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死にたいままで

作者: 仲原傾

死にたいままでも生きていけますか

 死ぬのであれば殺されたい、私は常々そう思ってきた。

 なるべく華々しく殺されたい。髪の長い女に呪われたり、仮面をつけた殺人鬼に景気よく殺されたりしてみたい。

 しかし、それは分相応とは言い難い。死とはいわゆる人生という物語のゴールであり、終幕であるのだから、その物語の内容に左右されて然るべきなのだ。例えば、悪人の首に縄がかけられ、善人が大往生というイメージは定番であり、逆ならばブーイングの嵐に包まれるだろう。

 百人いれば八十人が平凡と断じる私の人生に、そんな劇的な終わりが訪れるはずがないのだ。平凡であることを自覚し、慎ましく、それでいて勤勉に生きていれば私だってそれなりの終わりにはたどり着けるかもしれない。子供を産んで、育てて、孫が生まれて、彼らに穏やかに見送られる終わりを目指すのもありだろう。人生の登場人物が再結集する様はさながら映画のエンドロールのようだ。

 どんなクソ映画にもエンドロールだけはあるだろうが、クソ人生にはそれすら与えられない。いや、これを手に入れることが難しいといえる。

 現代日本において、結婚だの子育てだのは贅沢品に他ならない。一人の赤ん坊を社会を歩かせる人間にするためにかかる費用を、肝心の大人が用意できないのである。それを知らない愉快な老人たちは産めよ増やせよ年金払えと叫ぶわけである。

 何回選挙をしても、制服を着て選挙に行く光景を実現させてもどうにもなにも良くならない。ニュースキャスターの顔は暗く、内容によってどう暗いかの差でしかない。動物の赤ん坊でいくらお茶を濁しても、覆いかぶさる暗い空気は到底誤魔化しきれていない。

 時代を担う若者たちが徒党を組んで子供を産むのをやめ、この国が崩壊するならそれはそれで。インターネットとかテクノロジーとかを頭のいい人が頑張ってくれたおかげで、もはや国だの家族だのという共同体に何かを求める必要は感じられない。明日どこかの名前が変わっても、どこかで何かが滅びようと、好きな情報と聴きたい言葉で固まった居心地のいい場所をSNS上に作ればそれにすがって生きていける。オアシスが現実であることではなく、目に見えさえすればいいという段階に突入したのだ。

 あらゆるものに対する愛に欠けた私はそう思うわけだが、もはやどうでもいい。そもそも、私はもう死ぬのだから。

 二十歳の世間知らずの私が死にたいのは世の有り様に嘆いて、なんて高尚な理由ではない。実に俗っぽく、極めて個人的かつ、どこにでも転がってるような話である。その上、あまりにも平凡な自身の存在や人生に価値をろくすっぽ見出せない。つまり、元々ゼロだったところにマイナスが放り込まれたため人生を諦めるに至ったというだけだ。

 もっと苦しい人も頑張ってる、いつか幸せになれる、なんて言葉を聞き飽きたので誰かに相談するという選択肢はだいぶ前に捨てた。実にくだらない。世界で一番可愛そうでなければ嘆くことは許されないらしいし、いつかに辿り着くエネルギーがないことも理解されないのだから。

 死にたい人間は、どうしようもなく死にたいだけなのだ。

 そこに至るまでの原因、周りからの相対的な評価などは関係ない。

 それは限りなく絶望に近い希望で、否定も肯定も理屈も道徳も、とっくに求めてはいないのだ。

 救われないし、救われる気もない。

 さて、いくら死ぬだけったって私にだって希望はある。特に、自殺なんて真っ平御免だ。一人で苦しい思いをして、その上失敗したら間抜けなことこの上ない。仲間を募って、というのも考えたが、自殺と検索すると相談窓口が開くような倫理観にあふれたインターネットでは正直抵抗がある。それに、一番悲惨なのは、仲間が自分よりも凄惨な理由を持ってきた場合だ。親の介護に疲れて、ブラック会社にこき使われて、ネットに全てを晒されて、なんて理由を提げられた日には私はもう苦く笑うしかない。

 そんな毒々しく、かつ派手な背景を持つ彼らの中で特に不自由をしていない私がポンと死んでみろ。この集団自殺が何かに取り上げられた時、その他にまとめられる惨めな姿が想像に難くない。赤っ恥にもほどがある。というか変にニュースだ雑誌だに取り上げられ、卒業アルバムなどを引っ張り出された日には死んでも死にきれない。どうしてああいう写真ってやつは決まって写りが悪いんだろうか。

 そんな間抜けなものでも、自殺者と被害者では扱われ方がだいぶ異なるはずだ。やっと飲む打つ買うが許された年頃の娘が、無残に命を散らしたとなれば大体のことはフィルターがかかる。私が特に何を成し遂げてなかろうと、勝手に社会が哀れんでくれるし、名前も忘れていたであろう同級生たちがこぞってジュース缶を現場に置きにきてくれるかもしれない。ついでに昼下がりのワイドショーで悲劇的に報じられたい。話題性のある悲劇にするために実名から人生まで調べ上げて欲しいし、近所の人にももちろんインタビューしてほしい。それでいて視聴率が低かったらお笑い種だが。せっかくだから録画しておきたい。それでその画面を撮った写真がSNSで物議を呼んだら余計に愉快だ。プライバシー問題から、画面をネットにあげることによる著作権問題まで論点がずれ込んでいつまでも喧嘩しててくれ。

 こうなると犯人にもこだわりたい。できれば強盗あたりが望ましいが、狙って強盗されることは可能なのだろうか。

 素人に依頼するのはなくもないが、犯人にフォーカスが当たってしまうかもしれないという問題がある。いつだって社会は強盗のようなケチな犯罪より、殺人鬼という響きが好きなのだ。それが他者の人生を奪ったという事実を脇において、勝手に返り血にまみれた美しい姿を空想する。薔薇の赤と血の赤の区別がついていないんだろう。犯人に注目が集まり、生い立ちや趣味がおどろおどろしいフォントとナレーションで飾り立てられるのは面白くない。死んでこれ以上何も残せない私に対して普通に失礼ではないだろうか。

 それに加えて、苦しく殺されるのは自殺よりも嫌だ。

 何が悲しくて人生最後の瞬間まで苦しめられなきゃいけないのか。しかも死んだら苦しかったぞ下手くそ、とクレームを入れることさえできない。

 確実に殺してくれて、その上私よりも話題にならない、となると殺し屋というのもありかもしれない。捕まって話題にならないような凄腕が、一般人の使うツールで見つけられるのだろうか。あと依頼のコースにちゃんと自分を殺してもらえるものがあるのだろうか。いや、依頼するだけの手持ち、今の私にあるかな?

 検索エンジンに『殺し屋』『料金』と入力する深夜、きっと死にたいままで朝を迎えるだろう。

 死にたいままで食事をして、死にたいままで何かをする。

 死にたいままでも、案外生きていけてしまうのだ。

死にたいままでも生きて生きたいです

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