にまた後ずさろうとしたオフィーリアの両手首を掴んで、アンドリューは優しく微笑んだ。


「本当に、本当に長かったよ……君の可愛い泣き顔を思い出さない夜は、なかった」


「まっ……待ってください。私!」


 思わず目を潤ませたオフィーリアの表情に、うっとりとして彼はとても満足そうだ。


「可愛いオフィーリア。そうして、目に涙を溜めている様子も、本当に素晴らしい。ようやく……本当に僕のものだ」


(アンドリュー様を好きなのかと言われたら、好きだけど……心の準備が全然出来てないぃぃ!!)



◇◆◇



「あれ……兄貴。おかえり」


 第二王子エリオットは疲れ果てた顔で、深夜に帰城した兄である王太子アンドリューを見た。


 今夜世間を騒がせた張本人の癖に、いつもと変わらぬアンドリューは涼しい顔をして仲の良い弟の言葉に頷いた。


「エリオット。お前も、今帰りか。お疲れ様。収穫は?」


「あったよ。バンクス侯爵、めちゃくちゃ悪事働いてて真っ黒だった。良くわかんねえ書類も隠し持って来たから、後で読めば?」


 兄に分厚い書類袋を手渡して、エリオットは周囲を見渡して人目がないことを確認してから言った。


「気の強い事で有名なアリアナが、兄貴から婚約解消されて、大人しく黙ってる訳ないもんなー。オフィーリアを手にかけようと、早速タチの悪いごろつきに接触したという事実を元に、悪い噂の絶えなかったバンクス家に堂々と騎士団でガサ入れ。ここまでこっちの思惑が上手く行きすぎると、逆に怖いくらい」


 エリオットは肩を震わせて笑い、書類を無表情で受け取り歩き出した兄に続いて赤い絨毯の敷かれた城の廊下を進んだ。


「……今、バンクス侯爵は?」


「捕らえてから、地下牢で尋問中。未来の王妃を害する計画立てていた娘も、言われた通り城の一室に軟禁中。俺も卒業パーティーに出たかったけどなー。オフィーリアは?」


 二人は母親が違うために、アンドリューとエリオットは兄弟ではあるが同じ歳であった。


 正妃から産まれたアンドリューが先に産まれて、高い継承権を持つ兄弟の中で産まれた順番が余計な火種とならなかったのは、誰よりも本人たちが良かったと思っている。


「それは、お前が気にすることでもない」


「ねえ……言わなかったの? 神殿の中にあの子が入ってしまったから、神に許されるために兄貴か俺と結婚して王族にならないと……多分、殺されてしまっていたのに。婚約者の決まってしまった後でも彼女を婚約者に変更すると父さんを説得するために、兄貴はあの時にオフィーリアにキスをしたんだろ?」


 幼いオフィーリアが迷い込んでしまったフラージリアの王城の中に存在する、王家しか立ち入ってはならぬ巨大神殿には言い伝えがあった。


 即ち、王家以外の人物は絶対に立ち入ってはならないと。


 だから、必要のない時には入り口には封印が施されていたはずなのだが、あの時それは何故か解かれていて、何も知らない女の子は迷い込んでしまった。


 知らないとはいえ重大な禁を破ったオフィーリアは、王家へと迎え入られるか神への許しを乞うために彼女の命を捧げるかの二択しかなかった。


 だから、二人はオフィーリアが入ってしまったことは二人の秘密で黙っていることにしようと決めたのだが、禁を破った人間がその後にどうなるかは伝わっていない。


 彼女の身の安全を確保するためには、二人の王子のどちらかと結婚するしかなかったのだ。


「別に……その事については、もうどうでも良い事だ。エリオットも絶対に言うなよ。もし、それで仕方なく自分と結婚するのかもしれないと思われたら嫌だ。僕があの可愛い泣き顔を気に入ったのは、紛れもない事実だし」


「別に、結婚相手は俺でも……良かったのに。オフィーリア、可愛いし胸大きくなったしな。それに、学園での評判も良い」


 エリオットは、自室へと歩く兄に続きながら肩を竦めた。産まれながら持っている身分も高く容姿も完璧で王族として十分な気品を持ち合わせているのならば、自分達の結婚相手として申し分はない。


「彼女は、僕のものだ。絶対に手を出すなよ」


 底冷えのするような鋭い青い目で脅しつけられて、エリオットは大袈裟に身体を震わせた。


「はいはい。わかっているよ。兄貴の言う事には、いつも間違いはないし?」


「当然だ。今回、こうなることも全部計算の上だ」


 長年傷ひとつつけまいと接触することを我慢していたオフィーリアと婚約するために、気の強いアリアナと婚約解消をして、黒い噂が飛び交う彼女の父親を失脚に追い込んだ。


 そして、現王の片腕となる娘の公爵令嬢を娶ることで自分の王位継承を盤石にした上で、信頼している親友と縁続きになれることで気難しい父親へのご機嫌取りも完了した。


 そして、何よりも正式に決まった婚約者を交替させるならと父王が出していた成人するまでは接触するなという条件を守り、自分は我慢することで、幼い頃から愛していた女の子オフィーリアの命を彼女が知らないままで救うことも出来た。


 指折り数えた今回の兄の成果に、エリオットは小さくため息をついた。


「……俺。兄貴が王様でいる間は、この国大丈夫だと思う」


「今更、何を当たり前の事を言ってるんだ。行くぞ」


 先を歩く兄に急かされて、エリオットは彼の背中を追った。



Fin







神殿に、入った時点で、フラグ立ち。


最後まで、お読み頂きましてありがとうございました。

もし良かったら、評価お願いいたします。


また、別の作品でお会い出来たら嬉しいです。


待鳥

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【短編コミカライズ】婚約破棄、したいです!
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【短編コミカライズ】断罪不可避の悪役令嬢、純愛騎士の腕の中に墜つ。

― 新着の感想 ―
[良い点] 素敵なお話しありがとうございます。 [一言] 封印が解かれていたってそれ神様のお導きでは…??
[良い点] はじめから詰んでいたわけですね。いろいろな意味で。
[良い点] エリオット苦労しそうー!でも人気ありそう。エリオットルートもあるんでしょうね…。
感想一覧
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