午前1時26分の冷凍庫。
嗚呼、やってしまった。やってしまった。どうしよう。
嗚呼、やっちまった。やっちまった。どうしたらいい。
どうしたら君は帰ってくる。どうしたら俺は俺を救える。
ベットに横たわる彼は、色白の細い体を赤で染めている。
はじめは、遂に彼も腕を切り始めたのかな。なんて思ったんだけど。
深く切り過ぎてなる傷ではない。
それは、ついさっきまで僕が握り締めていた包丁から、自らの腕に巻かれた包帯の上から大量の血がついていることを見れば明確だった。
……記憶はない。
いつものように夢を見ているつもりだった。
君を刃物で殺す夢。
いつものように夢を見ていたはずだった。
君が愛する人を君が殺す夢。
「不安だったんだ。朝起きたら君がいなくなってたらって。」
乱れた黒髪の下の、黒い方の瞳が涙を零す。
「気づかなかった。まさかこれが現実だったなんて。」
乱れた黒髪の下の、赤い方の瞳が涙を零す。
「君の幸せが僕の幸せだったのに。」
「お前の幸せを守ることが、コイツの幸せを守ることだったのに。」
一つの器の中の、2つの人格は懺悔する。
骨が見える程に抉られた、腕や腹や喉を。
血溜まりと肉の中から突き出した、肋骨を。
見つめて。
「君が……殺してほしい。なんて、言うから。」
そう言われたのは初めてじゃない。何度かこのまま死のうと言われた。
僕は賛成したかったけど、俺がこの先の幸せを願った。
僕はそれに賛同した。
彼もそれに賛同してくれた。
だけど、
不安定な僕の元にやって来た君が、
たまたま包丁で腕を切ろうとしていたコイツの元に来たお前が、
とてもつらそうな顔で
「死にたい。」
なんて言うから。
君を縛るこの世界が許せなくて。
君を傷つけるこの世界から解放したくて。
君をこれ以上、痛みに奪われたくなくて。
ふと、銀に染められた髪の下の彼の表情を見て、思わず息を飲んだ。
なんて美しくしい表情で。
なんて眩しい笑顔で。
なんて虚ろな瞳で。
なんて苦しげな口の形で。
死んでいる君が……こんなにも愛おしいだなんて。
ねぇ、 なぁ、
もう一度僕を抱いて。 もう一度俺に抱かせて。
僕の名前を呼んで。 俺の名前を呼んで。
「……愛してるよ。」
解っている。
どれだけ残酷に抉られても、
どれだけ残忍に殺害されても、
その腕で僕を抱き締めようしていたこと。
その骨と肉の塊になってしまった腕で、僕の首を絞めようしていたこと。
本当は、僕と逝きたかったんだよね。
本当は、僕も逝きたかったよ。
やっと夢が本当になる。
やっとこの手で君を殺せる。
君に殺される夢は叶わなかったけど、それはまた別の機会に。
「今、行くからね。」
僕は、鞘から刀を抜くように、紋様に囲われた臍から妖刀を抜いた。
──妖刀・真月。
不甲斐ない僕を、なんだかんだ支えてくれた、優しい怨霊。
「馬鹿じゃねぇの。俺は大事な依代の持ち主を守ってただけだよ。」
……誤魔化しても無駄って、解ってるくせに。
「行こう、僕等の愛する人の元へ。」
切腹には長過ぎる刀身だけど、俺ならきっとやってくれる。
僕には到底持てない刀身を握り締めて、俺が腹部に切っ先を当てる。
「ッぐぅぅ…………!」
腕を切るなんてものよりも、何倍も痛い。鋭い痛みに体の力が抜けてしまいそう。構わず横に刀身を動かして、刀を離すまいと力んだ腕と切り裂かれた腹から、血が吹き出す。
ごぽっと音を立てて、口からも血を吐いた。
僕は痛みが嫌いだ。
苦しくて苦しくて。
でも、それを乗り越えたら君に会える。
いつもそうだった。
あの日助けてくれた君を探して彷徨った日々も。
不安定な心を保ちながら君の帰りを待った日々も。
嗚呼、もどかしい。
もう、待てないよ。
僕は俺から刀を奪って、まだ切れていないところが切れるのも構わず強引に引き抜いて。その刀身で、自らの首を刎ねた。
人を殺す為に鋭く飢えたその刀は、いとも容易く細い首を噛み千切る。
恍惚に眩む視界の中、
痛みが消えていくその瞬間、
温かいものに包まれながら消えていく意識、
最期の瞬間に、
いつものように振り返って、
手を差し伸べて微笑む君み視る。
刀を放り投げて、倒れ込む肢体。
彼が伸ばした肉片の間に倒れ込む。まるで、抱き締められるように。
そして、追ちた首の薄く微笑む唇と、だらしなく空けられた君の唇が重なって。
放物線を描いて落ちる刀身が、僕と君の体を繋げた。
これでやっと、
二人きり。
時計の刺す時間は、君の誕生日。