3.習字教室を始めた理由
自分で「未熟」だ、「ヒヨコ」だと言っておきながら、人様を指導しているのはおかしいと思われる方もおられるでしょう。
私も元々は、「老後の楽しみの一つとして、教室を運営するのも良いかもしれない」程度に考えていました。
それがどうしてこうなったかといいますと、教室を始めた年度に色々とあったのですよ。
ええもう本当に色々と……。
まず、働いていた職場の代表理事のご機嫌を損ねて、首になりました。
「次の日から来なくていいですよ」ってな感じです。
それからハローワークのお世話になります。
送っても送っても返却される履歴書などの応募書類。
もう、自分が否定されている気がして、段々と生きているのが嫌になってきますよ。
それでも、何十社も送っていれば、引っ掛かるところがあったんです。
正社員ではありませんでしたけど、働かないといけないので、取り敢えず行きました。
数カ月後、社長が自殺されました。
そして、事業閉鎖のため、解雇です。
仕事以外でも色々ありました。
小学校の時から習っていた先生は、数年前に亡くなっておられたので、この時は今も師事している二人目の先生の所に通っていました。
その先生が、心臓の大手術をされました。
手術は成功して、無事に教室を再開されましたが、この時先生は七十代でした。
「人間いつどうなるかわからない」ということを、改めて思い出しました。
私にも老後というものが存在するとは限らない。
そう思った時に、自分のやりたくもない仕事を無理に探してする必要があるのかと思いました。
そこに私の存在意義はあるのか?
自分のやりたいことは何か?
この先生には、前から「人に教えると勉強になるから、教室をしてみないか」と言われていました。
その言葉を思い出し、先生がお元気で色々とご相談出来るうちに教室を始めようという考えに至ったわけです。
まあ、現実的には好きなことだけをして食べていける人は一握りなわけで、結局、他の仕事も探して働くわけですけど、生きがいが出来て暫くは両方共頑張りました。
そして、暫くして抑うつ症状になり、もう一個の仕事はやめることになりました。
これをもう一回繰り返し、現在に至ります。
それでも、教室をやめるという選択肢はありません。
私にとっては、これが生きる希望なんです。
例え稼ぎが少なくても、両親に金銭的に迷惑を掛けていても、これだけは辞めたくないんです。
自分はすごく生き方が不器用だと思います。
いつも「自分」に疲れます。
それでも、自分にとって大切な守りたいものがある限りは、頑張ろうと思えます。
湿っぽくなりましたが、「書」は私にとっての生きている意味、生き方そのものといっても過言ではありません。
教室を始めた理由は他にもあります。
二人の先生に教えていただいたことを、忘れないうちに伝えていきたい。
大好きな書をもっと多くの人に広めたい。
そういった気持ちもあって、教室を始めました。
そんな教室も、始めてから五年が経ち、六年目になりました。
今までしてきた仕事の中で一番長く続いています。
私にとっては、好きなことを仕事にするのが一番合っていたみたいです。
これからも初心を忘れずに、継続していきたいと思います。
何だか重い話になってしまいました……。胃もたれしそう。次はもっとゆるくいきたいです。
それから、仕事の話ですが、私は趣味のためにお金を稼いでいると言っていた親友のことも、自分や家族が生活していくために身を粉にして働いている両親のことも、ものすごく尊敬しています。
さらに、社会のため、人のために働いている人たちは本当にすごいと思っています。
そういう人達を見て、自分がいかに甘いかということもよく分かっています。
ですが、働き方も生き方も人それぞれなので、「こんな生き方をしている人間も居るんだ」程度に思って下さい。
こんな病気持ちの私を働かせて下さった会社の皆様には、心より御礼申し上げます。