オキナグサ
ぽろぽろ、ぽろぽろ、ぽろぽろ、ぽろぽろ。
ああ、落ちてゆく、大事なものばかり。なんでいつも落ちてゆく、美しいものばかり。
どろどろ、どろどろ、どろどろ、どろどろ。
いつもこの手に残る、どうでもいいものだけが。また、こびりついている、汚らしいものだけ。
もううんざりなの。大体私が望む物は手からこぼれていくの。その時の喪失感、無力感。もう耐えられない。
もう私は何も望まない、何も求めない。求めたものを失うのはもう嫌。だったら最初からないほうがいいわ。
五年前のあの日、その時から私は何も求めなくなった。
―五年前
「この人がお前の婚約者だ。誠心誠意つくしなさい。」
お父様はそう言って、彼を紹介した。
私は茫然としてろくに反応できなかった。
その時、何を話したのかすら覚えていない。冷静に考えられたのはその日から二日たった時だった。
その当時、私には恋人がいた。両親にも内緒の。私の恋人は女性で、私も女性。だから誰にも言えなかった。
私は幼いころから男性をそういう意味では愛せなかった。そんな私が男性と結婚することも苦痛であるけど、一番苦痛なのは、恋人に別れを告げることだ。
ああ、今すぐここから逃げ出せればいいのに。そんなことを考えても仕方がないのに考えてしまう。
この恋を裏切ることはしたくない。この恋を壊すことなんてできないの。
世間では、私たちのこの気持ちは、不純だと、おかしいというわ。だけれど、私たちにとって欠けてはいけない気持ちなの。
世間でいう「清純な心」なんて、私はいらない。ただ、彼女を愛せればそれでいいのに、それを世間は許してくれない。
逃げたいけれど、私たちは無力な小娘。親や夫の庇護下になければ死んでしまう。私はともかく、彼女をそんな目にあわせたくない。だから私はお父様の命令に従うしかなかった。
私がほしいものなんて初めから与えられなかった。両親からの愛も、自由も。だから私は自分で心を壊した。ほかの人に壊されるのが嫌だったの。
そんな私が、彼女に恋をした。私の中に残っていた心のかけらが、彼女に惹かれていった。
こんなことになった時にいっそ死んでしまおうか、なんてできるはずがないことを考えたりもしたわ。
別に死ぬことは怖くない。ただ、幼いころ亡くした私の片割れとの約束が私を生に固執させている。
―ぼくのぶんまでいきて、おねがい。
死のうとするとき、いつもあの子の幼い声が頭に響く。だからいつも死ねない。
今日も私は心を捨てる。だけどいつも戻ってくるの。
今日も私は心を壊す。だけどいつも明日には元に戻るの。
イラナイ、イラナイ。私には必要ないの。どうせ傷付くくらいなら、心なんていらない。
―嘘よ、嘘。本当は心が欲しいの。欲しいのに欲しくないって嘘ついて。自分に素直になったらいいのに。馬鹿馬鹿しい。
頭の中で響く声。本当に望むことなんて、そんなことわかっている。心だってあることも、捨てたと思いたいだけなのも、本当は傷ついているのも、分かっているの。
分かっていても、受け容れたくないの。心なんて受け入れたら、もっとおかしくなる。イッソ死にたいと思うくらい。
ああ、でもそしたらあの子との約束を破ってしまう。それは嫌。絶対に嫌。大切な片割れの約束を破りたくない。
好きでもなかった男の子供を産んで、その子を育てて、死んだら夫の家の墓に入る。そんなの、おかしくならない訳がない。
それでも私は生きなければならない。片割れの分まで生きるしかない。
そういえば、今日はあの子の命日であり、誕生日。だからこんなことを考えたのかしら。
ああ、願わくは、あの子があちらで穏やかで入れますように。
まあ、あの子が苦しくなければそれでいいわ。来世というものがあるのなら、そこで幸せになって欲しい。
ああ、もうそろそろ私が変わるころね。彼女との恋を忘れ新しい恋をした忌々しいもう一人の自分。
ああ、だんだんと意識が遠のいてゆく。私が私ではなくなってゆく…。
あら、私は何を今まで考えていたのかしら。なんだか気分が悪いような。
そうだわ、今日は思い切ってお部屋の模様替えをしてみようかしら。
そうしたらきっと気分も晴れるわ。
ああ、今日あの人は来てくれるのかしら。ワクワクしてきちゃった。
あは、あははは、あはははははははは…
―隣の領地の中心部にある屋敷の高い塔にいる魔女に、絶対に会いにいってはいけないよ。
女の子だったらかつての恋人に、男の子だったら弟に間違われてしまうらしいから。
大人の男性は特にだめだ。恋をしてしまった人に間違えられて殺されてしまう。
近づいたらすぐにわかるよ。女性の笑い声が聞こえるから。悲しい、悲しい魔女の笑い声が、ね。
今日も彼女は一人で、一人きりで狂ってくのだろうね。大切な二人を思いながら。大っ嫌いだったのに愛してしまった男を思いながら…。
とにかく隣の領地に行く時は気を付けなよ?これは忠告だからね。これでも心配してるんだ。知り合いが死ぬは嫌だからね。
それじゃあまた会える事を祈っているよ。
(-それにしても愛という麻薬におぼれていく人はいいね。愚かで滑稽で美しい。これだから面白いんだ。人を見てまわるのは。)
解説(いらない方はブラウザバックをお願いします)
登場人物の名前は特に考えていません。皆さんのご想像にお任せします。
主人公には双子の弟がいましたが7歳の時に他界。その弟の願いである「自分の分まで生きること」をかなえるために死ぬに死ねなくなりました。それがなければ弟が死んだその時に自殺していたでしょう。この時に心が壊れてしまいました。
かろうじて残っていた心の破片が「彼女」と出会い再生。無事結ばれて幸せでしたが主人公に婚約者が出来て破局。再生した心はもとのままでしたが。(初恋を忘れたくなかったため)
のちに婚約者に恋をしますがそれが受け入れられなくて心を消そうとしますが失敗。前の恋人に執着する人格と婚約者に恋をしている人格とに分裂してしまいます。
前者の人格は自分が傷つかないよう心の奥底に封印されます。
婚約者と結婚し、子供を産んで育てていきますが心の奥底に封印していた新しい恋を受け入れられない人格がだんだんと表面化していきます。
恐怖を感じた夫が自分の屋敷にある塔に幽閉。36歳で亡くなるまでそこにいました。
その後いろいろな念が強すぎて自縛霊となります。そのまま誰にも知られることのないまま心を傷つけていくでしょう。ちなみに模様替えはポルターガイストで塔の内部をぐちゃぐちゃにすることです。
最後らへんは旅人がこの話を聞いた後に隣の領地に行った時に話したセリフです。語りあいては酒屋のおっさんです。主人公はそこで怪談として有名になっていきます。旅人は快楽主義者という設定しか考えていません。